第76話 恐怖

 皆が一瞬静まり返った。

 だがすぐに質問が続く。


「ワクチンや治療薬はどうなっているんだ?」


 今度はスミスがレヴィの目配せを受け、立ち上がった。


「OKOGEは免疫細胞にも侵入するため、ワクチンの開発はとても困難な状況です。というか不可能なのかもしれません」


 そのスミスの発言に、部屋全体から落胆の溜息が聞こえてきた。


「ですが、治療薬に関しては、抗HIV薬が一定の効果を示しています」


「おお」という感嘆の声と「それを早く言えよ」という呟きが入り混じった。


「もう少し詳しく説明します」

 レヴィがそう言って場を沈め、スミスが説明を続けた。


「抗HIV薬を数種類複合投与することにより、血液中のOKOGEウィルスのほとんどを死滅させることができます。その最適な組み合わせは数日中に確定できるかと」


「なんだ。じゃあもう、危機は回避できるということじゃないか」


「いいえ、そうとは言えません」


「えっ、どうしてだ?」


「抗HIV薬は血液中のウィルスを死滅させ、ウィルスの増殖も抑えることができます。ですが、人の細胞内に入ってしまっているウィルスを殺すことはできないので、ずっと薬を飲み続けないと再びウィルスの増殖が始まってしまいます。またOKOGEの症状も少ししか抑えることができません」


「なんだって! じゃあ、そんな薬、全く意味がないじゃないか!」


「いいえ。薬を飲み続けることによって、他の人にウィルスを移す可能性は殆どなくなります」


「効果はそれだけ……。他に、何かいい薬はできないのか?」


 レヴィがスミスを座らせて、これに答えた。


「あらゆる方向から、新しい治療方法がないか研究をしておりますが、今のところ目途は立っておりません」


 ここで初めて、大統領が自ら手を上げ、口を開いた。


「国務長官、他国の対応はどうなっている?」


「はい。今はどの国も静観しています。感染率が最も高く、そしてCDCを持つ我が国の動向をうかがっているようです。日本の首相からは、指示を待つ、という連絡が入っています」

「わかった。では、CDCが考える、今の最善策を言ってみてくれ」


 レヴィに促され、ケイトが渋々立ち上がった。


「OKOGEの特性を全て公表し、コンドームの使用を徹底させる。その上で、全米で一斉に血液検査を行い、感染している人々を隔離するか、又は、ずっと抗HIV薬を飲み続けるか。そして海外からの入国時も検査を行うこと」


「バカな! 国民全員に血液検査を行って、薬を飲み続けさせるなんて、いったいいくらかかると思っているんだ。そんなことできるわけないじゃないか!」


 そう怒鳴った男性に大統領が言い放った。


「財務長官、だから君はダメなんだ。少しは考えろ。もしウィルスが蔓延し国民が次々と亡くなってしまったら、その経済的損失は計り知れないものになるだろう」


「はい。確かに……」


「君はこの後、検査と投薬にどのくらいのコストがかかるのかを算出してくれ。そして製薬メーカーと検査会社に協力を要請しろ。その上で、特別予算を議会に申請する。隔離は事実上不可能だろう。新しい薬ができるまでは、その方法で投薬を続けるしかない」


「OKOGEの特性についての発表はどうされますか?」


 唯一顔を知っていた保健福祉長官のエリックが口を挟んだ。


「大統領。全てを公表しましょう。何かを隠せば、それが後々分かった時に、政府は信用を失ってしまいます」


「それはそうだが、完全に不妊になるということを聞かされた時の精神的打撃は大きすぎる……。CDC! 薬を飲んでいればパートナーに移ることはないのだな?」


「はい、ちゃんと服用さえすれば」


「それなら、きちんと服用を続ければ子供ができる可能性もあるということにしよう。そうすれば精神的打撃は最小限に、そして感染の拡大も予防できる。よしこれでいこう。何か反論はあるか?」


 皆それぞれの立場から思うことはあるようだが、誰も手を上げる者はいなかった。


「ないようだな。では、急いでスピーチの原案を作成してくれ。明日の正午に発表する」




 最後まで、僕に発言の機会が回ってくることは一度もなかった。

 言いたいことはいくつもあった。

 でもそんなことよりも、会議が終わりに近付いていることに、安堵した。

 僕は、今まで行ってきた自分の人生を何度後悔したかわからない。

 だがやはり、面と向かって罵倒されるのが怖かった。

 この恐ろしく強靭な人達の前で罵倒されるのが怖かったのだ。

 世界のトップの人達に、おまえが全ての元凶だと、あらためて断定されるのが、とても怖かった。






 十二時丁度から始まった、アメリカ合衆国大統領イアン・フォーサイスによる八分間の声明が終わる頃、世界中から悲痛な叫び声が聞こえてきて、怒りと悲しみの感情全てが僕の胸をめがけて集まってきているような気がした。


 その感情はすぐに胸から溢れかえって、僕の周りにどんどん溜まってしまい、底の無い真っ黒な泥沼に沈み込んでいくような気持になった。


 このまま、泥の中に消えてしまいたい。


 息が止まれば、全てを忘れられる。


 取り返しのつかない後悔と、多くの人々の命を奪い、そしてこれからも奪い続ける恐怖と、果てしのない罪悪感。


 死の瞬間には、これで楽になれる、そう思えるのだろうか。


 死の直前、意識が無くなるその直前まで、自分自身を責め、苦しみ続けることになるのではないだろうか。


 それでも、今よりはマシかもしれない。


 もういいかな……。


 そう思う心の反面で、今すぐに、自分が作ってしまったOKOGEをこの世から葬りたい、自分のこの手で完全に洗い流して、自分の生きてきた人生と共に全てを消し去りたい、そんな思いが煮えたぎり始めた。






 TERT遺伝子を導入したOKOGE感染マウスから採血を行った。


「アニキ! 凄いわ! ちゃんとテロメラーゼ活性が上がってるで!」


 一匹目のマウスの結果が出た瞬間、マシューと一緒に飛び上がって喜んで、その後に抱き合って、そして何度も飛び上がった。


 その後も、ほとんどのマウスでテロメラーゼ活性の上昇を確認することができ、久しぶりの嬉しい出来事に涙が出そうになった。


 OKOGEの長所を残したままで、副作用である短命化を克服できれば最高の治療薬になる。


 だが、もう少し経過を見なくてはまだまだ安心はできない現実と、やはり自分が作り出したOKOGEをこの世から葬り去りたいという気持ちが相まって、僕は論文を読み漁った。


 どこかで新しい抗ウィルス薬が研究されていないか、何か違う治療法はないか、応用できる技術はないか、どこかにヒントが隠されていないか。


 科学雑誌を隅から隅まで目を通し、様々なワードで検索を掛けて。


 来る日も来る日も、ずっと文字の世界で毎日を過ごした、アリアから全米の人達の様子を聞きながら。



 そして、僕は一つの論文に辿り着いた。


「もしかすると、これを応用すれば、OKOGEを根絶することができるかもしれない。だが……」




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