124.特別な一日2
それは、教会の隅でひっそりと行う懺悔のような、それでいて、庭園の木陰の長椅子で行う恋人達の語らいのような、不思議な時間だった。
レジーナとのことを絡めながら、『ロザリア』として歩み始めた短い時間の話をする。
私がポツリと不安を溢せば、殿下が小さく頷いて、私が顔を歪めれば、冷え切った手に熱い手が重ねられる。
私の懺悔を神の如く許すわけでもなく、恋人のように慰めるわけでもない。ただ、相槌を打つだけ。それだけなのに、私の鉛のように重かった心は随分と軽くなった。言葉にする事が偉大なのか、彼の熱は鉛すらも溶かす程に熱いのか、私にはわからない。
私のようでいて私では無いような不安を抱え、私として何をすべきなのか悩む。どうしたら良いか誰かに決めて貰えれば、気が楽だとも思った。
だから、素直に私はそんな弱音を口にする。そうしたら、殿下に決めて貰えるかも。なんて、甘い考えが有ったのも事実だ。
「『理想のご令嬢』を演じていくことが正解なのか、嘘偽り無い私を出していくのが正解なのか分からなくなるの。誰からも足元を掬われない為にも完璧な令嬢にならなくちゃって思うのだけれど」
作り物の私を見て、もしくは、嘘偽りの無い私を見て、殿下に嫌われてしまったらどうしよう。なんて、本人に言える筈もなく、建前のように用意した悩みだけを口にしていった。
「ロザリーがどんな結論に至っても、俺は君の隣にいる」
殿下の言葉は、期待していたどれとも違っていた。どんな結論に至っても……つまり私がどんな選択をしても良いと言う。あっちが良いとかこっちが良いとか言ってくれれば、流されるままに決めることができたのに。
けれど、「どんな私でも構わない」という彼の言葉すら疑ってかかってしまう。建前ではないのかと、勘ぐってしまうのだ。
「どんな私でも良いの?」
「ああ。どんな君でも。もしも、絵に描いたような理想のご令嬢を演じるなら、俺も付き合う」
「嫌ではない?」
「別に嫌じゃない。ごっこ遊びみたいで楽しいだろ?」
殿下が子供みたいに歯を見せてニヤリと笑う。白い歯が唇の間から顔を覗かせ、キラリと輝いた。
「ごっこ遊び?」
「そう、完璧な令嬢のロザリアと、完璧な王太子のアレクセイ。二人は皆の注目の的だ。だが、二人には秘密がある」
「どんな秘密?」
なんだか物語じみていて、ワクワクする。私は思わず身を乗り出して聞いた。
「二人きりになると、俺達は仮面を脱ぎ捨てて踊り出す。そして、『はしたない』と言われるようなことをして遊ぶんだ。これは、二人だけの秘密だ」
「はしたない? どんなこと?」
「んー……そうだな。ベッドで寝っ転がってチェスをしよう」
「何それ」
折角仮面を脱ぎ捨てたのに、やることは寝っ転がってチェスなのか。想像すると滑稽で、けれど悪いことをしているような背徳感がある。私は肩を揺らして笑った。
ベッドで寝っ転がってチェス。悪くないかも。二人で、洋服が皺になることも気にせず、時間も忘れてチェスをするなんて、なんだかとっても楽しそう。
「ロザリーは? やりたいことはない?」
「はしたないこと?」
「そう、誰かに見られたら困ること」
見られたら困ること。私は口の中で反芻した。皆の理想のご令嬢は外でどんなことをしたらいけないのか。
「んー……木登りがしたい」
「木登りか」
「でも駄目だね。部屋に木はないもの」
木に登りながら、ボーッと景色を見るのは嫌いではない。寧ろ好きな方だ。勿論見つかれば大目玉だけれど。きっと、お嬢様には縁遠い遊びだ。
「さすがに部屋に人が登れる程の木は無理だな」
「チェスで我慢するから大丈夫」
「……そうだ! 二人だけの庭園を作ろう。そこに大きな木を植える。そうすれば、いつだって登り放題だ」
殿下が口にすれば、何でも実現しそう。小さな二人だけの庭園。そこなら何をしても良いのだろうか? 芝の上に寝転んで、花の蜜を吸っても怒られない?
木に登って歌を歌って、花の蜜の飲み比べをしたい。猫のように寝転んで、太陽でふかふかになった芝に頬をつけて、物語を読んだりお話をする。
「楽しそう」
目を瞑れば、瞼の奥では殿下と小さな庭園でごろごろと寝転ぶ私がいた。とても楽しそうに笑っている。
「どうだ? 演じるのも悪くないだろう?」
「うん、悪くないかも」
そんな毎日だったら、苦ではない。人前ではお淑やかなお嬢様でも、二人きりの時には自由に遊べるのだから。
「その時は仕方ないから、クリストファーも入れてやろう」
「……良いの?」
「仲間外れは可哀想だろ?」
殿下は肩を竦める。お兄様のことも考えてくれていることに、自然と頰が緩んだ。三人で遊んだ日々がまた戻ってくるような感覚。秘密の小さな庭園にお兄様と殿下と私。三人で駆け回る小さな姿を思い浮かべる。
それは、幼い頃に望んだ世界だった。
「ありがとう」
苦しかったり、悲しかったりすると涙がでる。けれど、不思議なことに、嬉しくても涙が出てくるのだ。込み上げるものを自分の中に押し込みながら、笑った。それでも、ポロリと涙が溢れる。慌てて袖で拭うと、殿下が優しく頭を撫でてくれた。悲しいわけではないと言いたいのに、言葉にはならなくて、嬉しい涙だけが気持ちを伝えようと必死に溢れて落ちた。
「ロザリーは生きたいように生きて良い。人前で演じ続けても良いし、本来の君のままでも良い。君は転ぶのを怖がらなくて良いんだ。躓いても、転ぶ前に隣で俺が支えるから」
「どっちが良いとは言ってくれないの?」
「それは俺の役割ではないだろ? 決めるのは君だ」
「そっか……、そうだね。決めるのは私。ありがとうございます、アレク」
殿下の両手をぎゅっと握りしめた。手のひらから感じる彼の熱も、とても熱くて私の手の冷たさが際立つ。
真っ直ぐに彼の瞳を除けば、先程よりも随分と元気になった私の顔が映っていた。いつも、この紫水晶が元気にしてくれる。これからもずっと。それはとっても心強くて、そして、少し甘酸っぱい。
今日は殿下に助けられてばかりだ。手紙を読んでいたら、本人が出てくるなんて想像もしていなかった。
「あ、そうだ。手紙!」
放置された手紙に目を向ける。すると、彼からの手紙が、所在無さげに扉の手前で、落ちていた。
「手紙?」
「昔頂いたアレクからの手紙を読んでいて」
ロザリアに送った手紙なのだから、読む権利がある。けれど、人に宛てたもののようで、彼に言うのは少しだけ気が引けた。
手紙を救い出す為に、席を立った。けれど、彼の手が私の腕をしっかりと掴んで、阻まれてしまう。
「待て、あれを読んだのか?」
「途中まで。良いところだったの。続きが気になる」
「手紙なんて後でいいだろう?」
殿下が珍しく慌てている。そんな様子に、余計に続きが気になった。あと一枚で読み終わるのだから、最後まで読みたい。けれど、彼は手の力を緩めたりはしなかった。
「アレク……?」
「ロザリー。手紙なんて放っておこう。あんなのいつでも読めるだろう?」
紫水晶が不安げに揺れる。必死になればなる程に気になるものだ。私の腕を掴む大きな手と、彼の瞳を交互に見る。どうしたものかと悩んでいると、背後から大きなため息が聞こえた。
「クリストファー!」
「お兄様?」
殿下の言葉に振り向けば、お兄様が物言いたげな目を向けて、殿下の手紙を拾っていた。お兄様は丁寧に畳まれた手紙を広げて、視線を落とす。
「『次に会ったら、六年分の思い出を交換しよう。眠くなるまで』」
「おいっ! やめろ!」
殿下の悲鳴のような声が部屋中に広がる。手紙の続きが気になる私はお兄様の味方をすべきか、殿下の味方をすべきか大いに頭を悩ませた。
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