99.侯爵令嬢は名探偵

「……なんのことかな?」


 頭の中がグルグルと回る。白を切り通すことが最善なのか、それとも素直に打ち明けるべきなのか。私は判断しかねていた。アンジェリカの人柄は痛い程分かっている。私の中の『ロザリア』は大丈夫だと笑っているけれど、本当にその直感を信用していいものか。


 彼女の表情は読み取れない。私をおとしいれる為のものなのか。それとも――


「別に、クリストファー様でも良いのよ。でも、私は事実が知りたいの。貴方の友人として」

「友人……」

「あら? 私、貴方とは随分と友情を育んできたと思っていたけれど、違ったかしら?」


 アンジェリカは首を傾げる。彼女の言葉に、私の胸につかえていた不安が段々と小さくなるのを感じた。彼女になら、本当のことを話しても構わないだろうか。真実を伝えても尚、友としていてくれるだろうか。


「白状なさい。名探偵のこのアンジェリカ様にかかれば、こんなの謎でも何でも無いのよ」


 アンジェリカは恋愛小説よりミステリー小説が好きなのだと、楽しそうに笑った。彼女は流行りの探偵の真似をする。きっと、両手を上げて降参すれば、アンジェリカはにっこり笑って許してくれるような気がした。けれど、私は敢えてしらを切る選択肢を選んだ。


「じゃあ、名探偵さんの推理を聞かせて貰えるかな?」


 私はいつも以上に、柔らかく微笑むことに注力した。いつもよりも優雅に、まるで何も感じていないように、ゆっくりとテーブルの上のティーカップを手に取る。アンジェリカの眉がぴくりと動いた。


 彼女と本当の意味で友となるには、今日ここで素直に白状すべきなのは分かっている。けれど、これはウィザー家の隠すべき秘密。そんなものを簡単に友に背負わせる訳にはいかない。例え、それで彼女と友でいられなくなったとしても。


 ティーカップを持つ手に力がこもる。僅かに紅茶揺れた。


「ええ、良いわ。まず、私が貴方をロザリア様だと思ったのは――」


 彼女は立ち上がり、腕を組み右手を顎に当てると、ゆっくりと歩き出した。まるで物語の一説のような雰囲気に、私はほんの少しだけ眉を下げる。


 アンジェリカは語り出した。何故、私が『ロザリア』であるという結論に至ったのかを。


 まずは、先日の一件。私が殿下を助けた際、彼は私の名を呼んだのだと言う。近くにした者達は、双子の『クリストファー』が女性の格好をしていたせいだろうと思っているらしい。クリストファーの正体が『ロザリア』であるというよりも、殿下の気が動転していたという方が納得もし易いからだろうと、彼女は言った。私はその言葉にほっと胸を撫で下ろす。今のところ、他の皆は騙せているのだから。


 けれど、彼女だけはクリストファーの正体を疑った。それは、一番近くで殿下を見てたからだと言う。


「あの時の殿下の反応は異常だったわ。何かを恐れているような、ね」


 殿下は油絵の下から私を救い出すと、駆け寄って来た人全員を振り切って、馬車に乗せたらしい。アンジェリカは思い出すように、目を細めた。私はこれ見よがしに肩をすくめる。


「でも、アレクは気が動転していたんだろう? 少しくらいおかしい行動を取っても変ではないと思うけど」


 アカデミーにもお医者様はいる。彼は私を守る為に行動していてくれたのだろう。ほんの少し嬉しくなって、頬が緩んでしまった。


 けれど、そのことが逆にアンジェリカが疑うきっかけとなったということだ。アンジェリカは私の横まで来ると、腰を屈めた。私に顔を寄せる。私は彼女を見上げて、眉を寄せた。近くまで来られてしまうと、心臓の音が聞こえてしまうのではないかと、不安になる。駆ける心臓を抑える方法などない。私は、顔をに出さない様に懸命に笑顔を作った。


「そう? 普通は馬車になんか乗せずに医者に見せるわよ。気が動転していてもね。だから、アカデミーの医者に見せられない理由があったと考えたわ。例えば……服を脱がせることができない、とかね?」


 名探偵には敵わないのか。私は小さく息をつく。


 不審に思ったアンジェリカは、今までのことを一つ一つ思い出していったと言う。


「貴方、男臭くないのよね」


 おもむろに言ったアンジェリカの言葉に、私は面食らった。アンジェリカの言う「男臭くない」の意味が分からなくて、首を傾げてしまう。男臭さはどういう意味なのか。私に足りないものは何なのか。


「他の子達にとってはそこが良いのだろうけれど。物語の王子様みたいだって、皆言っているもの。でも、もしも貴方が女で、男を演じているのだとしたら、筋が通ると思ったのよ」


 私の周りをぐるりと回ったアンジェリカは、ようやく椅子に座った。そして、喉を潤すように、紅茶を一気に流し込む。一気にティーカップを空にした彼女は、静かにティーカップをテーブルに戻した。コトリと音が鳴る。


 彼女は二つのことからクリストファーとロザリアの取り換えに思い至ったという。


「教えて。貴方はクリストファー様? それともロザリア様?」


 アンジェリカの真っ直ぐな瞳に見つめられて、私は静かに息を吸い込んだ。彼女は、きっと「クリストファーだ」といえば、「そう」と答えるだろう。けれど、そう言えば私達の関係はここで終わりになってしまうような気もする。私は眉を寄せた。


「貴方は何を悩んでいるの? 私のこと? それなら、安心して頂戴。貴方の秘密を漏らすつもりはない。私は友として、貴方の口から聞きたいだけよ。貴方がクリストファーだと言うのなら、私は信じるわ」


 彼女を巻き込んでしまうことを、良しとしてとして良いものか。きっと彼女は、何も気にしないのだろう。それが分かるから、簡単に「クリストファーだ」と返せない。私は肩を竦めた。


「もしも『ロザリア』だと言ったら?」

「そうね、女友達が一人増えるわ」

「『クリストファー』だと言ったら?」

「男と女の友情もあることが実証できるわね」


 アンジェリカはにっこりと笑った。あまりにも清々しい笑みに、何だか悩んでいることがおかしくなって、私は思わず肩を揺らした。


「何それ」

「あら、友人の性別は大切だわ」


 アンジェリカの笑顔に、「大丈夫」だと背中を押された気分になる。私は頬を緩めた。優しいアンジェリカに、このまま嘘をつくことなんてできない。私は腹を括ることにした。


「そうだね。私は『ロザリア』です。今まで騙していて、ごめんなさい」


 私は立ち上がり、深く腰を折る。今まで騙していたのだ。こんな謝罪で済むわけがない。けれど、私にはこれ以外の謝り方がわからなかった。


「そう……」


 彼女は考え込むと、そのまま肩を揺らして笑った。初めは声を殺すように、次第に揺れる肩が大きくなる。しまいには大きな声で笑い、腹を抱えた。


「笑ってごめんなさい。だって、今までずっと話しやすい男だと思っていたのよ。こんなことなら、もっと早く知りたかったわ」


 アンジェリカは、目にたまった涙を拭きながらも笑い続けた。何だか悩んでいたのが馬鹿みたいになる。


「嬉しいわ。女友達ができて。これからも仲良くしてくださる? ロザリア様」

「ロザリアでいいよ。でも今はクリストファーって呼んで欲しいけれど」

「そうね。貴方がクリストファー様でいる限りはそう呼ぶわ」


 アンジェリカは、私の目の前に手を差し出した。不敵に笑う彼女の顔はどことなくすっきりして見える。


「よろしく。リア」

「リア?」

「友達だもの。あだ名は必要でしょう? 私はアンジーよ」


 何だかくすぐったくて、私は頬を緩ませた。なかなか手を取らない私に、アンジェリカは首を傾げる。私は慌てて彼女の手を取った。


「ごめん、『ロザリア』にとって、初めての友達だから」


 幼い頃、私はお兄様の隣から離れなかった。お兄様から離れて、他の女の子と遊ぶなど考えもしなかったのだ。そして、本来友人を作るべき時期に、私は別邸に篭りきり。本当に彼女が初めての友人だ。私は嬉しいような、恥ずかしいような、とても不思議な気持ちで一杯になった。


「光栄だわ」


 アンジェリカの握る手に力が入る。私達は少しの間だけ、笑い合った。


「まだ聞きたいことは色々あるのよ。明日はアカデミーに来れそう?」

「勿論、明日から行くつもりだよ。これ以上皆に迷惑かけられないしね」


 芸術祭の準備はまだまだ残っている。演劇の練習だって終わっていない。本当は休む暇なんて無いはずだ。


「そうね、貴方がいないだけで空気がどんよりしているもの。早く来てくれるのは助かるわ。それに――」

「それに?」

「殿下も相当疲れが溜まっているわ。貴方の顔を見れば少しは和らぐでしょう」

「アレクが? なぜ?」


 聞けば、私が休んでいる間に、各方面から芸術祭に関して反対の声が届いているらしい。殿下はそれの処理に追われているようだ。アンジェリカが言うには、今回の芸術祭で日の目を見ない子供の親や、アカデミーに席を置かない子供の親が主立っているらしい。


 他の家の子が王太子殿下とお近づきになる機会が増えるよりかは、何もない方がまだ良いと考えたのだろう。反対理由もこじつけのような言い分が多いらしく、殿下は手を焼いているらしい。


「そうか」

「貴方が来れば少しは楽になるでしょうし、大丈夫よ」


 アンジェリカが安心させるようににっこりと笑った。けれど、「はい、そうですか」と言えるわけもなく、私は眉を寄せた。


 今私にできることって何かしら?


 いてもたっても居られなくなって、私は思いっきり立ち上がる。


「そうだ、行こう」

「え?」

「アカデミーに。明日まで待って居られない」


 私は、困惑しているアンジェリカの手を掴む。彼女は慌てながら、立ち上がってくれた。そして、文句を言いながらも、私の後を着いてくる。


「無理はするんじゃないわよ?!」

「わかったから。早く」


 私はアンジェリカの言葉を聞き流し、ずんずんと進んだ。彼女は立ち止まると、掴む私の手を振り解く。


「もうっ! 仕方ないわね。うちの馬車を使うわよ!」


 アンジェリカの声が廊下に響く。いつもよりも、ほんの少しだけ楽し気だった。

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