92.鷹の子は鷹

 すっかり会議の場と化した王室専用サロンは、会議がしやすいようにレイアウトが変えられていた。特筆すべきは執務空間と会議用の空間、休憩用の空間が分けられたことだ。たった一晩で驚く程の変わりように、私とアンジェリカは二人揃ってだらしなく口を開けてしまった。


「必要だろう?」


 殿下の言い分である。朝一番に訪れて、呆然とサロンを見ていた私達に、殿下はあっさりと言ってのけた。ごもっともと頷く傍ら、いささか強引な準備に苦笑を浮かべたのは、私だけではない筈。アンジェリカの眉間がひくりと僅かに動いた瞬間を、確かに確認したもの。


 一新したサロン。殿下、アンジェリカ、レジーナと私。四人が揃ったのは、夕刻近くになってからだ。芸術祭が近づいてきているからと言って、授業が無くなるわけではない。それぞれ授業を受ければ、全員が揃うのは結局日が傾きかけた頃だった。


 新しく用意された大きな会議用の机を囲む。この四人で集まったのは初めてで、私は少し落ち着かない。


「始めようか」


 殿下の号令で始まった会議は順調も順調。サクサクと進む。アンジェリカは既に演劇以外の新しい演目の追加を取り付けてきていた。


「後は出演者だけよ。勿論ある程度は固まってるんでしょうね?」


 一仕事終えたアンジェリカは、腕を組んで余裕の表情を見せる。アンジェリカの挑発的な言葉に、私は小さく肩を竦めた。


「女性達の何人かは確約を貰っているよ。男性陣は、ある人に動いて貰っているからその報告次第かな」


 私はアンジェリカに笑顔を返しながら、少年のキラキラした笑顔を思い出していた。



 ◇◇◇◇



 日中は授業が有るとはいえ、全ての時間拘束されているわけではない。空いている時間をだらだらと過ごす程の余裕は無かった。私は授業の合間をぬって、新たな協力者に声を掛けることにしたのだ。


 アカデミーの中を歩けば、いつもよりも多くの人に声を掛けられた。芸術祭の話は、たった一日経たない内に、あっという間に広まっていたらしい。噂が広まったことによって、話もしやすくなった。突然の呼び出しにも関わらず、目の前の少年は不審がらずに私の後を着いて来てくれたのだから。


「突然呼び出してごめんね」

「いえ、ウィザー公爵家のご子息であられるクリストファー様に声を掛けていただけて、嬉しくない者などいませんから」


 くりくりとした大きな瞳を輝かせて、私を見上げる。彼の名は、ノア・ベルナール。ベルナール伯爵家の長男だ。歴史の長い伯爵家である彼は、ヴァイオリンが得意らしい。家名も特技も今回の協力者としては適任だった。


「噂は耳にしていると思うけれど、君には是非芸術祭でヴァイオリンの腕前を披露して貰いたいんだ」


 出演を断られてしまうと、それ以上の協力を乞えなくなる。できれば頷いて欲しい。私は不安を胸に抱きながら、ノアを見つめた。私の不安を余所に、ノアは人好きのする笑顔を返す。


「勿論、お引き受け致します!」


 即答も即答。殆ど考える暇も無かったように思える。驚きつつもホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。ノアは、恥ずかしそうに頬をかいた。


「お恥ずかしい話、今朝友人から噂を聞いた時から、もし声を掛けて頂けたら絶対に参加しようと思っておりまして」


 ノアは意気揚々と語り出した。演劇以外の新しい試みがあることへの期待や興奮、芸術祭で己も舞台に上がれるかもしれない喜び。アカデミーに通う生徒の多くが、今年の芸術祭に期待をしていること。彼の上気した頬や、熱い眼差しから嘘ではないということが見て取れる。


 まるで子犬が尻尾を大きく振っているようだ。今にも飛びつかれそうな勢いに、私は数歩後ずさった。


 ノアはまだ話足りなさそうにしていたけれど、このままでは埒があかない。私は小さく咳払いすると、口角を上げた。


「良かったらもう一つ頼みを聞いてくれないかな?」



 ◇◇◇◇



「つ・ま・り、笑顔で押し切って、てい良く押し付けたってワケね」


 アンジェリカの冷たい視線を浴びながら、私は二度頭を左右に振った。


「そんな、彼は快く引き受けてくれたよ」


 言葉の通り、ノアは快く引き受けてくれた。頭が取れそうなくらい頷く彼の姿が脳裏に過ぎる。私が内容を最後まで説明するのを待たずして、「勿論やります」と言った彼の真剣な目は忘れられない。彼には快く引き受けて貰ったことを主張する為に、私はとびきりの笑顔を見せた。


「その笑顔が怪しいのよ。貴方、優しそうな顔して押しが強いのよね」


 アンジェリカの大きなため息はサロンを駆け巡った。彼女に同意するように、紅茶を一口飲んだ殿下が大きく頷く。そこは援護してくれても良かったところではないかしら?


 レジーナにも冷たい視線を投げられた。三対一。背水の陣だ。けれど、アンジェリカはそれ以上私を追い詰めるつもりも無かったらしい。手にしていた資料をポイッと机に投げながら笑った。


「ま、これから忙しくなるし、良いんじゃないの」

「そうだな。人に任せられるものは積極的に任せれば良い。良い人材が見つかるかもしれないしな」


 アンジェリカの言葉に、殿下は口角を上げる。悪巧みでもしているような笑顔に、アンジェリカはほんの少し眉を顰めていた。後になってアンジェリカに、「あの男、これを機に使える人間を見極める気よ」と耳打ちされたことは、殿下には秘密だ。私はその言葉に肩を竦める他無かった。


 新しい演目については今後レジーナに任せる事となった。私は綺麗にまとめられた資料をレジーナに手渡す。ノアのことも任せて良さそうだ。私は肩の荷が下りたことにホッとした。


 けれど、まだやることはある。私は、「これで会議は終わり」という雰囲気を察して、思わず声を上げた。腰を上げかけていたアンジェリカとレジーナは私を見て首を傾げた。


「実は、皆に提案したいことがあるんだ」


 私は、昨日お兄様とお話しした舞踏会について提案を始める。「無理だ」と、あっさり切り捨てられることも覚悟した上で、コンテスト形式の話も 持ち出した。殿下は真剣に話を聞いてくれたし、アンジェリカの反応も悪くない。レジーナは、コンテスト形式の部分で一瞬眉を寄せたけれど、頭ごなしに否定はされなかった。


「あら、良いんじゃない? 私はそういうの嫌いじゃないわ」

「コンテストの内容は詰める必要が有りそうですけれど、わたくしも賛成ですわ」


 アンジェリカとレジーナの同意を得て、私は殿下の方に視線を向けた。ほんの少しの沈黙が、不安を煽る。


「舞踏会か。皆が参加できるものを最後に持ってくるのは悪くないな。忙しかった者には慰労の意味も込められる。よし、話を進めよう」


 殿下も頷くと、私ではなくアンジェリカに視線を投げた。私に向けられた視線では無かったけれど、無言の圧力を感じる。アンジェリカも同じく感じたようで、頬がひくりと動いた。


「ええ、そうよね。私に回ってくると思ってましたわ」

「頼りにしている」

「はいはい。わかっているわよ。殿下、クリストファー様も借りますわね」


 殿下の言葉に満更でも無さそうなアンジェリカは、立ち上がると、私の腕を力強く引っ張った。どうやら、すぐにでも動くらしい。アンジェリカの行動を見て、殿下が「以上だ」と締めくくった。


 私は、無理矢理アンジェリカに腕を引かれながらサロンを出た。苛立ちを募らせる彼女の横顔を皆がら、ぼんやりと「昨日と同じだな」と笑った。


「あの男、影で何て言われていたかわかる?」

「アレク? さあ……」

とんびよ。鷹のから生まれた鳶」


 殿下がそんな風に呼ばれていたのは初めて聞いた。つまり、殿下の唯一の御学友である『クリストファー』には言えない、嘲笑が含まれているあだ名ということだ。


「私このアカデミーが大っ嫌いなのよ。でも、アカデミーは変わるわ。あの男が変える。楽しみね」


 アンジェリカが口角を上げ、ニヤリと笑う。彼女の背中は、どこか楽しそうだった。

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