45.赤薔薇の恋文2

「あら、では彼女がチェックメイトをかけたというわけではないのね」


 刺さるような視線を浴びながら、カフェテリアの中央の席に座してからまだ数分しか経っていない。店員によって出された紅茶は湯気が立っている。


 アンジェリカが「ここのクッキーは美味しいのよ」とクッキーも注文したことから、長期戦となることが伺えた。一人になりたくないからと、アンジェリカを誘った代償は大きかったみたい。


 誤魔化すようにクッキーを一つ取って口に放り込めば、「クッキーはお好き?」と聞かれた。突然何かと首を傾げれば、私がいつもしているように、肩を竦められたわ。


「カロリーナ……、妹に『お姉様、クリストファー様の好みを聞いてきて』ってお願いされただけよ。何なら他の情報を戴いても良いのよ?」


 ほっそりとした白魚の様な手が、上品にティーカップを持つ。


「それで、クッキーはお好きなの?」

「あー…その話だったか。そうだね。クッキーは好きだよ」


 バターのたっぷり入っているクッキーは、シシリーとのお茶会でも定番のお菓子だもの。


「他にはお好きな食べ物はあるのかしら?」

「そうだな……プラムかな。……いや、食べ物の好みを知ってどうするのかな?」


 その情報がどこで活かせるのかわからないわ。カロリーナと私の関係なんて、夜会でダンスをしただけの関係。それも、たったの二回よ。


「あら、女は好きな男のことなら、何でも知りたいものなのよ」


 常識だ、と言わんばかりに胸を張られれば、「そうですか」と返事するしかない。そんなものなのかしら。


「好きって、二回しか会ったことの無い男だよ? しかも、たったニ曲の間だけ」


 二曲分の間に、ロマンスは生まれるものなのか。私は首を傾げる。


「恋愛小説では良くある話じゃない。初めて手を合わせたその瞬間に恋に落ちるなんて。ああ、男の貴方は読まないわよね」


 ええ、そうね。そういう話なら良くわかるわ。なんて心の中で頷きそうになってしまう。私が読んだことのある恋愛小説でも、一目見つめ合ったその瞬間から、二人の恋の物語が始まっているような物があったわ。そう言われてしまえば、恋に時間は関係ないのかもしれないわね。「ふむ」と、納得顔でようやく私はティーカップに口を付けた。


「それに、貴方は少し、似ているのよ」

「似ている?」


 小首を傾げると、スッと一冊の本がテーブルに置かれた。読み込まれ、折り跡まで出来ている本を、パラパラと捲ると、それがすぐに恋愛小説の類いであることが分かった。


 私の知っている小説ではないみたい。ウィザー家の蔵書に同じ物はなかったように思える。比較的新しい本なのかもしれないわ。


 パラパラと捲れば、アンジェリカは説明を加える様に話し始めた。


「この話に出てくる王子様よ。見目麗しく、優しい王子様。女の子の理想そのままのような、ね」


『柔らかく揺れる髪からは、甘い薔薇の香りがふわりと漂い、少女を包み込む。彼の甘い眼差しは、少女の心を溶かした』


 小説の一節を掬い取って、私は大きく目を見開いた。


「この『王子様』に似ている?」

「あら、似ていない? カロリーナなんて、何度も読み返して、自分と貴方に置き換えて悦に浸っているわよ?」


 それは聞きたくない情報だったわ。考えただけで、頭がクラクラする。肩肘を立て、額に手を当てて小さなため息をついてやり過ごせば、アンジェリカは楽しそうに声を上げた。


「カロリーナは、良い子よ。しかも王太子妃候補だから、教育もしっかりされているし、未来の公爵夫人には相応しい教養くらい持っているわ。それに器量もいい。優良物件だと思わない?」


 にっこり笑って妹を推薦する彼女を前に、私はもう一度、ため息をついた。


「王太子妃候補を横からかすめ取るのは、些か外聞が悪くはないかな?」


 苦笑して、反論すれば、「あら、そんなこと?」とでも言いたげな顔を返されてしまう。


「あら、まだ候補よ? 候補なんて、他にだって沢山いるわ。それに、お父様だってウィザー家なら文句の一つも言わないわよ。それに、王太子殿下には意中の人がもう居るみたいだし」


 黒い瞳が私をまっすぐ見つめる。私の奥の何を見透かそうとしているのか。


「意中の、人。ね」


 殿下が国王陛下や王妃様にすら情報をどこで手に入れて来たのか。きっと、彼の意中の人は私と、そしてお兄様しか知らない筈なのに。


「ええ、誰かはわからないけれど。だって、どんな令嬢を相手にしても心ここにあらずなんですもの。そうね……貴方は、きっと知っているのでしょう?」


 無言は肯定となる。だからと言って、否定すれば嘘になる。お手上げだわ。


「意中の人がいれば、両陛下の前に連れていけば終わりだろう? わざわざこんな所に編入する必要も無かったと思うけど」

「そうね。連れて行ける相手なら、ね。例えば、あら……そういえば、貴方の双子の妹……ロザリアさんは病気で療養していてデビューは控えているんですってね?」


 黒い瞳がキラリと光る。ご名答。「打つ手なし」と、心の中で思わず両手を上げてしまったわ。私は、黙秘を宣言する様に、冷めはじめの紅茶が並々と入ったティーカップを、口に運んだ。ふわりと紅茶の香りが鼻を擽ったけれど、今は何の癒しにもならない。


「まあ、私としてはカロリーナが幸せになれればそれで良いのよ」

「随分妹贔屓なんだね」

「貴方なら、私の気持ち充分理解できると思うけど?」

「そうだね。妹は何よりも大切だ」


 澄ました顔で頷いた彼女は、最後の一つのクッキーを口に入れた。黒い瞳がまっすぐ向けられる。


「ですので、貴方がマリアンヌ・ウェルザー男爵令嬢とのよからぬ噂で困っているのなら、それを払拭する手伝いをするのも吝かではないわ。ですもの」


 アンジェリカが目を三日月の様に細めて笑った。良からぬことでも考えているような笑みを見せた彼女に、私は何度目かのため息をついた。









 それから数日、いつもと変わらない生活が続いたわ。残念ながら、マリアンヌとの噂は消えてはいない。特別用事もないため、マリアンヌに会いに行ってはいなかったのだけれど、なぜかそれが噂に拍車をかけた。


 アンジェリカ曰く、『マリアンヌ・ウェルザー男爵令嬢に気を使って、クリストファー様はお会いになるのを控えているという話になっている』らしい。誰がそんな妄想を垂れ流したのか。頭を抱えそうになるわ。


 殿下の周りも、相変わらず騒がしい。それもそのはず。空いた時間必ずと言って良い程、レジーナが隣を占領しているから。殿下は朝、わざわざ私を出迎えてくれていたのだけれど、それがパタリと止んだ。止めざるを得なかったと言った方が正しいわ。


 殿下は王室専用サロンに朝から逃げていたの。殿下が「毎日キンキンと煩い」と苦言を呈するくらいには、毎日レジーナに付きまとわれている。


 何日目かの昼下がり、殿下とお茶を飲む機会があった。その日は刺繍の授業があるらしく、令嬢達はこぞってその授業に参加する。その為、レジーナから解放された殿下は、意気揚々と私を引っ張ってカフェテリアに来たの。


「あれをどうにかしてくれ」

「あれとは?」


 わざとらしく小首を傾げれば、殿下の眉間に皺が寄る。どうやら本当に苦しんでいるようだわ。


「『どうにか』と言われましても、ね」

「助けてくれても良いだろう?」

「お姫様を助ける騎士ナイトの様に?」


 にっこり笑えば、益々彼の眉間の皺が深く刻まれる。いつか刻印の様に張り付いて取れなくなってしまうかもしれない。と、私は自らの眉間に人差し指を当てて、皺の無い眉間を伸ばして見せた。結果は、ますます殿下の眉間の皺が深くなるだけだったけれど。


「いや、良い。自分で何とかする」

「そうですか。残念です。颯爽と姫の前に現れて、助け出す私の雄姿を見せられないのは」


 これ見よがしに肩を落として落胆する姿を見せれば、殿下の冷たい視線が向けられる。


 私達の楽しいお茶会はそう長くは続かなかったわ。授業を終えたレジーナが颯爽と現れたの。どうしてすぐに、殿下の居場所がわかるのか。それくらい早く見つけられる。殿下からにじみ出た、うんざりとした表情は、その日の夜の夢に出てくる程だったわ。


 殿下と二人で、男だけの華のないお茶会をした次の日、私はいつも通り、ウィザー家の馬車に揺られてアカデミーに登校した。


 殿下の出迎えが無くなった今、真っすぐ教室に向かうわけではなく、王室専用サロンに殿下を迎えに行くのが日課となった。サロンの扉の前には、逞しい体躯の護衛官が二人程待ち構えている。アカデミー編入の為に用意された護衛官だと言うのだから驚きだわ。


「おはよう、アレクはいる?」

「おはようございます。クリストファー様。王太子殿下は在室中でございます。どうぞ中へ」


 扉を丁寧に叩き、開いてくれる。彼らにお礼を言えば、無言で礼が返された。


「おはよう、アレク」

「ああ、クリスか」


 驚いた様にこちらをみるけれど、このサロンに他に誰が来ると言うのか。編入当初から「私とクリストファー以外の入室を禁ず」と達したのは殿下だわ。


 ずっと、殿下は心ここにあらずと言った具合に、ソワソワしている。


「何かあったのですか?」

「いや、大したことではない」


 サロンを出ても、廊下を歩いていても、そればかり。大したことがないという割には、私の話には空返事だし、まるで「何かあります」とでも言いたげだわ。


 教室に向かう途中、予想通り、待ち構えていたレジーナに隣を取られた。私は、レジーナといつも行動を共にしている二人の令嬢に挟まれて教室に向かう。これも最近ではいつもの光景。


 レジーナに話掛けられている間も、殿下はやっぱり心ここにあらず、といった感じで、空返事だ。今なら「婚約者にして下さい」と言ったら「ああ」と返事をしそうだわ。


 教室に入ると、多くの生徒に出迎えられる。殿下の存在にも慣れてきたのか、緊張感も幾分か減ってきている。私は二人の令嬢に開放されて、席についてホッと胸をなで下ろした。


 私の二つ離れた所が殿下の席だ。珍しく殿下はレジーナのか細い腕を振りほどき、私の所までやってきた。この数日で初めてだわ。いつもは嫌々ながらも、レジーナの相手をしていたというのに。


「クリス。頼みたいことがある」


 やはり、騎士ナイトのように助けに出てきて欲しいというのかしら。首を傾げると、彼は胸ポケットから一通の手紙を取り出したわ。


「これを、ロザリーに」


 赤い薔薇があしらわれた封筒は、王妃様から赤薔薇を賜った王太子殿下のみが使用することを許されている。王太子殿下からの、正式な手紙というわけだ。


 今、教室中の視線が集まっている。誰かの唾を飲みこむ音が聞こえてきてしまいそうな程、シンッとしているわ。


「……これは?」


 極力小さく声を出したというのに、教室の隅々まで響き渡る。嫌な予感がした。


 彼が『ロザリア』に手紙を送るのはこれが初めてではない。けれど、ただの一回切りだった。手紙を受け取ったけれど、殿下は答えなかった。けれど、殿下が小さく深呼吸したのが聞こえる。


「恋文だ」


 瞬きを二回。手元からひらりと手紙が床に逃げた。私が言葉を発する前に、教室が騒めいた。一人一人の言葉は聞き取れないけれど、驚きの声が上がっているようだ。驚く声を教室中に奪われた私は、ただ大きく目を見開いただけだった。

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