18.赤薔薇の王子3

 さて、困った。本日二度目の困っただわ。


 私はゆっくり息を吸った。だって、どうしたって、アレクセイ様に『ロザリア』は会わせられないんだもの。


「それは、無理ですね」

「何故だ?」

「彼女は、殆どの時間をベッドで過ごします」

「一目で良い。ただ、ロザリーに会えれば」


 私を見上げた彼の紫水晶の瞳は、とても真剣で、心が揺れたわ。


「何故、会いたいのですか?」


 私は、声が震えそうになるのを抑えるので精一杯だった。アレクセイ様の端正な顔が歪む。


「会って、謝りたい……」

「ロザリーはあの日のことを殿下のせいだとは思っていません。だから、安心して下さい」


 私は、大丈夫だと伝えたい。『クリストファー』の言葉を使って『ロザリア』の気持ちを伝えるなんて、狡いかもしれないけれど。


「私は、私は好きな女の子一人護れなかった」


 私の中に『ロザリア』の胸がドキンッと跳ねた。顔を反対側に逸らしたアレクセイ様の表情は見て取れなかったわ。でも、良かった。今、私は一瞬、『ロザリア』になってしまったかもしれない。ずっとずっと奥底にしまっておいた宝箱の蓋が開いてしまった。


 今は私の顔を見られたくない。私はくるりと回り、アレクセイ様に背を向けた。薔薇が嘘つきの私を嘲るよう赤々と咲いているわ。それはそれは彼みたいに真っ直ぐな、綺麗な赤い薔薇。


「ロザリーは、憧れの王子様を庇ったことを後悔などしていません。だから、謝る必要はありません。どうか、妹のことは忘れて下さい」

「五年も拗らせたんだ。忘れられるわけがないだろう?」


 背中で聞く彼の声は真剣そのもので、諦める気配はない。でも、私は首を縦には振ることができないんだもの。困ったわ。


「……ロザリーは、忘れているかもしれません」


 苦し紛れの一言だった。「忘れるわけがない」と『ロザリア』が叫んでいたけれど、私はそれを聞かないふりをして、唇を噛み締めた。


「それを、確かめさせてはくれないか?ロザリーが私に気持ちがないことがわかったら、二度と会わないと約束しよう。だから」

「無理です」


 ああ、思わず強く言ってしまった。きっと、アレクセイ様は驚いているでしょうね。振り向くのが怖いわ。


「何故、駄目なんだ?教えてくれ、クリストファー」


 ずっと背を向けているわけにはいかない。私はクリストファー・ウィザーなのだから。

『クリストファー』特有の笑顔を顔に貼り付ける。不自然でも構わない。不自然に見えるくらいで良い。くるりと振り返ると、アレクセイ様と紫水晶の瞳が私を捉えた。なんて強い瞳なのかしら。


 アレクセイ様は私の顔を見て怪訝そうな顔をした。こんな時に笑ってるなんておかしいものね。


「病気だからです。ロザリーの病気は……」

「病気は……?」

「いえ、その話はやめておきましょう。殿下、私の一存ではロザリーの元へは絶対に連れて行くことができません。ですから、ロザリーに、手紙を書いて下さい。会いたい、と。私ができるのは、その手紙を手渡すことだけです」


 アレクセイ様は納得してくれるかしら。「会いたい」と手紙を書いてくれたところで、返事は決まっているけれど。『クリストファー』から聞くのと、『ロザリア』からの返事ではきっと違うもの。


「……わかった。手紙を書こう」

「ありがとうございます」


 アレクセイ様が頷くと、私は素直に頭を下げた。顔を上げるとまた、ジッと私の顔を見つめる紫水晶の瞳とぶつかった。私の奥の奥にしまい込んである『ロザリア』を見るような真っ直ぐな瞳はとても苦手だわ。


「クリストファー、お前とロザリーは今でも似ているのか?」

「ええ、性別と性格以外はそっくりだとよく言われます」

「そうか」


 そんなに見つめられたら、穴が空きそうだわ。でも、一つだけわかる。彼は私を、『クリストファー』を見ていない。私こそが彼の探している人物である筈なのに、私のことなんてこれっぽちも見ていないの。なんだか面白いわ。


 私はとうとう我慢ならず、クスリと笑いを漏らしてしまったわ。


 アレクセイ様が不思議そうな顔でこちらを見ている。


「失礼しました。殿下の私からロザリーの面影を追っていらっしゃる姿に、少し心引かれてしまったようです」


 アレクセイ様は、顔を赤く染めて、視線を逸らしてしまった。私は笑いを噛み殺したが、揺れる肩を止めることはできなかった。


「うるさい。私は一度自室で手紙を用意してくる。お前は庭園でも眺めていろ」

「かしこまりました」


 こちらを見ないアレクセイ様に、恭しく礼をすると、乱暴な足音が私から遠ざかっていった。


 私は小さくなったアレクセイ様の後ろ姿を見送る。


「真っ直ぐな人だ」


 わかりやすく表情が変わる。貴族らしくも王族らしくもない。私の嘘を一つも疑わない。


 空になったガゼボの長椅子に、私は腰掛けた。ここから見る赤い薔薇も美しいわ。良く手入れされた美しい薔薇。きっと、王妃様が度々ここに訪れてこの薔薇を愉しむののね。


 セノーディア王国の王太子である、アレクセイ・セノーディアは『赤薔薇の王子』と呼ばれていると、シシリーが教えてくれたわ。


 王妃様は花が大好きで、人を花に例えることがある。私のお母様も王妃様に「アイリスの様だ」と、形容されてからは『アイリスの君』なんて呼ばれることもあるらしい。


 お母様のお手紙にはアイリスの透かしが施されているし、ドレスにもアイリスの刺繍があしらわれている物も多い。


 王妃様に花に例えられるのは貴族にとってはとても名誉なことなのだとか。


 シシリーの話に相槌を打ちながら聞いていたけれど、アレクセイ様は、プラチナブロンドの髪に紫水晶の瞳。赤い要素など一つも無いのに不思議だと疑問に思ったのはつい先日。


 今ならわかる。とても赤い薔薇の様に、情熱的な人だから。そんな、彼に嘘をつき続けることにとても胸が痛んだ。


 もしも、クリストファーとロザリアの秘密を知ってしまったなら、彼は傷つき、絶望してしまうでしょうね。嘘だらけの私達をもう信頼してくれなくなるかもしれないわ。


 あるかもしれない未来を思い浮かべて、痛んだ胸を押さえる。


 ふと、辺りを見回すと、ガゼボの柱に佇む一際大きな赤薔薇と目が合った。まるで、彼みたいで、私は薔薇の前に立つと、胸に手を当て、礼を取った。私の胸元に近い位置に咲いている大輪の赤薔薇は、何も言わない。ただ、ジッと私を見ているだけ。


「クリストファーとして、貴方の側にいることをお許しいただけますか?」


 赤い薔薇は何も答えない。けれど、そよそよと風が吹いて、花びらがひらひらと泳いだ。返事をされているみたいな気分になって。笑みがこぼれる。


 私は少し屈んで赤薔薇に顔を近づけた。薔薇の香りが強く感じられる。この香りが私は好きだ。そして、私は瞳を閉じて、花びらに触れるだけの口づけを落とした。


「初恋は実らない、と言うだろう?ロザリー」


 私の奥の奥に眠ってる『ロザリア』を諭すように、私は声を出した。


 私は目の奥に熱を感じて、ガゼボの屋根の先、青い大空を見上げた。青い、青い空だ。雲一つないその大空が優しく包んでくれる。


 ああ、このまま風になって、どこの誰でも無くなってしまえばいいのに。


 早く、いつものクリストファーに戻らなくては。アレクセイ様がーー殿下が戻ってきてしまう。


 私は『ロザリア』を奥底の箱にしまって、鍵を掛けた。今度はもう出てこないように、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る