15-②:怨霊と友

『待ってくれ…!』

『…?』

 女が目を開けると、銀髪のよく見知った男が、化け物をかばうかのように手を広げて立っていた。


『ジュリアン・アークライト…』

『こいつはオレの大事な友達なんだ。消すなんて、そんな事しないでくれ!頼む、オレが何とかするから!!』

 ジュリアンはぱちんと両掌を合わせて懇願する。



『…何とかするだと?…一介の守護霊のお前がか?』

 女は「笑わせるな」と言った。


『今更何ができる。今までセシルの守護霊をやってきたお前なら、よくわかっているはずだ。こいつはセシルの前世でありながら、来世の幸せを願うどころか、セシルを自身の感情に巻き込み利用しようとばかりしてきた。魂の故郷グループソウルへと帰り、高次の自己ハイヤーセルフとして来世を守る存在になるか、または守護霊として生ける者たちを導く存在になるという役目を放棄し、人々に徒なす怨霊と成り果てた。その上、あろうことか来世の自分に憑りついて、自身の望みを果たそうとしていたんだ。…お前が私と同様、この男を何度も救おうとしていたのはよく知っている。だが、この男は今まで、お前の呼びかけに答えたことが一度でもあったか?それどころか、セシルを守ろうとするお前の行動を、邪魔ばかりしてきた。そんな男を今更どうやって救う?救えるはずなどないだろう?』


『だけど…!』


『お前と私のその甘さが、セシルを殺したんだ。…この男を救いたいなんて、思わなければよかったんだよ。彼など、元より救えるはずがなかったんだ。私はそれを知りつつも、一縷の望みにかけてセシルを産みだした。お前はそれを知りつつも、一縷の望みにかけてこの男に呼びかけ続けた。叶うはずのない望みを悠長に信じ続けていたせいで、セシルという人格を宿した分霊は、取り込まれ永遠に消失したんだよ…』

『……』


『…イゼルダが言ったんだ。彼はお前の唯一の気がかりと後悔だから、彼をこちらに連れてきても良いと。そして、彼のことはお前にすべて任せてあげると。この世界に徒なす異世界生まれの怨霊を、イゼルダは受け入れあえて放置した…私のために。そのイゼルダの優しさに、2000年もの間私は甘えつづけていた。そして、この男はその間にこちらの世界に数々の混乱を引き起こし、後戻りできないぐらいに負の感情だけが膨れ上がり、異形のものと成り果てていったんだ』


 女は目をぎゅっと閉じて、やりきれないという顔をした。ジュリアンも、もう何も言えなかった。




『…テス』

 ジュリアンは、もだえ暴れ続ける怪物を見た。しばらくじっとその姿を見ていたが、やがてジュリアンは意を決したように、女の方を向く。


『あいつを楽にしてやってくれ。今まで散々苦しんできたんだ。楽になることもまた本望だと思う。だから、消してやってくれ』

『……』


 女はジュリアンの真意を探るかのように、じっとその目を見る。しかし、ジュリアンは、へらっと笑ったようだった。


『これでオレもお役目御免だ。後はオレの来世の世話でもするよ。お前もよく知ってるだろうけど、レスターって男でこれまた良い奴なんだ。前世の縁で、セシルと夫婦になってな…。……たぶんこれからが大変になるだろうから、後はセシルの代わりにオレがしっかりと面倒見てやるよ』


 ジュリアンは、『あ~やっとバカなダチから解放される、清々した』と組んだ腕を頭にやり、背を向けた。その前ではきっと泣きそうな目をしているのだろう。だから、女は『達者でな』としか言えなかった。ジュリアンは『ああ』と鼻声で言うと、片手を後ろ手に振った。そして、白い光の粒子となり、消えていく。



『……』

 女はそれを見送ると、化け物に向き直り、剣に力を込めた。


『恨むなら私を恨め』

 女は跳躍した。そして、異形の化け物となった男に、剣を振りかぶる。


『お前がこうなったのはすべて、私が無力だったからだ』

 かつてのその者の無邪気な笑顔を思いだしながら、女は剣を振るった。振った瞬間、女の瞳から水の雫が二つ、黒い水の中に散った。


 そして、金色の光が化け物に向かって、勢いよく放たれた。



『ギャアアアアアア!!』

 化け物の断末魔があたりに響く。身もだえ、金色の光に焼かれて消えていく化け物。そのまぶしすぎる光と熱すぎる熱は、周囲の黒い水をも浄化し、透明な物へと変えていった。


 女は目も開けられないほどのその光景に、しかし目をこじ開け続け、すべてを瞳に焼き付ける。



―これは、私の罪だ

 女は思う。


―この罪は、寿命のないが、永遠とも言える時間、ずっと背負い続けるべき業だ



 やがて、化け物は一筋の黒い靄を残し…それすらも金の残り火と共に焼かれて消えていった。




―…この世の本質は地獄。実は希望など存在しないのに、希望をほのめかし続け、地獄の中を生かし続けさせる。それが運命やつらなんだ



『……なあ、テス。この世は地獄じゃないんだよ。幸せだってあるんだ。ただ…』

 女は透明となった水の中、ふらふらと化け物―かつてテスだった分霊が消えた場所に歩み寄ると、力なくしゃがみこんだ。髪の組紐を解くと、それに息をふっと吹きかける。すると、それは四つ葉のクローバーになった。


『…お前が生きた時代の幸せってのは、広い戦場の中にある、四つ葉のクローバーみたいなものだったんだ。火の手から逃げ、銃の雨の中を抜けながら、あるかどうかもわからないちっぽけなそれを、一生懸命求めて探すしかない時代だったんだ…。もっと平和な時代に産まれていれば良かったんだろうが、もうあの世界は傷だらけで息絶える寸前だった。人間達が暴走し、自らの世界を取り返しがつかなくなるまで傷つけ汚してしまった。もう神の力をもってしても、どうにもならなかったんだ…』


 女は、そのクローバーを化け物が消えた場所に、そっと置いた。しばらく落ちる沈黙。やがて、置かれたクローバの上に、ぽたり、ぽたり、と透明な雫が落ちた。


『私は、私は…前よりは平和なこの世界で、今度こそお前に幸せな人生を送ってほしかった。だけど、お前のカルマは重すぎて、次には到底普通の人生を送れるものではなかった。またお前を産みだしたら、お前は前よりも辛い目に合うことは分かっていたんだ。だから、2000年もの間、再生させなかった。こんな結末になることが、心のどこかで分かっていたから。だけど、もしかしたらと、一縷の望みをかけてやったんだ。なのに結局、こうなってしまって…』


 透明な雫が、ぽたぽたぽたと断続的に落ち始める。水の中なのにもかかわらず、その涙だけは不思議と雫となり、クローバーの上に降り落ち続けた。


『私は、前の世界では誰も救うことができなかった。だから、せめてお前だけは救いたかったよ…』




 何もない、透き通った水に満たされた、白い空間。

 誰もいなくなったその真ん中で、女神は泣き続けていた。



『ナギ…』

 迎えに来た男神が、その肩にそっと触れるまで、ずっとずっと泣き続けていた。




 やがて女神は、男神に肩を支えられながらどこかへと去っていった。

 そして、その空間には誰もいなくなる。


 女神が残したクローバーだけが、その場でずっと、ゆらゆらと水に揺らいでいた。










 しかし、やがて、そのクローバーはぴょこんと立ち上がった。女神の涙が染み込んだ水底に茎を差し、立ち上がったのだった。

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