14-⑦:テス

「……」

 リアンはそれが王家の最悪の事態だと思った。それも、自分がかつて起こしたものとは、桁違いの。


「……」

―どうする?


 このままでは、きっと世界は滅ぶだろう。いともたやすくあっさりと。人々は皆、何の苦痛を感じることもなく。

 それでは、リアンの目的―世に混乱を起こし、人々を散々苦しめて復讐をするという目的が叶わなくなる。



「仕方ないか」

 リアンはため息一つつくと、転移した。そこはメラコの山。リアンは魔法で、「えいっ」と斜面に横穴を堀りあげると、その中に入る。そして、うえっと口から、青白く光る石を吐きだした。石はふよふよと浮きながら、穴から出る。


『せっかく作った器だから、いざという時のために残しておこ。後は、』

 石が光を放つと、穴の入り口が崩れてふさがれる。あたりの腐葉土を浮かせて集めると、表面を何事もなかったかのように、均した。


『さてと』

 石はまっすぐ上に飛びあがると、今度は先程の場所へと向けて猛スピードで向かった。やがて、青白い光と共に、化け物が見えてくる。魔方陣は今や郊外の山地全体を覆い尽くさんばかりに広がり、王都の街に届くまでさほど時間がないかに思えた。



『キミを止めるために、キミの体を借りるよ。ボクの目的を邪魔されたくないんでね』

―こんな形で最初の頃の願いが叶うなんてね


 気に入るような器ができなかった頃、常々セシルの体を、器かその材料に欲しいと思っていた。マンジュリカに、原子魔法を使わせるためにセシルが欲しいのだと嘘をついていた頃が、今や懐かしい。


 アーベルの手助けを得て、自分にぴったりの最強の器ができた今、別に彼女の肉体など欲しくはなかった。だけど、翻弄してやるのに楽しい相手だから、かまい続けるようなことをしていたのだ。だが、こうなってしまった以上、彼女は自分の志を邪魔する存在だ。邪魔者は消さなければならない。


 石は勢いを付けて、化け物の口に飛び込んだ。


―どぶん


『……?』

 そこは暗い水の中だった。ねっとりとした粘度のある水が、体にまとわりつく。

 辺りを見回す。延々と続く闇だった。


『……』

 リアンは、ここは精神世界だという事をよく知っていた。しかし、リアンは首をかしげる。リアンが今まで生身の肉体に憑りつく時に見ていた、一般的な物とは違うからだ。人によって花畑や建物や部屋の中など差異はあれど、普通ならその中央にその空間の持ち主―肉体の主をすぐに見つけることができるからだ。しかし、ここはただただ黒く、異常なぐらい何もない。それどころか、主がどこにいるかすら分からない。


『……』

 とにかく、ここが精神世界である以上、この世界の主―セシルはどこかにいるはず。それを探し出して殺せば、この体は自身のものとなる。その後で、自害―この化け物の体を殺せば事は収まるだろう。


 リアンは泳ぎ出す。さらに深い闇の奥を目指して。やがて、光も届かない水底に、影が濃い所を見つけた。そこでふらふらと人影らしきものが揺らいでいる。

『見つけ…っ!!?』


 リアンは驚愕した。黒い触手に絡め取られたセシルの体が、虚ろな目を開けて、ふらふらと黒い水に揺らいでいた。もう既に溺れ死んでいることは、誰の目にも明らかだった。


『…なんで…じゃあ一体、あの肉体は誰が動かして…』

 そう言ってから、ふとリアンはマンジュリカの言葉を思い出す。

―あの子はね、何か心の奥底に別の誰か…いいや別の何かがいるのよ


『まさか…』

「そう、そのまさかだよ。君はジュリアンとか言ったね」


 リアンはぎょっとして顔を上げる。そこには男がいた。眼鏡をかけた赤茶い色の毛の、さしたる特徴はない普通の男。しかし、その男は、セシルを取り込んでいる触手の頭と言うべきなのだろうか、触手の一番盛り上がったところから、顔だけをのぞかせていた。だから、彼が人ならざる者だという事は、誰の目にも明らかだった。


「初めまして、俺の名前はテス・クリスタだ。君の愛する夫の名前によく似ているね」

『……!!』

 相手の精神世界に乗り込むという事は、同時に自身の精神もむき出しにするという事。だから、自身の思考や記憶を読まれてしまうことも当たり前だ。だが、今まで自身が干渉する立場―圧倒的優位の立場だった彼女は、読むことはあれど読まれてしまうなどということは無かった。


―この男は一体…


 リアンは慌てて相手の精神を読もうとした、しかしその刹那、おぞましいほどのどす黒い感情―言葉にもできない得体のしれない闇が流れ込んでくるだけで、読むことすらできない。


「言わせてもらうけれど、君、色恋沙汰由来の―随分と低俗な理由が行動原理になっているんだね。そんなことで、世界滅亡を思いつくなんて、感心するよ。馬鹿にする意味でね」

『…なんだって?』

 無表情で淡々と告げられた言葉に、リアンは怒りに目を剥いた。


『…ボクが今まで、どんな思いをしてきたか分かって言っているのかい、貴様』

「ああ、わかっているよ。だけど今の君は、発作的興奮ヒステリーに身を任せ、至極見るに堪えない行動をしているだけだ。君にも分かりやすいように言うと、至極稚拙な思い付きのままに、世界を滅ぼそうとしているだけだという事だ」


『貴様あああ!!』

 リアンは怒りのままに、男に向かっていく。しかし、男は背の黒い気配を膨らませると、それを数多の触手に変え、リアンに向かわせた。


『がっ…!!』

 リアンはなすすべもなく、触手に絡め取られる。身動きをとれないリアンに近づくと、男は続ける。


「君の過去には同情したいが、もうそんな感情忘れてしまったんでね。したくともできないよ。だから、」

 男は今までの無表情を、一瞬にしておぞましい般若のような顔に変えた。触手の体が増殖し、セシルを中へ中へと取り込みながら肥大していく。


 そうして、やがて現れたのは人型の巨大な黒い何か―化け物だった。その姿に、リアンは怖気立つ。


「オレノジャマヲスルトイウノナラ、オマエモコロス」

『…っ!!』

 リアンを捕らえている触手に、力が籠められる。魔法を使いたくとも、精神世界では使う事など出来るはずもない。

 だが、自身を馬鹿にしたこの男だけには、やられたくない。リアンは強くそう思う。



『…くそがああ!!』

 リアンはこみあげてくる怒りのままに、触手をちぎり飛ばし、拘束を抜けた。


 本当ならそのまま殺してやりたいほどこの男が憎いが、しかしこの相手は分が悪い。リアンはそのまま、急いで水面へと向かう。


『…っ!!』

 しかし、ぐんと足が取られた。見れば、足が触手に捕られていた。


「ニゲラレルトデモオモッテイルノカイ?」

 リアンを見て、化け物は笑った。赤い口が耳まで裂ける。その姿に、リアンは恐怖する。

「キミニハシンデモラウヨ。ココデ。イマスグニ」

 身動きできないリアンに、触手が襲い掛かる。リアンの体中に巻き付き、締め上げる。



『…ぐ…う』

―こんなところで終わってしまうのか


 薄れゆく意識の中、リアンは思う。


―このまま、何もできずに…


 ある男の姿が脳裏に浮かぶ。愛おしい、でも殺したいほどに憎い男の姿が。

『…て、す』

 そして、リアンは意識を失った。

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