第11章:罪人たち
11-①:一か八かの賭け
時間は少しさかのぼる―
「ドーピング剤?そんなもの、一体何に使うんです?」
「いいから!その店まで転送しろ!」
セシルは必死になってノルンに言う。ノルンは戸惑いつつも、魔方陣を展開させる。
セシルはノルンの手を引き、そこへ飛び込んだ。
「ロイ!お前は時間を稼いどいて!これ以上、レスターが暴れないように!」
「ええ、オレが!?一人で?!」
「あんなのを相手にしたら殺される」とロイは胸を抱いて震える。
「すぐに戻ってくるから!オレを信じろ!」
「あ、ああ」
セシルに意志の強い目で見られ、ロイは思わず頷く。そして、思う。好きな女を信じられなくて、男なんかやっていられないと。
ロイは腹をくくる。
「ノルン!」
「は、はい!」
ノルンはセシルに言われるがままに、転送魔法を発動させた。そして一瞬後には、セシル達は祭りの会場から少し離れた、商店の立ち並ぶ道にいた。だが、そのあたりにも爆発の混乱が伝わってきているのか、何人かの人々が道を右行左行している。
「あそこです」
ノルンは指差す。そこにはもうとっくに閉店したのか、看板の明かりが消えた道具屋があった。ただ、店主らしき人が道に出て、教会がある方角の赤くなった空を見ている。
「すみません!ここの店の方ですか?」
セシルはノルンを引き連れ、男に話しかける。
「は、はい?そうですが…」
店主は必死の形相のセシルに、若干引きつつ答える。
「魔術師用のドーピング剤ある?」
「あ、ありますが」
「1キロくれ!」
「は、はい…?」
「今すぐ!」
店主は突然のことに訳が分からないながらも、セシルの声に突き動かされるままに店の中に飛び込んだ。そして、ごそごそと店の奥をあさる。
「これで1キロですが…」
やがて店主は、仕入れたままのドーピング剤の紙袋を抱えて出てくる。そして、カウンターに置いた。
「お代ですが…」
ドーピング剤はグラム単位で販売する高額な商品だ。店主は、相手にちゃんと支払う能力があるのか、セシル達を疑わしそうに見ていた。セシル達が、まだ経済力のなさげな若者に見えたことが原因である。セシルが童顔なのは仕方ないにしろ、ノルンも屋敷で過ごすためのラフな格好をしていたためだ。
「金ならラングシェリン公爵家にツケとけ」
「…は」
店主はセシルの言葉に、ぽかんと口を開けた。しかし、すぐけげんそうに眉をひそめてセシルを見る。
「セシル、それはちょっと無理があるでしょう…」
ノルンはセシルに申し訳なさそうにささやく。ノルンは慌てて、着の身着のまま剣だけを持って来たので、お金はもちろん自身の身分を証明するものは何も持っていない。
「なら、これでいいだろ」
「…ちょ…!」
セシルはあろうことか、かつらを脱ぎ捨てた。ノルンが慌てて止めに入るも間に合わない。
「…!」
店主はセシルの髪を見るなり、驚愕して尻餅をついた。
「あ、悪魔…!銀色の悪魔だ!」
店主はあわあわとセシルの髪を指差し、尻を床についたまま後ずさる。
「オレはリトミナ王家、リートン家の次男セシル・フィランツィル=リートンだ。拠所ない理由でラングシェリン公爵家で世話になっている」
セシルは、店主の視線を促すようにノルンに目をやる。店主は恐怖に震えながらも、からくり人形のように首を回してノルンの顔を見た。
ノルンはセシルの言動に戸惑いつつも、相手に不審に思われないよう平静を装った。何を考えているのかはわからないが、これがレスター救出のためになるのならばと、セシルに一縷の望みをかけて。
「この代金はツンディアナのラングシェリン公爵家が後々きちんと支払う。請求書は、こいつ…公爵の従者ノルン・ブランドナーに渡しておけ」
「…そう言う事でお願いします」
ノルンが手を出すと、店主はわたわたと慌てながら書類とペンを出した。恐怖に震えていても、こういうところがしっかりしているのは、さすが商売人だと感心しながらノルンは書類を書く。
「じゃあ、ありがとおっちゃん!」
ノルンが手続きを終えるなり、セシルは紙袋を抱きかかかえて表へと駆け出す。ノルンがその後を追いつつ振り向けば、店主が再び腰を抜かしたところだった。
「おい、ノルン。ここらへんに水飲み場はあるか?」
「あちらにありますが…」
ノルンの返事を最後まで聞かないうちにセシルは駆けだす。その後を追いながら、ノルンは沸いた懸念と疑問に口を開いた。
「…セシル、なんて馬鹿なことをしたんですか?」
「何が?」
「あなたの身元を明らかにしたことですよ。口止め料にできる物すら持っていませんでしたからね…これからどうなる事やら…」
マンジュリカにはもうばれてしまったから今更どうにもならないが、リトミナ王家の者がラングシェリン家にいたということが公になってしまったら、どうなるだろうか。きっとサーベルンの貴族や民衆たちが大混乱することはもちろん、リトミナとの政治問題にもなりかねない。一応別れ際に「このことは内密に」と店主に言ったものの、それ相応の対価となるものを握らせずして約束が果たされるとは到底思えない。
「そんなこと、どうでもいい。今大事なのはレスターのことだ!」
「……どうしてそこまで」
このようなことが公にばれてしまえば、セシルだってただでは済まない可能性がある。リトミナに戻れたとしても、それなりの制裁を受ける可能性だって出てくる。なのに何故、そこまでして彼女はレスターを助けようとするのか。
確かに彼女はレスターに気があるようだが、彼女がなりふり構わなくなるほどのことを、レスターは彼女にしていただろうか。
「どうせお前に説明しても納得しない。自分でも訳が分からない感情だからな」
「自分でも訳が分からないって…」
「そうだな、お前が納得するように言うなら、8年前の借りを息子に返すってことでいいだろ?詳しいことは後でロイに聞け。但しこの一件が片付いてからな」
セシルは公共の水飲み場に着くなり、がばっと紙袋の口を開けた。そして、
「…なっ、何をしてるんです?!」
セシルは紙袋に手を突っ込んで粉末を鷲づかみ、それを口に放り込む。
「やめなさい!死にますよ!」
少量で致死量に達する薬を、セシルは大量に口に押し込んでは、コップで喉に流し込む。ノルンは慌ててやめさせようとセシルの肩をつかむが、セシルはそれを振り払い、また粉末を手でつかんで、口に入れる。
「一か八かの賭けだ。邪魔すんな!」
「一か八かって、一体何のためにそんなことを!」
「いいから見てろ!」
「見てろって、見てる間にあんたが死にますよ!」
魔術師用のドーピング剤は、魔物の肉というより内臓の希少な部分の成分を精製して、乾燥させて作られるものである。飲んだ者の体中の細胞を活性化し、一時的に魔力産出量を増加させるものだ。微量でも効果はすごいのに、そんなものを大量に飲んだら、きっと体内で魔力が暴走して狂い死にしてしまう。
「オレは日頃から魔力タンクやってるから、ある程度は耐性があるんだよ」
「耐性って…」
確かに吸収魔法は吸収した魔法を体内に一旦置くことになるため、自身の普段の魔力保有量以上の魔力を体内に保持することになる。ドーピング剤を飲んで魔力が一時的に体内で増加したところで、日頃からそういう状況に慣れているだろう彼女には問題はないのかもしれない。ただ、大丈夫だとしても、この行動は一体何のために…
「…!」
疑問を口にするために、セシルの顔を見たノルンは目を見開く。セシルの顔の皮膚には、金色の魔術文字が浮かび上がっていた。しかし、その魔術文字は頼りなく弱々しく光っていた。
セシルは驚いているノルンに、にやっと笑いかける。
「あいつがオレの魔力を封印をするときに想定していた以上―封印の処理能力以上の魔力を連続的に発生させれば、いつかは封印にもガタがくると思ってな」
「そう言う事ですか」
ノルンはなるほどと相槌を打った。
「この様子を見るに、あともう一息だな」
セシルは自身の腕に浮かんだ文字を見ながら、げふっとゲップをした。そして、またドーピング剤を口に入れ始める。
ノルンは先程までレスターの救出はほぼ不可能と絶望していたが、いまや希望が胸に湧くのを感じ始めていた。セシルが魔法さえつかえるようになったなら、きっとレスターを止められる。やがて、金色の文字がぼろぼろと淡い光の粒となって崩れ、宙に散り始める。その光が完全に消えた時、ノルンはセシルの手をとり、魔方陣を展開させた。早く、レスターの元へ…
「ごふっ、げふっ」
喉に粉末が引っかかったのだろう。ノルンは激しく咳込むセシルを心配そうに見る。
「大丈夫ですか?」
「ああ…」
セシルは、大丈夫と笑って見せた。しかし、何故か先程まで口を押さえていた右手を、背に隠している。その様子を変に思い、セシルが振り払おうとするのよりも先に、ノルンはその手をつかんで見た。
「…っ!」
ノルンは絶句する。セシルの手には、吐き出された粉末と、決して少なくない量の血がついていた。
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