8-⑤:運命の、ア・カ・イ・イ・ト♡

「気絶どころじゃねえ…もう死体もないんじゃ」

 ロイは唖然とそれをみていた。レスターも同様だ。


 今、3人はレスターの執務室の上に置かれた、魔晶石の特性のある水晶でノルンの送り込んだネズミが見ている映像を見ていた。


「大変なことになりましたね…」

 ノルンですら呆然と言葉をこぼす。


 会合を覗き見するだけだったつもりなのが、今や火と血の飛ぶ戦闘へと状況が様変わりした。レスターはいつの間にか目も離せず手に汗を握っていた。こんなことになるなんて、聞いていない。ターゲット死亡で、もう誘拐どころではない。


…と、


『にしても、キミは一体さっきから、何こそこそ見ているのかな』

 突然女がつぶやいた言葉の意味が解らず、レスターはこの状況のどこかにセシル以外の誰か潜んでいるのかと思った。だが、そんな呑気な考えはすぐに打ち消されることになる。


「……!」

 きいきいというネズミの悲鳴と共に、水晶に映っていた視界が急にぐるりと一回転する。そして、再び映像が安定した時には、目の前に女の顔。


―まさか

 レスターは怖気だった。ノルンでさえ後ろで驚愕に息を飲んでいる。女はネズミをつまみあげ、まじまじと見ているようだった。


『ふふ、動物の持っているごく微量な魔力を動力源に、視界と音声の転送をやってるんだね。すごい技術だね、こりゃ普通なら気づかないよ。だけど、ボクは気づいたよ』

「…」

 ノルンが表情を険しくする。


「ノルン…もうこれ、オレら終わりなんじゃ…」

 ロイは恐怖に腰を抜かし、レスターの腕にしがみついた。

「大丈夫です。あのネズミを捕まえたところで、相手からはこちらを見たり聞いたりすることはできないですから」

 しかし、ノルンは緊張した面持ちでじっと水晶を見ている。


『誰だか知らないけど、転送魔法の使い手だから、どっかの国のスパイでしょ?』

 転送系の魔法を使える者は希少ではあるものの、いるにはいる。大抵はその能力を買われて、そう言った稼業をしているらしい。らしいというのは、転送魔法の使い手はほとんどの場合代々そういう能力持ちになるため、一国や諸侯が代々世間から隠しつつ仕えさせている場合が多いので、実態が把握できないためだ。


 ただ、ノルンはとある事情から、その能力を隠さず生活している。レスターはよく周りからそのまま隠していればよかったのにと言われるが、生涯どころか子々孫々、彼を束縛するのは自分も嫌だった。結果的に、ノルンは未だに偵察活動に携わっていると疑われにくくなったので、本人も良しとしている。

 とにかく、転送魔法の使い手に諜報されていたと知られたところで、どこの誰の手先とまではわからないはずのだ。武闘会の時の使用は、ラングシェリン家の自分もその場に居たために、控えていただけで。


『まあ、別に好きなだけ見てくれていいんだけどさ』

 女は歯を出して、にやーっと妖しく笑った。気持ち悪い。水晶越しなのに、レスターは思わず後ずさる。


『けど、自分は姿も見せずに見物だけするってのは、ちょっと腹が立つんだよな~』

 そのセリフにはっとし、ノルンは水晶をわしづかんだ。

「接続切ります!」

『ねえ、知ってる?そっちとこっちの回路をつなげてあるってことは』

 身に迫る危険に遅れて気付いたレスターとロイは、ゾッとする。

「何故だ…切れない!」

 ノルンの焦った声。非常に珍しいそれを聞いて、二人とも驚くどころか恐怖に余裕を失う。


『こっちからもそっちへたどれるってことなんだよ?』

「ノルン、やべえ!早くしろ!」

「切れないんです!」

 普通は軽く指令を送るだけで、通信はいともたやすく切れるはずだった。しかし、切れない。相手はノルンよりも格が上の術師であるようだった。


「俺が切る!」

 レスターが、水晶にかけられた魔法自体を消滅させようと手を伸ばした。それをノルンが空いた手で咄嗟に制する。

「いけません!無効化魔法なんて使ったら、確実に足がつきます!」

「どのみちこのままでも足がつくだろう?!」

『こっちでのヤボヨーが終わったら、そっちへ行くよ。まずは切れない赤い糸だけ作っておくからね。後でゆっくりとたぐって、会いに行ってア・ゲ・ル』

 女はうふっとウインクした。こんな恐怖の赤い糸いらねえ。ロイは、ひいと震えあがった。

「もういい!割っちまえ!」

「バカ!割っても回路は消えない。それどころか、本当に消せなくなる!」




 きっと相手は慌てている頃だろうが、もう遅い。女はにやりと笑い、指をくいと動かした。回路を形作っている魔術式は、消えないようこちらから上書きして固定してやった。魔術式を自身の魔力で上塗りしてのっとった形だ。ただ、転送魔法自体は血の魔法だから魔術式をのっとったところで使えないし、使えたところでこの術式は視覚情報と聴覚情報を送るだけという単純なものだから、意味はない。

 だが、別の魔法を固定した魔術式の上にたどらせ、相手に目印をつけるマーキングすることはできる。




「!!!?」

 次の瞬間、水晶の内部の映像が消え、かわりに血走ったかのように赤い筋が幾本も入る。ノルンが咄嗟に二人を後ろへ押しとばす。ほぼそれと同時に水晶が砕け散る。割れたところから鞭のように具現化した無数の赤い筋が、ノルンの体めがけて絡み付こうとする。



『さあ、ボクの赤い糸をうけとっ「死ねええええ!」


ずがああん!


 女が殺気に振り返るよりも早く、地面が勢いよく盛り上がる。女は宙に吹っ飛ばされた。地面に落ちるよりも早く、氷柱の大群が襲う。そのまま、氷柱と共に城の内外を隔てる塀に激突する。


「死ねええええええ!!お前なんか死んじゃえ!!」

 燃え盛る離れの前で、セシルは叫んだ。擦り傷と打撲とやけどでぼろぼろだった。だが、正気を失った目が、殺意にぎらぎらと光っている。背後に出現させた大量の氷の槍を、巻末いれず女に打ち込む。土煙を上げて塀が崩落し穴が開く。すかさず、そのあたりを重力魔法で瓦礫ともども砂塵と化す。


「さあ、これでも生きてんのか?でてこいや」

 セシルはぜぇぜえと肩で息しながら、土煙の中を睨みつける。

『危ないなあ。危うくネズミちゃんと一緒に死ぬところだったよ』

 収まってきた土煙の中に人影が現れる。そこではっとセシルは我に返る。夢から覚めた心地で、目の前の現実に目を向けた。


『まあ、もし死んでも体だけの話だけどね』

「…!」

 土煙の中から現れた女はひどい有様だった。右半身が右肩から腹にかけてえぐられてなくなっている。左腕から先は無くなっていて、両足は残ってはいるものの、肉が剥がれ落ちて骨が見えていた。


『あ~あ、もっと遊びたかったけど、この体もガタが来ちゃったしねえ』

 女は残念そうな顔をする。

『にしても、キミもひどいね~。この体ってさっきの女の子のだよ。女の子を元に戻してあげようとかいう気遣いはなかったの?』

 女は『ひど~い、きちくぅ』と引いて見せた。しかし、セシルはほんの少したじろいだだけで、憮然と黙ったまま答えない。女はつまらなさそうに、ちぇっと言った。


『まあ、今後そんな理由で手加減されても困るしい、万一リョウシンのカシャクにさいなまれちゃったらボク責任感じるから種明かししちゃうけど、ボクが一回借りた肉体は必ずこわれちゃうんだ。みんな『器』になるには弱すぎるんだもの。魔法を使えばすぐに消耗するし、使わないまま返してあげても、じわじわ狂って壊れていっちゃう』


―肉体を借りる?

―『器』?


 精神魔法と何か違う気がした。しかし、状況は、セシルに考える時間を許さない。

 女は無表情になった。操り師の手を離れた人形は、断末魔をあげることも叶わず、そのまま後ろへと倒れる。


『じゃあ、また今度ね』

 急に声が変わった。はっと見れば、女のえぐられた胴体の内部から、青く光る物が浮かび上がる。よく見ればそれは、光る暗褐色の物体だった。

「それが媒体か!」

 リザントでジュリエの女の体内から出てきた物と同じそれに、セシルは逃がさないよう、女の死体ともども包み込むように氷の結界を張った。


『むだむだ~♡』

 球体が口もないのに言葉を発している。その声は幼さの残る中性的な声だった。それが結界に触れるやいなや、いともあっさりと結界が解かれた。

「…!」

『またね~』

 そして、それは天高く上がったかと思うと、光の尾を残して北へと消えた。


「…くそっ!」

 後には青い空が見えるだけ。セシルは地面を蹴った。

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