7-③:疎い。

「……」

 どうしてこうなった。


 セシルは世の中の無常を悟った心地になる。


「セシル様、見てください。これ、私が小さい時から育てている薔薇なんです」

「そうですか。綺麗ですね」

 目の前にいる令嬢が育て方やらを説明してくれる。その笑顔に、セシルは爽やかな笑みをつくり頷く。


「私、花の中でも一番薔薇の花が好きなんです。セシル様は何の花が好きなんですか?」

「私も薔薇ですね。特にこれみたいな、桃色の薔薇」

 そういえば、「気が合いますね」と嬉しそうにふふふと笑う令嬢。


 そうやって、傍目に見ても和やかな雰囲気で、庭の散策は進むかに思えた。


―だが、


 セシルはお手洗いにかけ込むと、便座に座り頭を抱える。

「アカン…しんどい…」

 どっは――っと肺の中の空気を吐きだす。

「兄上…助けてぇ」

 気を使いすぎて疲れる。たぶん応対は間違ってはいないと思うのだが、こんなの後丸一日していたら死ぬ。



 セシルはこの日、王の顧問団の一人、オルビー公爵家の家にお茶に招待された。とはいえ、実際は公爵家の次女とのお見合いだ。今は、「若い者同士、二人きりで」との彼女の母親の気の利かせた勧めに素直に従い、庭の散策―もとい令嬢との会話に勤しんでいた。


 彼女はセシルが話題に困ると、ぱっと話題を提供してくれる令嬢だから助かる。つまらなくならないよう自身の失敗談やら笑えることなども話してくれるし。もし、大人しい令嬢だったら、間を持て余して気まずくなっていたに違いない。それでなくとも、何かとこまごまと気の利く令嬢だった。ただ、実際、彼女と結婚するとなると、


―絶対ムリ


 セシルは首をふる。

「公爵の娘って言うから、深窓なお嬢さん…世間知らずで、おぼこな人だと期待してたんだけど…」

 控え目でありながら、あれだけしっかりとした賢そうな女性だと、こっちもやりづらい。

 あれが俗にいう良妻賢母に当たる女性とは理解できるが、365日あれを相手にするとなるとセシルにとっては相当のハードルだ。また頭を抱える。


「それにしても、こんなに早く来るとは…」

 兄上から聞いていたから心の準備をしていたつもりだったが、1週間もしないうちに縁談+お見合いが来るとは聞いていない。ちなみに話が来たのは一昨日だ。それだけ、王の取り巻きが急いでいるということなのだろう。


「さすがに断れないよなあ…」

 今回は命令ではない。王直々ではあるが、「ここの娘はどうか?」とやんわりと来ただけの話。ただ、「下賤な血のお前にこれだけいい縁談を持ってきてやったんだぞ、感謝しろ」と表立っては誰も言わないものの、それだけ有難迷惑で半ば強制力を持った縁談だろう。断れば、「何を贅沢言う」と思われるだろうし、兄上の立場も危うくなる。


 公爵もセシルをよく思っていない風があるが、王と他の顧問団に目を付けられて仕方ないと言った風だった。オルビー公爵家は魔力保有量が多い家系で地位も高く、丁度セシルと同い年の娘がいる。もし、二人の間に子供ができればおそらく魔力も高くなり、特に女児が生まれれば、将来的に王妃として王家に輿入れさせて、王家の血を強めることができるということだろう。王妃をオルビー家から出せるという可能性に、公爵はセシルをしぶしぶ受け入れているのだ。


「どうしよ…」

 悩んでいたって、無情にも時間は過ぎる。あまりトイレにこもっていると不審に思われるだろう。セシルは、はあとため息をつくと、投げやりな気持ちになってトイレのドアを開けた。





「……ただいま」

「お帰りなさい」

 夕方。セシルは半ばふらふらになって家に戻ると、サアラがうつむいて待っていた。


「……サアラ、なんかあったの」

 ここ2.3日の間、ずっとこんな感じだ。まるでお通夜のように暗い顔で、言葉少なな様子。幸か不幸か、いじめてもくれなくなった。心配ではあったが、セシルも忙しかったのでほっておいてしまっていた。だが、これ以上置いておくのも心配だと思い、聞いたのだった。


「…別に」

 しかし、ふいっとそっけなく目をそらされる。

「……」

 ホントに?と思うが、サアラの気配が「これ以上かまってくれるな」と言っているかのようにおどろおどろしくなったので、セシルはそれ以上追及するのをやめた。

 サアラは、「では」とさっさと行ってしまう。心配だったが、セシルも疲れているので、部屋に戻ることにした。


「とりあえず、服着替えて…飯まで時間あるし、ちょっとゆっくりしよう」

 縁談について考えるのは今度にしよう。とにかく今は寝たい。


 兄の部屋の前を通ると掃除中の様で、まだ兄は帰っていないことがうかがえた。今日も遅くなるかもしれない。侍女たちが掃除しつつ噂話でもしているのか、中から「あの人、未だにぜんっぜん気づいてないのよ。サアラが可哀想」と聞こえた。どうやら、侍女同士で喧嘩でもしたから、落ち込んでいるらしい。



 セシルは自身の部屋に逃げ込むかのように飛び込んだ。やっと帰ってこられた気分になる。

 堅苦しい礼服は肩がこる。さっさと脱いでしまおう。セシルは懐に手を突っ込み、懐中時計のチェーンを引き、時計を引っ張り出した…


―ぶちっ…

「しまっ…」

―…がっちゃん


 ひっぱり出す時に、本体のねじを巻くところにある部品が千切れたのだ。何とか受け取ろうとしたセシルの手をすり抜け、懐中時計は床石にぶつかり、中身を無残に散らばらせる。そのまま勢い余って、セシルは懐中時計の中身をぶちっと踏んづけてしまった。


「う…」

 せめて部品さえ無事であれば自分で直せたかもしれないのに。粉砕してしまった可能性に、セシルは踏みつけたままの足をあげられない。

「…だからあれほど鎖だけを引っ張るなと…」

 サアラに前に3回言われたことを、自分で言い自分につっこむ。


「…はあ…」

 またサアラに怒られる。よくこれだけ怒られて、また壊す自分にも呆れる。恐る恐る足を除ければ、やはり細かな部品は色々割れていたり曲がっていたりした。

 せめて絨毯の上に落ちろよお前、とセシルは無理な注文を時計に言ってみたり。


「まあいっか…」

 別に思い入れのある時計でもないから、買いかえればいい。わざわざ頼んで修理したほうが、高くつくだろう。だが、明日は仕事だし無いと困る。

 とりあえずサアラに頼んで買ってきてもらおう。夕方だけど、いつもお世話になっている時計屋はサアラの知り合いの店なので、店が閉まりかけていても開けてくれるだろうと思う。


「……」

 しかし、サアラを呼びに行こうと、部屋のドアノブに手をかけたところでセシルは考え直す。


―今、サアラに言うのは悪いよなあ…


 何だか深刻に悩んでいるっぽいし。女社会は色々とあるんだろうな、とセシルは同情する。少し考えて、セシルはぽんと手を打つ。

「そうだ!…あの懐中時計、ありがたくネコババさせていただこう」

 セシルはいそいそと机に向かい、隠し引きだしを開ける。中には、数枚の書類の上に赤毛の男のものである懐中時計が置いてあった。


―自分のことだ。また壊すだろうから、壊れてもいいものを持っておけばよい


 内心うきうきとしているのを、セシルは心の中で言い訳しつつ無視する。

 そして、それを取り出すとことんと机の上に置き、引き出しを閉めた。

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