6-⑤:怒りとは基本、根深いもの
次の日の昼前。村の寄合所の一室の隅で、セシルはカイゼルと共にならんで立っていた。
「だから、待っとけって言ったのに」
余計な手間ばかり増やしやがって。カイゼルはため息をつきつつ、自身の額を叩いた。セシルは、しょぼーんと後ろの壁に寄りかかっている。
「…ごめん。だけど、迎えにくるのが遅いお前だって悪いんだからな」
「こっちだって大変だったんだ。文句あるならヘルクに言え」
セシルの迎えが遅れたのは、ヘルクが宿でゲロを吐きまくったせいである。玄関から廊下、部屋に到るまでの各所に吐かれたものを、いやな顔をする宿屋の奥さんと共に片づけるのに大変であった。ちなみにヘルクは今、二日酔いにもかかわらずたたき起こされ、村人たちを連れて森へ魔物の死体掃除に行っている。
セシルたちの目の前では、領主に呼んでもらった医者や魔術師が、女の死体を検分している。村長に死体の確認をとれば、ジュリエの民特有の外見と身なりらしい。今は哀れにも男たちの目の前で裸にされているが、何分得体のしれない女なので同情はしない。
「にしても、よくあんな体で生きていたな…」
セシルは寝かされた女をみながら、つぶやいた。体中は傷だらけで、ところどころ変色し、または腐り落ちかけていた。さながらゾンビみたいだ。
「まさか、女が一人で、しかもこんな軽装備で山越えしてきたって訳じゃないよな…」
凍傷らしいとの見方に、カイゼルは可能性の低い結論をつぶやいた。しかし、セシルも否定できない。
誰かの手助けを得て、というよりは誰かに操られてこっちまで来させられたということも考えられる。ただ、正気に戻ってからも、殺気を向けてきたので完全に操られていたとはいえない気もするが。
「マンジュリカに関連している案件かもしれないな。今回の魔物の件ももしかしたら…」
カイゼルが他の人には聞こえないよう、小声で苦々しく言う。マンジュリカの件は領主は知っているのだが、今この部屋にいる者には民衆への情報漏えいを防ぐため、検分の理由をごまかしているからだ。とりあえず、死体に変な術式や罠が仕掛けられていないか確認したら、王都に持ち帰って魔術師庁で詳細な解剖を行わせるつもりである。
「そうだな…」
人を操るということに関しては、まずアイツを疑うべきだろう。それにこうなった以上、魔物にも何らかの魔法をかけて一カ所に集めていた可能性もでてきた。理由は今のところわからないが。
あの女は口調からしてマンジュリカではないと思うが、かつてのオレの名を知っていたことが何よりもアイツが関わっている証拠に思えた。セシル・ホールという名前を。
それに、この女。
セシルは苦々しく思い、眉をひそめる。
―吸収魔法を使った
しかも、セシルより強力な。元々、ジュリエの民から突然変異的に王妃が産まれたのだから、同じ魔法を扱える者が出てきてもおかしくはない。ただ、そんな貴重な人材をマンジュリカがぼろぼろになるまで手荒に扱うというのはおかしな気がするが。それに女が吐いた球体の行く先も気になる。おそらくジュリエの民のいる北の地だろう。
―もしかして、あそこにマンジュリカがいるのか?
確かにあそこなら、やすやすと手出しはできない。人間の足で何か月かかるかわからないような場所にあるらしいから。
―あれやこれやと、頭痛の種は尽きないな…
セシルが眉間に手をやったとき、
「カイ!セス!大変だ!」
「なんだよ騒がしい」
部屋のドアを壊す勢いで、ヘルクが駆け込んでくる。
「魔物の死体がないんだ!きれいさっぱり!」
「「はあ…?!」」
山小屋前の広場へ着いた2人が見たのは、広場中に隙間なく広がった大量の血しぶきや血だまりの後だけである。
「ほんとに、これ、お前らが片づけたんじゃなくて、最初っからこうだったって言うのか?」
「そうだよ!来たらきれいさっぱり何もなくなってんだ!百匹どころじゃない死体があったのに!」
呆然とつぶやいたカイゼルを、驚愕のあまり二日酔いも忘れたヘルクがまくしたてる。
「ホントにきれいさっぱり、血の跡だけ…」
セシルも唖然とつぶやく。大仕事だと思って腕まくりしてくれていたのであろう村人たちも、おろおろとしている。もしこの血の跡すらなければ、本当に魔物を退治したと証明できるものは何もなくて、村人たちから疑惑の目を向けられたに違いない。
「……俺らが帰ったのは昨日の4時ごろ…それから今までの間に誰かが持っていったのか?まさかあの女が…けど、何の目的で…?」
カイゼルが頭を悩ます隣で、セシルも思う。
きっと、あのジュリエの民の女の仕業に違いない。だけど、あんなに大量なものをどこへどうやって持っていった?他に仲間がいたのかもしれないとセシルは思う。だけど、どうして死体など。あんなもの、食べることもできないのだし。
「……さっぱりわからん」
何か企んでいるかもしれないことは理解できても、それ以外の理解できないところが多すぎて、セシルにはもうお手上げだった。
「もう嫌だ…おうち帰りたい」
その日の夕方。セシルは寄合所の入り口にあるベンチで、頭を抱えて座っていた。相手が何を考えて行動しているかさっぱりわからない状況。手のひらの上で転がされているとはまさしくこういう状況かと、セシルは悔しいけれどどうしようもなくて疲れ切った心地だった。実際、昨日から一睡もしていないから、疲れている上に眠い。
「セシル様、大丈夫ですか?」
その声に顔をあげれば、この村の村長アストラ・エーメリーだった。村長は一服どうですかなとコップに入れたジュースを差し出してきた。
「サンキュ、村長さん」
「いいえ、大変思い悩んでいらっしゃるようですから少々心配で」
「あんがと。ちょっと短期間に、色々な案件が降りかかり過ぎてな」
セシルは、一口ジュースを飲むとふうと息をついた。
村長はどっこいせとセシルの隣に座った。ぎしりとベンチが軋む。
「そうですね、魔物を退治しに来てくださっただけでしたのに、ジュリエの女性の襲撃に、魔物の死体の失踪と、次から次へと問題ばかり…お気持ちお察しします」
村長はふうとため息をついて、視線を空へやる。しかし、セシルがもう一口ジュースに口を付けた時、何気なくといった様子でこちらを振り向いた。
「やはり、今回の件にはすべて関わりがあるのでしょうな…誰か裏で手を引いているのでしょうか」
人を気遣う風で、何気なくしっかりと探りを入れてきている村長に、やっぱり小さな村の長とはいえ政治家だなあと思う。
セシル達は、村長には、魔物が一カ所に集まっていた理由並びに魔物の死体の失踪に関して、現在原因は全くの不明。ジュリエの民の女の襲撃は、セシルに通り魔的に襲いかかったが突然死したとしか言っていない。精神操作の可能性を示唆させるような情報は、マンジュリカ関連事件の一環となるので秘匿している。
ただ、村長含め村人は各々、一生お目にかかることのないはずの民族が丁度同じ時期に現われたことに、不可解な魔物現象との関連を疑っているところがある。だから、安心させるためにも、原因究明を急ぐと言ってある。ただし、おそらくうやむやにするだろうが。
「個人的にはそうだと思う。分からないことだらけで確定はできないがな」
セシルも正直なところを言う。本当はマンジュリカだとは思うがそのことは言えない。ただ実際わからないことだらけだし、別にそのことを言っても問題ないだろう。
村長もセシルのその様子に「そうですか…」と頷いた。
「ですが、ジュリエの民にあなたが襲われたというのは、理由に心当たりがあります」
「…え」
村長はセシルの視線を促すように、セシルの剣の柄に目をやった。そこには王家の紋章が刻まれている。リトミナ王家の紋章は、リトミナ王家の象徴として、吸収魔法の魔法陣をそのまま使っているものだった。
「彼らはリトミナ王家の人間を毛嫌いしているのだと思います。リトミナではありえないあなたの姿とその剣で判断して襲い掛かったのでしょう」
「…毛嫌いされている…?」
「何でも昔、リトミナ王妃は魔法が珍しいことが災いして、向うの民族の中でも異端分子として扱われていたのは知っていますね?」
「…ああ。うちの国の初代国王が、気味悪がられてちっこいときから閉じ込められていた王妃を、かわいそうに思って助け出してあげたんだっけ」
昔に呼んだ建国関連の物語を思い出す。それが国王と王妃のなれ初めで、王妃に惚れられたきっかけだったとか。村長も肯定するように頷く。
「その後、国王は王妃をジュリエの追手を撒きつつ、リトミナまで連れ出したというのはご存じでしょう。そして、王妃はサーベルンの支配から人々を救い、やがて国王と結婚し、王妃はその命が尽きるまでリトミナを守った。この国では、王妃は守護神のようなものです。…ですが、向うの人にとったら、彼女は災厄なんです」
「……災厄?」
セシルは首をかしげた。
「ジュリエの民は何百年、いや何千年も前からある山を信仰していました。その山はしばしば災厄を吐き出していたと言います。おそらく山が災厄を吐き出すということから、火山だと私は解釈しています…。彼らはその山を鎮めるため、山を神として祭り上げ信仰していた。そして、彼らは初代王妃を、山の神の娘―山の邪神の寵愛を受けた地上最悪の災厄呼ばわりしていたのです」
「……」
さいあくのさいやくって言いにくいなあと、セシルは思う。噛まずに言えた村長もすごいと思う。
「彼女がそう思われている詳しい理由まではわかりません。ただ私が思うのは、めずらしい魔法を持って生まれただけでは気味悪がられても、最悪の災厄とまで言われ閉じ込められることはないでしょう。おそらく、王妃はその魔法で彼らに災厄と思われるだけの、何らかのことをした。そしてそれは、火山がもたらす災厄と同等扱いされるのですから、作物を枯らすなど生活に関わることだろうと。だから、危険視されて幽閉されていたのだと思います。本当だったら処刑でもしたいところだったんでしょうけれど、たたりを恐れてできなかった。彼らは彼女を世界に放ってはいけないと強く思っていたようで、国王が連れ出した時もかなり追われたそうですよ。…私の先祖が彼らを屋敷にかくまっていたらしいのですが、とうとう追手たちに場所を見つけ出されて。先祖は王妃たちを逃がして追手を退けたらしいのですが…ほら建国物語にも載っていたでしょう?…おっと、今はその話はどうでもいいとして」
セシルは村長の話を聞きながら、ふと思う。オレと同じく吸収魔法を扱えた王妃。そして作物を枯らすってまさか。と思った時には村長にじとっとした横目で見られていた。
「…」
そう話をつなげて来るか。森を枯らしたことを遠回しに責めたいのだろう。やっぱりまだ怒っているらしい。
「具体的に彼女が何をしたかはわかりません。直接会った事のある私の先祖なら彼女について何か知っていたかもしれませんが、何故かそう言う文書は全く残っていなくて…。ですが、生活を脅かす憎むべき者であった彼女と、それを解放した国王の、その子孫たちを良く思う者はジュリエの民にはいないでしょう。…それが私が考えるあなたの襲撃理由の一考察です。何百年もたってるのに未だに根に持っているなんて、彼女はよっぽどのことをしたんでしょうね。ただ彼女は、大変優しい御方だったと物語に残っております。そんなひどいことをなされるわけがない。…私が思うに、当時は吸収魔法はあまり解明されていなかったそうですから、幼いころに良かれと思って魔法を使ったのに、調整を誤まってうっかり失敗してしまったんではないかと思うんです」
その言葉は言外に、吸収魔法が解明されている現代で、大人にもなったセシルが調整を謝って失敗したことを詰っているようだった。と、急に村長がこっちを向いたので、セシルはびくっとして少し体を引いた。
「…例えば、魔物退治のために自分をおとりにしようとして失敗。森が枯れてしまいましたとさ、めでたしめでたし…とか」
「ごめんなさい…」
遂に直接言われた。素直に謝っておこうと思う。同時に、セシルの中で崇高な女神の印象だった王妃が、急に自分と同じ匂いがしてきた。「けへっ!」とか小首をかしげて言いそうな。
「本当に元通りになるんですよね」
村長はきつい調子で確認をとりにくる。
「ハイ…枯らしてはいませんので一月ほどしたら…」
小さくなって言うセシルに、村長は大きなため息を大げさにつく。
「あの森は村人にとって生活の支えなんです。それに息子との…」
村長はついうっかり口を滑らしたと言った風で、慌てて口を閉ざした。だが、「息子?」と頭を下げた状態のまま目だけ上げたセシルに問い返され、村長は目を戸惑わせたがあきらめたように息をついた。
「…昔、1番上の息子が、あの森が大好きでしてね。私もよく一緒にあの森へ遊びに行っていたんですよ。お弁当を持って散策したり、狩りをしたりなんかしてね…。だから、色々と思い入れがあるんですよ」
だから、森にこだわりがあったのかとセシルは理解した。なんだか、郷愁めいているところをみると、その息子さんは今はもういないみたいだとも理解する。
「…じゃあ、息子さんにも謝らないとな…」
セシルは察していないふりをして、あえてそう言った。赤の他人だからどうでもよいはずなのに、何だか息子の生死の確認をしたい気になったのだ。するとやはり、村長は返答に詰まった。そして、目を空へと向けた後、ぽつりと言う。
「……息子はもうここにはいませんよ」
「…え、まさか死んだのか?」
話を促すため、セシルは驚いた風を装う。村長は力なく首をふった。
「9年前に家を飛び出したきり、どこにいるのかもわからないんです。生きているのかも…」
「……」
『9年前と言ったら、オレがマンジュリカに仕えていた真っ盛りだな』と、嫌なことを思い出しそうになったので、慌てて考えないようにした。
「優しい子でした…。医者を目指していたんですよ。よくあの森に薬草の勉強にも行っていました。…医者を目指したのは、小さい頃友達が重い病気をしたことがきっかけでね、『あいつを苦しめようとするビョウキを、全部やっつけたいんだ』なんて言って、我が子ながら誇らしく思ったものです…。…なのに、その友達はそんな息子のことを何も知らずに、あんなひどいことを」
懐かしむ口調が、怒りのにじむ声音に変わる。もしやとセシルの中で何かがつながる。酒飲み場の店主と村長の息子。彼らが友達だったというのなら、年代的にもおかしくない。それに、彼らの仲の悪さに説明がつく。昨日の村をあげての宴は、村長としての立場から仕方なく、村唯一の飲み屋をやっている彼に接待を頼んだだけだといった感じだろう。
セシルに真顔でじっと見られていたことに気づき、村長ははっと我に返ると、慌てて居住まいを直した。
「ついこんな無関係な話を聞かせてしまいましたね。申し訳ありません。とにかく、森の方は時間がかかっても元に戻るのならよろしいとしましょう。昨日はカイゼル様が主にお話しくださっていたので、直接あなたの口から確認を取りたかったんですよ。ですが、少々言葉が過ぎたところがあったと思います、お許しを」
村長は深く頭を下げた。セシルは慌てて、村長の肩に手をやり頭をあげさせる。
「頭なんか下げなくていいよ!オレが悪いんだし!それよか、村長さん、貴重な情報あんがと!ジュリエの民の話とか全然知らなかった。そういや、村長さん、あの女がジュリエの民かどうかの確認もできたよな。歴史学でも習っていたのか?…いや違うか…」
ジュリエの民は部外者には秘匿主義だと聞いている。だから、リトミナの歴史に、王妃以外のことで彼らの記録は残っていない。実際にその地へ行った初代国王なら、禁書庫にある王家の書物に何かを記録を残しているかもしれないが、傍系のセシルが触れることもできないのに、村長が知っているはずがない。一体どこで知ったのかと不思議がるセシルに村長はなんと言う事もないように答える。
「私の家は、古くからこの地を治めていましてね。代々、聞き伝え等でこの地の歴史を聞いているんですよ。その中に彼らの情報もありまして。…昔はね、ここがまだリトミナでもなかった頃のことですが、ジュリエの民との交流があったんです。彼らの中にはここで子孫を残した者もいたそうで、私の家系にも何人かそういう女性達がいたと聞いています。ただ、ここがリトミナの一部になってからは、彼らから一方的に断絶されたようですが」
「へえ…」
セシルは知らなかった知識に、脳味噌のしわがほじくられるような心地になった。その興味深々といった目に、村長は教示欲からもっと話してあげたいと思うが、セシルの状況を考えればそうもいかないと思いなおした。
「今はお忙しい時でしょうから、興味があれば機会を改めて私の家にお寄りください。自分のルーツを知るというのも、なかなか眉唾で面白いと思いますよ。例えば、ジュリエの民と言うのは、大昔は銀髪で水色の目ではなく、灰色の髪や金髪など色素は薄いものの、普通の容姿をしていたようですし。そんなことを書いた文書も、虫食いだらけでゴミ同然ですがありますよ」
「へえ!すげえ。読みたい読みたい!」
「でしょう?ぜひとも、またいらしてください。…森がちゃんと戻った後でしたら、いつでも歓迎しますよ」
意地悪く笑った村長。
「まだそれを言うかあ!」
セシルは大げさに自分の額を叩くと、村長はハハハと軽く笑った。
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