第5章:陰り

5-①:もう一度、死にかけたい。

「……うーん」

 セシルはベッドの上で伸びをすると、よいしょと立ち上がる。


「さあ風呂に入ったら街に散歩でも「バカ言ってんじゃありません!」ふがああ!!!」

 ドアノブに手をかけると同時にサアラが入ってきたので、セシルは吹っ飛ばされ華麗に宙を舞った。受け身もとれず、床にどべっしゃんと激突する。


「サアラ…お前マジでオレに何の恨みが…」

 半泣きでひどいひどいと言いながら、セシルはぶつけた膝をさする。しかしサアラはそんなセシルの前に仁王立ちになった。

「あんた、まだ病み上がりなんですよ。街にでかけるなんて言語道断!!!」

「けど、もう家にこもってるなんて退屈なんだよお。行かせてくれよおお!」

 セシルは泣きながら土下座する。しかし、そんなセシルの首根っこをつかむと、サアラは引きずり廊下へと出る。


「お風呂は沸かしておきましたが、お出かけは許しません。風呂入ったらさっさと寝る!!」

「いやあああああ!誰か助けてええ!」

 廊下をずるずると引きずられるセシルに助けを求められ、通りすがる他の侍女や小間使い達は目を合わさないようにして、そそくさと持ち場へと向かう。


「薄情者おお!」

「ほら、つきましたよ。さっさと入る」

 サアラは浴室の脱衣所に着くなり、セシルの腰帯を解く。

「エッチ!」

「いちいちうるさい」

 サアラはセシルの服を引っぺがすと、浴室へ放り込む。


「病み上がりって言うんなら、ちょっとぐらい優しくしろよ!」

「いいからさっさと湯につかって!冷めるから」

 セシルは口をとがらせるが、言い返すと返ってくる言葉が増えるし、辛辣さが2割増しになるのでしぶしぶ湯につかる。


「肩までつかる」

「がぼっ」

 頭をわしづかみにされ、肩までどころか顔面までつけられる。


「お前なあ!」

 しかし、セシルが頭をあげると同時に、たらいに汲まれた湯が頭上から降ってくる。

「がぼぼぼぼ」

「はい頭を洗いますねー」

 セリフが棒読みだ。ひどい。こいつ絶対オレを虐げて楽しんでいる。

 セシルはさめざめと泣くが、ガシガシと頭を洗われて流れてくる泡に目が染みて、最早なんで泣いているのかさえわからなくなってくる。


 オレが臥せっていた頃は可笑しくなるくらい優しかったのに、体調が回復すると同じくサアラも元のサアラに戻ってしまった。

『ああ、もう一度死にかけてみようか』

 一度優しいサアラを知ってしまった分、セシルを半ば本気でそう悩ませるぐらい、今のサアラの扱いが身に堪えるのだった。




 あれからひと月と半がたった。

 メイ魔術師長はその職を追われ郷里に帰ったらしい。また、公爵は武闘会での事件の責任のほとんどを負わされる形で爵位並びに領地を奪われ、今は家族と共に親族の屋敷でお世話になっているらしい。国のために犠牲にされた形だろう。哀れとは思うが公爵とは大した付き合いもないから、当然セシルにとっては他人事だ。メイにも大した思い入れはないし、普段から適当なところが師長には不適任だと思っていたから、セシルは当然だなと思っていた。


 ただ、上の位にいれば生活には困らないかもしれないが、何かあればこんなにも簡単に立場がなくなるから怖いんだよなあとセシルは思う。


―上の世界ってのも、結構ややこしいところだよ


 サアラに体を洗ってもらった後、ゆっくりと湯につかりながらセシルは思う。贅沢できてその上国まで思うが儘に動かせる御身分と思われがちだが、うまく渡り合っていかないとあっさりと切り捨てられたり命を奪われたりする世界だ。兄弟同士で殺し合ったり、なんて表面に出てこないだけでざらだ。それに結局国や財を自在にできる奴なんて、口がうまくて策に長けているごく少数の輩だけだから、貴族であろうが別にいてもいなくても変わらない奴というのは多い。だけど、そういう奴らにも生活があるわけで。生活を守るためにはごく少数の輩におとなしく従って保身を図るか、ごまをすって甘い汁を吸うかしておかないと闇に消されるしかない。しかも、そのごく少数の輩の地位にいる奴らですら、いつ蹴落とされるかわからない世界。従う奴を間違えれば道連れに破滅する。


 だけど、現在、セシルにとってその世界がどうでもよくなるぐらい怖いのが、あの第二婦人だ。


―いまだに行方不明か


 息子を殺したことで、よほど恨まれていることは重々承知している。兄上やサアラの不安通り、きっと死んでいない限り今もどこかで復讐の機会を狙っているだろう。サアラが頑なに外に出したがらない理由の一つに、それが原因なことはよく知っていた。


―マンジュリカにあのババアに、それにレインのことだって。滅入ることは山盛りだってのに、良いことはなんもないよ、ったく


 セシルは、はあとため息をつく。

「レイン…」

 助けを求めるかのように思わず口をついて出た言葉。しまったと思うが、後ろで待機しているサアラの冷たい視線を感じる。

「……セシル様。あの男のことは忘れろと言ったはずですよ」

「…すまん、すぐ忘れる」

 ふつふつと怒りのわき上がるサアラの声。背後からブリザードでも吹いてきたかのような気がして、セシルは湯船の中で思わず姿勢を正す。

 すると、心底呆れたと言ったような、深いため息が後ろから聞こえた。

「知ってるんですよ。ラウル様から返してもらったあいつの時計。大事に隠しているの」

「…!」

 セシルはぎょっとした。しかし、恐ろしくて振り返れなかった。




 体が回復し始めた頃、レインが不審な人物であったことを、ラウルとサアラの2人から知らされ、セシルは大きなショックを受けた。やりきれない悲しさと怒りをどこにぶつけたらよいかわからず、見事に騙された自分にいらだちを覚えたものだった。マンジュリカにしてやられたこともあり、二重に自分の至らなさを見せつけられた心地がして余計に苛立っていた。



 だから、調査の終わった彼の上着と時計をもらった。破壊してすっきりしたいからと言った時には、なぜかラウルは若干引いていたが(セシルの暗い笑みに引いていたのだが)理解したようだった。そうして、セシルはやり場のない感情を、レインの上着と時計を滅茶苦茶にしてすっきりさせるつもりだった。


 上着はびりびりに破いてやった。足で散々踏みつけ、庭で燃やした。しかし、ちっともすっきりしない。むなしいだけで次の時計にまで手を出す気にはなれなかった。

 物に八つ当たりしたところで、何の問題の解決にもならなかった。結局自分の心が立ち直らなければ何の意味もないと、セシルは悟った。


 ならせめて質屋で売って、酒の金にしようと思った。その金で思いっきり飲み食いして、きっぱり忘れて終わりにする。それがいい。よく見れば銀製で文字盤にダイヤがあしらわれた、結構高そうな時計だった。使い込まれて多少よごれているが、磨けば売れるだろう。セシルはそう思って布で磨いた。

 が、磨いているうちになんだか愛着がわいてきた。ふたの表面に綺麗なクローバーの葉と花があしらわれていて、その中に1つだけある四つ葉のクローバーは、綺麗なエメラルドで形づくられている。サイズ的には男物だが、男物にしちゃ少し可愛らしい。

 意外に可愛い奴だったんだなとほっこり思うと共に、実は堅気でない奴という現実に虚しさを覚えながら、セシルは時計を磨いた。結局手放す気が失せ、物に罪はないんだしと思い直した。そして、ありがたくネコババするのが多少なりともの仕返しのように思って、セシルはそれを机の奥にしまった。



 だけどそれは言い訳で、実際にはもしかしてあいつは良い奴なんじゃないかというわずかな期待が磨いているうちに湧いてきていたのだ。だって、恩を着せる方式のスパイにしては接触してくることは無いし、本当にただの密入国者で取り調べを受けるとヤバいから逃げただけなのかもしれない。それに、通りすがりの人を命がけで助けるぐらいの良心があるのなら、きっと心の底から悪い人じゃない。




「…だって、かわいかったから…」

 女子サアラの同意を求めるかのようにセシルは言い訳するが、それで通じない相手だというのはわかっていた。

「かわいいって、あんた男でしょ」

「ハイ…」

「男なんですよね?」

 サアラは念押しするかのように、きつい口調で言った。

「ハイそうです…」

 観念したかのように、しゅんとうなだれるセシル。


「……」

 なら、さっさとその時計も捨ててください。サアラはそう続けようとしたが、セシルの落ち込みようにうっとつまった。さすがにそれは酷かもしれない。恋というものはどうしようもない感情のものだということを、サアラ自身痛いくらいによく知っている。


―知っていたのに。誰よりもそれを知る自分が彼を傷つけてしまった


 サアラは性急すぎたと反省した。しかし同時に、マンジュリカなどの危険がその身に迫る今、やはりセシルには男のことなど忘れて早く立ち直ってもらわないと、という思いもある。だから、甘い言葉でゆっくり慰めている時間などないのだと思う。


「そんなに可愛いというのなら、時計は持ってても構いません」

「…へ」


 セシルは思わず顔を上げる。ほけっと間の抜けた顔が可愛らしくて、サアラは思わず吹き出しそうになる。

「ただし、ラウル様に見つからないように」

 サアラは、「しー」と口元に人差し指を当てて、ウインクする。恋は弊害があった方が思いが募る。こうなったら、禁止するよりは容認した方が意外にあっさり冷める確率が高いだろう。

 非常時に一度だけ会った男のことだ。私のセシル様への長年の思いに比べれば、セシル様もそれほど男への思い入れは強くないはずだ。それに男はどうせ見つかり次第始末されるのだから、道ならぬ恋が成就する可能性など全く気にすることは無い。始末されたら主はひどく傷つくかもしれないが、始末したこと自体知らせなければ問題はない。


「うん!」

 ぱあっと顔を明るくして頷いた主に多少の寂しさを覚えながらサアラは微笑み、「それじゃ体を流して出ましょうか」と泡だらけになった湯船の栓を抜いた。

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