第3章:再会

3-①:よそ見注意

―一時はどうなることやらと思いましたけど


 サアラはほっと息をついた。グラウンドではぐるぐる巻きにされたカーターが、地面の上に転がされている。一足遅れて、警備の兵達もグラウンドに駆けて来る。


「なんだよあれ、変な破裂音がしたら急に倒れやがった!」

「セシルが何か構えてたけど、あれ武器なのか?」


 結界があるから大丈夫と逃げもせず、モノ好きな野次馬たちはグラウンドの淵の所で口々に言い合っている。バックヤードへの入り口が丸見えなサアラの席からは、セシルがごつい鉄棒のようなものを持っているのが見える。


―さすが、へんちくりんな武器とはいえ、天才のつくるものは違いますわ


 何かと研究や実験に付き合わされていたサアラは、自分のことのように誇らしげに思う。そんなサアラに隣の席に座っていた男性は、ふと口を開いた。

「お嬢さん落ち着いているんですね」

「ええ……まあ結界もありますしね」

 急に話しかけられたので、少し戸惑う。


「いえ、あんなものをあなたみたいな若い女性が見たら、卒倒しかねないと心配したのですが」

「…まあ、お気遣いありがとうございます。ちょっと気持ち悪いですけど…大丈夫ですよ」

 流石に慣れていますからとは、赤の他人には言えないので、サアラははにかんでごまかす。しばしばあるわけではないが、セシルが暗殺者を返り討ちした後の処分に携わることがあるので、結構グロイ状況に慣れているのだ。しかし、男は聞いてきたくせにさして興味なさげに「そうですか」と返すと、また目の前に視線を戻した。


「……」

 男に分からないように、サアラはちらりと横目で様子をうかがう。

 変わった人だなあと思う。周囲が応援に沸く中で、一人無表情で黙々と試合を見続けているのだ。この騒ぎになってからもそうである。表情をほとんど変えないこの男のその姿は不気味にすら思えた。というか、今日、この男が口を開いたのは初めてではないだろうか。


―まあ、そんな冷静な人もいるのかもね


 サアラもさして男に興味なさげに、視線をグラウンドに戻す。セシルはカイゼルと、よく家にあがりこんでくるヘルクと共に、バックヤードへ戻っていくところだった。

『ああ、お弁当せっかく作ったのに』

 おそらくこの大会は中止になるだろう。このごたごたでお弁当を食べられる余裕なんてきっとない。今更カーターに向けてものを投げてやりたい気分になる。




「サアラ!いくらなんでもやり過ぎよ」


 昨日、城に用事のあったサアラは、アメリアとばったり城の廊下で会った。そして会うなり、叱られた。カイゼルを通じてセシルいじめの状況を聞いたのだろう。あの男余計なことを、とサアラは思うが事実なので認めざるを得ない。


「気持ちはわからないことは無いけれど、一応私たちは侍女なんだから!ちゃんと主を支えてあげないと!」

「………善処します」


 サアラは大人しくうなずく。しかし、あなたも知っていて私に黙っていたくせに、という反抗的な気持ちがないわけではない。そして、アメリアのその見事な曲線美にセシルがいつ陥落するやらと、ハラハラしていたあの頃の自分が馬鹿の様に感じられる。

 さらに、サアラは思ってしまう。実は内心で、皆寄ってたかって何も知らなかった自分を馬鹿にしていたのではないかと。


―駄目だこりゃ


 そんなサアラの気持ちを読んだアメリアは、盛大にため息をついた。こりゃあ重症だなと思い悩む。


「わかったわよ。急に態度を変えろってのも酷だから…じゃあ、とりあえず明日は武闘会なんだし、健闘を祈るために、明日一日だけはセシルちゃんに優しくしてみるってことで、特訓してみましょう!」

「勝手に物事を進めないでください。賛同しかねます」


 サアラはしれっとした目線を送る。アメリアはむっとする。

「つれないわねえ!…こうなったら、意地でもそうさせて見せるわよ」

「お好きなように」


 背を向け歩き始めたサアラに向け、アメリアはすうっと息を吸うと大声を放った。

「セシルの侍女、サアラ・ホールの秘密ぅぅ!実は……!」

 城の廊下の真ん中で叫ぶ。歩いていた兵士や侍女たちが、思わず振り返る。


「きゃあ、あんた何してくれてんの!?やめなさいいい!」

 仕事用の改まった口調も忘れ、サアラはアメリアに飛びつく。しかし、アメリアだって負けてはいない。口を塞ごうとする、サアラの顔を押しのけ叫ぶ。


「実は、毎日かかさず…モガ…寝る前に自作の…モガ…セシル…モガ、にんぎょ、モガ…抱きし、モガ、めて……モガモガ」

「わかった分かったから!明日一日くらいだったら優しくしてあげるから!」

「あらそう良かったわ」


 わかればいいのよわかればと、アメリアはサアラからぱっと離れた。膝に手を突き肩で息するサアラの肩を、アメリアは「いい子いい子」と叩く。サアラがぎろりと睨めば、アメリアはまた何かを叫ぼうと口の横に手を当てたので、サアラは慌てて「わかったわかった」と必死になって止める。


「もし逆らったらどうなるか、わかってるわよね?」

 意地悪くにまにまと笑うアメリア。サアラはぐぐぐと拳を握るが、逆らえない。以前アメリアが泊りがけでリートン家に遊びに来た時に、サアラが誰もいない自室で油断していたため、知られてしまった事実。あんなことを皆にばらされるぐらいなら、死んだ方がましだ。


「わかったらいいのよ、それじゃあね♡」

 アメリアはそんなサアラにウインクして手を振ると、もう仕事は終わったと言わんばかりにそそくさと駆けていく。


「くそっ…」

 サアラは侍女からぬ悪態をつく。しかし、すぐにため息をついた。


「…そりゃ、優しくできるんなら苦労はしないわよ」

 実は本音を言えば、サアラは元のようにセシルに優しくしたいとは思っている。ただ、そうすると、昔の自分の馬鹿さを改めて思い知らされるような気がして、できないのだ。


 サアラは『それに』と思う。ラウルに退職願を受け取ってもらえなかった以上、セシルに愛想を尽かされて辞めさせられるしかないのだ。だから、これからも続けるしかない。


「まあ、明日ぐらいはいっか」

 一日ぐらい、しかも武闘会という特別な日だ。優しくしても、たまたまイベントで機嫌が良かっただけだと、すぐに忘れてくれるだろう。それに、セシルは最近、麻薬事件とマンジュリカの関係について知ってしまったと、ラウルから聞いている。セシルは近頃それで悩んでいるみたいだったから、1日くらいは労わって優しくしてあげたいとサアラは思う。




―せっかく今日一日だけと思って、目いっぱい楽しもうとしたのに


 今日だけ、というのを言い訳にできたので、サアラは昔のようにうきうきとしてお弁当を作れた。久しぶりにどんなものを入れたら喜ぶかなあと、考えて作るのは楽しかった。


 おまけに、今日は日頃からセシルをいじめている上に、城で会えばサアラもネズミのフン扱いしてくる至極ウザい公爵家の次男が、奇妙なことに快進撃をしていて案の定セシルと対戦することになり、暴言吐いての斬撃の雨にもう負けてしまうのではないかとひやひやしていた。それを、プライドもずたずたにセシルが返り討ちにしたので、サアラの心は晴れ晴れとしていた。


 家に帰ってきたら、二人でカーターざまあみろとハイタッチするつもりだったのに。そして、優しいあの人はお弁当おいしかったって、感想を言ってくれるはずだったのに。



 むかむかむかむかむか



 思えば思うほどイライラむかむかがサアラの胸の奥から溢れ、喉元にまで溜まってくる。


「カーターのくそったれええええ!」

 サアラは遂に立ち上がり、声に出す。


「うらあああ!」

 投げるものもないので、頭に来たままに座席の背もたれをはぎ取り、投げつける。背もたれは結界とぶつかり、ずがああん!と音を立てる。野次馬たちが一斉に振り返り、「うっわ…」と引いている。


 冷徹仮面の男ですらひどく驚いたように振り向いたのがわかったのだが、どうでもよい。ちなみに、弁償ならするつもりである。このイライラに比べたら安いものだ。


―セシル様、手足を封じるだけなんて甘すぎるわ!脳天ぶち抜いたら良かったのよ!


 それはさすがに公爵家の息子だからできないことは、理性では分かっていたが、いかんせんサアラの腹が収まらない。


―まあ、いくら公爵家の次男とはいえ、今回ばかりはただでは済まないと思いますけど!


 サアラが再びどすんと座ると、背もたれを失った椅子がぎしりと不穏なきしみを上げた。





 その頃、セシル達はバックヤードを外へ向かって歩いていた。


 今のところ、大会がどうなるかわからない。まだ混乱しているし、落ち着くまで連絡が入らなさそうだ。

 だが、あんな血なまぐさい所に居続けるのもさすがに嫌なので、セシルたちはとりあえず控室から荷物をとって会場の外へ出ようとしていた。


「セシル、この後どうする?」

「う~ん、とりあえずサアラとアメリーが大丈夫か、見に行かなきゃな。兄上は対応どころで会えそうにないと思うし」


 さっき下から客席を見た時、兄は団長と共に、お偉いさん方や顔をしかめる来賓たちを外へと誘導しようとしている所であった。セシルはその兄の平身低頭の姿勢を見つつ、家に帰ったらきっとストレスで胃から血を吐きだしかねないと思って心配していた。


 ちなみに、その隣では、カーターの名を呼び発狂錯乱する公爵第二婦人を、5人がかりで場外へ連れ出す兵士の姿があった。セシルはあの女と目が合ったら嫌だと思ったので、すぐに背を向けたが。


「おふたりさんとも、やっぱ一番目は彼女ちゃんの心配ですかい?お熱いですなあ」

 真ん中にいたヘルクがにまにまと、両肘で両脇の二人をこづく。


「「いや俺/オレらただの幼馴染だから!」」

「またまた~んなこと言ってえ!セスなんて今日の朝もみみずばれ付けて、幸せそうにほうけてたじゃん!カイだってあんなぼんっきゅっぼんな侍女ちゃんと、毎晩お盛ん…おうっ!」


 カイゼルが肘でゴスッとヘルクの脇腹を打つ。ちなみにセシルも出勤したばかりの時、呆けていたには呆けていたが、もしかしてサアラがどこか頭打って優しくなったんじゃないかと心配して上の空だっただけである。


「何度でも言うが、俺はあいつとはただの幼馴染!」

 必死になって言うカイゼルに、お前は違うだろと内心思い、セシルはしれっとした目線を送る。そして、もうそろそろコイツに心を決めさせないと、と思っていたセシルは、いい機会だしと思い口を開いた。


「ええ~、よく言うよ。こんないだ、花びらちぎりながら『アメリーは俺のこと好き、嫌い』とかやってたくせに」

「うっ!?お前、見て…」

 見てたのか、と言いかけて、カイゼルはしまったと思う。図らずも認めてしまった形になったカイゼルを、ヘルクがによによと笑って見ている。


「なあどうにかしてくれよ、ヘルク~。こいつさあ、アメリーのこと好きなくせに、振られたらどうしようって告白する意気地なくて、結局他の女引っかけて宿屋でよろしくやってんだぜ」

「マジか、初めて聞いたぞ!お前最低だな!」

 ヘルクが汚いものから目をそらすように、うへえとカイゼルから顔を背ける。


「違っ…俺は!…いや違くないって言うか…うう」

 自分は最低と認めざるを得なくなったカイゼルは、しゅうううと空気が抜けるように小さくなった。


「お前さあ、女遊びは駄目だとは言わないけど、ちゃんと本気の女がいるならやめた方がいいぞ。そのうちもしうっかり子供なんてできたら、アメリーに二度と告ることができないどころか、顔向けできなくなるぞ」

「そうだそうだ!それに、抱いた女の数も忘れるぐらい遊びすぎると、明らかに知らない女なのに『あなたの子なんです』とか言ってきたりするかもしんないぞ!」

 ヘルクがやたら説得力のある声音でいう。もしやとセシルは疑う。

 ヘルクは女遊びが激しかったが、最近は少し(と言っても若干だが)マシになっている。この男、そういう経験をして反省したということだな、とセシルは今更ながら理解した。


「じれったいんだから、さっさと告白しろ。というか、早速オレがかわりに告ってやるか」

 うひひと笑ったセシルに、カイゼルが泣き出しそうな顔で飛びつく。

「やめろ!やめてくれ!振られたくない!」

「お前図体はでかいくせに、ガラスの心だな。そうやってこじらせてると、しまいに豆腐メンタルになるぞ」

「豆腐になろうが豆乳になろうが、何でもいい!振られたくない!」

「なんで振られること前提なんだか」


 あまりもの必死さに、セシルは「わかったわかったやめとく」と、ため息まじりに言う。



「で、セスの方は実際のところどうなんだよ」

「は?何が?」

 その問いの意味が分からずセシルが振り返れば、うきうきと目を輝かせてヘルクが見ている。


「とぼけても無駄だぜ!カイゼルばっか責めてるけど、お前の恋愛事情はどうなんだよ!」

 きらーんと、ヘルクの目が光る。

「恋愛?ただの幼馴染だけど」


 その答えに、ヘルクはずしゃあああ、と盛大にずっこける。しかし、セシルはけげんそうな顔でそれを見ると、「前からそう言っているじゃないか」と眉をひそめる。

「かぁ―――!まだとぼけるかこのリア充!カイ!お前なら何か知ってるだろ!ピュアな恋心を踏みにじられた仕返しだ!さっさとばらしちまえ!」


 ヘルクがカイゼルをあおる。秘密をばらした相手の秘密を、わざわざ守るわけがない。ヘルクはそう踏んだが、カイゼルは「ああー…」と考えるように目をあさってに向けて、がしがしと頭をかいた。


「こいつとサアラはなんというか、友達以上兄弟未満みたいな…?」

「はあ!?なんだよそれ!?お前、好きな奴ばらされたんだぞ!それでも庇うなんて、それでいいのか!?」

「いや、それ以外言いようがないというか…それ以外に成りようがないというか…」


 微妙な顔をしながら、カイゼルは言い訳をぶつぶつと言っている。


「ごまかすな、はっきり言っちまえ!」

「う~ん。はっきり言っちまうと、セシルとサアラはお互いに恋愛対象外ということだな」


 真顔でカイゼルが言う。ヘルクはこの男、どれだけ友情に厚いのか、とあきれる。それと同時に、こいつらお互いによく知っていて固い友情で結ばれていやがると、嫉妬にも似た気分がわき上がってふんと鼻を鳴らした。


「もういい!先に行ってる!どうせ俺は一人ですよ!ダブルデートでよろしくやってろ、リア充ども」

「「……」」

 どしどしという勢いで先に歩いて行ってしまったヘルクを、二人は肩をすくめながら見送った。


**********


「お、あいつやっと連行されるぜ」

「ああ」


 セシルとカイゼルが客席に着いたのは、猿ぐつわを噛まされたカーターが丁度兵士達に引きずられて連行されていくところだった。

 避難でパニックになっていた客たちも、セシル達が来るころにはカーターが捕らえられたことで多少は落ち着いていた。ただ、「情報が入り次第連絡しますので、会場外の広場で待機してください」と先ほどからアナウンスが入っているので、セシルたちは会場外へ出て行く人の波に押され、隅の方をかき分けながら入るしかなかった。座席の方にも混雑を嫌った人が、空くまで出るのを待とうと結構残っている。


「何人かモノ好きは身を乗り出して見てるぞ。よくあんなエグいの見れるなあ」

 カイゼルが前の座席の方に集まっている人たちを見て苦笑いする。

「ここらへんだと思うけど…あ、いた」

 セシルは、下の方にボブカットの後ろ姿を見つけた。白いリボンをカチューシャのようにして首の後ろで結んでいるので、よく目立っていた。


「じゃ、俺はアメリー探しに行くな」

「おう」

 カイゼルはセシルの答えを聞くよりも早く、さっさと駆けていってしまう。はは、やっぱ気になってんだな。お熱いことで。


「おい、サアラあ!」

「セシル様?!」

 セシルが手を振って呼びかけると、サアラは驚いたかのように振り向いた。しかし、隣の男も、サアラを見た後、驚いたかのようにセシルの方を振り向いた。男はすぐに顔を元に戻したが、直感的に何となく違和感があって、セシルは「ん?」とけげんに思う。でも、特に何の変哲もない男だし、気のせいだと思い直すと、セシルはサアラの元へ走っていく。


「迎えに来たぞ!お前のことだから、通路が空くまで中で待ってるんじゃないかって思ったんだけど、当たったな!」

「……ありがとうございます」

 サアラは何かもの言いたげな表情をして、だけど結局無愛想な顔に戻ってお礼を言う。だけど、ほんのりと頬が赤い。ん?


「ほ~ら、こんな縁起でもないとこ、さっさと出よ。」

 セシルはさっとサアラの手を取り、立ち上がらせる。そこではたと気が付く。なんでか、座席の背もたれがない。

「……」

 セシルの背に、ぞぞぞと悪寒が走る。


 うわあ、まさかこんな壊れてる席のチケット買わされちゃったの、オレ?!だから、もしかしてサアラとてつもなく怒ってるけど、我慢してるってこと!?ていうか、こんな席そのままにしておくなんて、ちゃんと座席点検したのかよ、魔術師庁の奴ら!オレのせいじゃない、サアラ、オレのせいじゃないんだ!!


「セシル、様」


あわあわあわ


 ふつふつとわきあがるような声。うつむいて、前髪で隠れているサアラの表情。

 絶対ド怒り我慢決壊5秒前。絶対殺される。いや確実に殺される。

 がたがたがたと震えだしたセシルは、サアラが握った手にぎゅっと力を入れた瞬間、あわや心臓が口から出そうになった。


「6連勝、おめでとうございます。ハラハラしましたけど、勝ててほっとしてます」

 サアラがにこりんと笑った。


「…え」

 状況が理解できないながらも、セシルは喉まで上がってきていた心臓を、ごくんと飲み込む。ええと、これは怒っていないということでいいのだろうか。


「お、お前、怒ってないの?」

「え、なんでですか」

 サアラは、何をどうしたらそうなるのかと首をかしげた。

「だって、オレのせいでこんな不良の座席当たったから…」

 セシルはほらと言って、背もたれのない座席を指を差す。すると、サアラが目を泳がせた。


「いや…これは」

 セシル様のせいではない。だけど、さすがに自分がやりましたなんて言えば、乙女として見てもらえなくなる。


「なんといいますか…弱っていたようで、もたれたら壊れたと言いますか」

 サアラは困った風を装っておいた。この場はバックれておこう。弁償代は後でこっそり持っていけばよい。

「やっぱり!ごめんな、こんな席に今まで座ってたんだろ?背中しんどくない?…安心しろ、後で魔術師たちに文句言っておくからな!」

「いいんです!さっき壊れたばっかですし!」

 それはばれるから困る。サアラは「でも」と渋るセシルの腕に腕を通し、それよりさっさと外へ行きましょうとぐいぐいと引っ張った。





「…あれ?」

「どうかしました?」


 サアラがもうすぐ出入り口というところで、急に立ち止まったセシルに不安げに問う。すると、サアラを腕にくっつけたまま、セシルは急に下の座席の方へ降りていこうとするので、サアラもあわてて歩調を合わせた。

「…なんかちょっと変なような…?」

 急に体が軽くなったような感覚に襲われたのだ。頭上に今まであったものが取り払われたかのような解放感。一瞬結界の解除を疑うが、まさかそんなわけはないと思い直した次の瞬間、



どかああああん!



「きゃあ!」

「サアラっ」


 会場全体が揺れた。セシルは咄嗟にサアラを抱き寄せ、そばの空いている座席の隙間にもぐりこむ。体の下にかばい伏せた。止まることなく、連続して爆発音が上がる。


「ひいいい!」

「大丈夫!大丈夫だから!」

 爆発で断続的に揺れる地面。ぱらぱらと瓦礫が落ちてくる。大勢の悲鳴がこだまする。セシルは片手で座席をつかみ体を支え、恐怖に抱きついてくるサアラを片手で抱きしめ返す。


 振動がやっとおさまった頃、セシルはおそるおそる顔を上げた。

「は…?」

 太く目立つ煙がグラウンドを一周するように4本立っている。そして、さらに2.4.6と数えれば16本の煙。16個あるはずの客席の出入り口が崩れていた。誰か下敷きになっているのだろう、セシルのそばの出入り口では結構な数のうめき声が聞こえる。連れ合いが下敷きになったのか、血だらけの女が焦げた髪を振り乱して取り乱している。


 辺りで人が走り始める。兵士たちが落ち着かせようとしているのだろう、何かを叫んでいるが、観客たちの悲鳴で何も聞こえないし誰も聞いていない。一体どこへ、ということも考え及ばず、ある者は通れるはずのない出入り口に殺到し、ある者はグラウンドへ飛び降りる。


「え……」

 驚いたのはサアラも同じだったようだ。何故グラウンドに降りれるのか。その答えに考えを及ぼした時、ゾッとする結論が出た。


「絶縁結界装置…」

 太い4本の煙の発生している場所にあったはずのもの。それが跡形もない。


「…ちょっと待てよ、まさかこっちも」

 セシルは手に魔力を込めた。嘘のように簡単に青白い光の玉が発現できた。半ば恐怖に取りつかれながら、それを空へ向かって客席の上に一直線に放つ。遮るものは何もない。


「は…?」

「嘘でしょ…」

 2人は驚愕の表情で固まった。



「…ッ!」

 ふと。その時風で運ばれてきた匂いに、セシルはまたもや背筋が冷えた。サアラも唖然とする。

「この匂い、火薬ですわ…」

 自作の銃の爆発物質と、ほぼ同じ匂い。硝石と硫黄などを混ぜてできる爆破材。

 なぜか直感的にそれらを混ぜたらできると知っていた、魔法を使わずとも爆発できる物質。


『そんなもの、いらないわ。あなたがいてくれたら十分だもの』


 当時セシルの魔法の方にしか興味がなかったアイツの気を引くことができず、アイツに教えたということ自体忘れていたもの。



 セシルは呆然とつぶやいた。

「マンジュリカだ…」

「なんですって!」

 その言葉にサアラが思わず叫ぶ。


「火薬なんてもん、つくれるのはオレかお前か」

 セシルは愕然とした表情のままつづける。

「昔…オレが教えたアイツしかいない」


 ヘルクにも、鉱石を混ぜ合わせるだけだと、はっきり言っていない。国王には言う前に足蹴にされたので一切言っていない。知っているのは、文句を言いつつも研究を手伝ってくれているサアラだけだと思っていたのに、セシルは重大な事実を忘れていた。


「あんた、なんてあんな危険な奴に教えたんですか?!」

 思わずサアラはセシルの襟ぐりをつかむ。

「…すまない。オレはあの頃どうかしていた…」

 セシルはうなだれた。その苦しげな表情に、サアラははっとして慌てて手を緩めた。


「…終わったことは悔いても仕方がありませんわ。それよか、今これから、この状況をどうするかが肝心です」

「サアラ…おわっ」


 サアラはセシルを突き飛ばし立ち上がると、へたり込むセシルにびしいっと指をつきつけた。


「まずは、状況の詳細な把握です。さあ、さっさとする!」

「わかったよ!」


 サアラの変わり身の早さに、落ち込んでいる暇もなくなったセシルはサアラに張りあうように立ち上がった。


 二人で周りを見渡す。騒然とする会場。しかし時間の経過と共に、客は少し理性を取り戻し始めたのか、出入り口を埋める瓦礫をどかし始めている。グラウンドへ逃げている輩は、そのままの勢いでバックヤードへの出入り口に向かって走っているが。


「この混乱じゃあ、しばらく動けないな」

「今は、襲撃してくる可能性に備えましょう。魔法が使えるようになったんですから」


 セシルは荷物を背負いなおすと、剣の鞘を握った。サアラも護身用の短剣を取り出す。2人は背を合わせてあたりを警戒する。


「見たところ、爆発で結界と出入り口を破壊しただけですね。」

「そうだな。点検しても、火薬は魔法を使わないから検知には引っかからない。たぶん、魔晶石の台座の内部に空洞でも作って、詰め込んだんだろう。しかも結構な量」

「客席の方の結界がきっと先に消えたんですね。セシル様が異変を感じた時に、消えたんでしょう。そして、消えたのは、きっと作る段階で余計な魔術式を組み込んだやつがいるからですわ。台座にしろまさか、魔術師長が…」

「ああ…」


 信じたくはないが、結界の魔術式を編み上げるのはメイだ。サボって誰かに丸投げしていない限り、彼女以外に誰が組み込めるだろうか。


 セシルはぎりと歯を食いしばる。あの野郎、国家の内部にまで浸蝕を始めていやがる。


「だけど、少し奇妙な点が残りますわ。なぜいちいち、グラウンドの結界を火薬で爆破する必要があったのでしょう。客席と同じように結界をつくれば手間なんてかかりませんのに。それに先に外の結界を解いたのなら、火薬を使わずとも何かしらの魔法を使って出入り口や魔晶石を破壊すればいいんですのに」


 そのとおりだ、とセシルは思う。何故内側の結界だけ、しかもわざわざ火薬を使ったのか。


「…もしかして、これは私がやりましたと、オレに誇示したかったとか」

「ならよっぽど酔狂なあほですわね」

「実際そうかもしれん、あのアホは」


 サアラの辛辣な物言いに、セシルは真顔で頷く。


「火薬の点火はほぼ同時ですから、おそらく協力者が何人かいたんですね」

「…台座に近づいても、みんなカーターの捕縛にくぎつげだったから、気づかれにくいしな。兵士も誘導ばかりに気を取られていたから」


 あまり見たくない光景だが、黒焦げの手足や頭部らしきもの、すすけている癖に断面は半焼けの胴体が、爆発現場あたりにころがっているのが見える。随分巻き添えがあったようだ。


「後、出入り口にも火薬を仕掛けて爆発させるということは…」

「塞いで何か中でやるつもりなんだろう、今から。しかも魔法を使って」

「カーターもきっと仲間ですね」

「そうだな」


 混乱の状況を作り出すきっかけとなったのは、カーターである。彼はアイツの手駒である可能性が高い。


 乱闘騒ぎを起こして混乱を起こし、こういう事態に持っていくつもりだったのだろう。ただ、ただ挑発にあっさり乗って負けた時の様子を思い出すと、どうもあれは演技に見えないのだが。とにかく、計画の真相はカーター本人から聞かなければわからない。

 カーターはもうグラウンドにはいないが、おそらく会場外の人目がなくなってから連行するつもりで、バックヤードのどこかの部屋に閉じ込めているはずである。


 セシルは、すぐにでも拷問まがいのことをして聞きだそうと思う。

 しかしまずは、どこにいるかわからないアイツに、魔法を使わせない状況を作っておかなければ動くのも危険である。



 セシルは魔術の詠唱を始める。それと同時に、セシルの魔力を帯びて青白く輝く、流麗な魔術文字が客席の上を覆い始める。そうして、セシルは客席上に結界の術式を書き上げていく。


 絶縁結界の魔術式は魔術師長だけに伝えられる秘蔵のものだが、セシルは同様なものが自分でできないかと独自に研究したことがある。結局、魔術師長レベルの者がほどほどの魔法しか使えなくなるという、不完全なものしかできなかったが、無いよりはマシなはず。


「後は、魔力を与えるだけ」

 正式の絶縁結界と同様に、この結界にも発動に莫大な魔力がいる。セシルひとりの魔力では補えない。

「すまんな。ちょっくら、いただくぜ」

 セシルがそういった瞬間、サアラはがくんと自身の力が抜けるのを感じた。同様に、その時競技場にいた、ある一人―レスターを除いたすべての人間が虚脱感に見舞われていた。


「セシル様、こんな無茶…」

「大丈夫だって、慣れたもんだよ」

 サアラが咄嗟に止めようとするが、セシルはにやっと笑ってがしがしと頭を撫でてやる。


 セシルが扱う魔法は、吸収魔法だった。リトミナ王家に代々発現する魔法であり、その力は、人間や動物が持つ魔力や、魔法に含まれる魔力を吸収することができた。そして、吸収したそれを自身の魔法に利用することができた。魔法攻撃を吸収して無効化することもできる。


 セシルは吸収した魔力を、魔術式に与え結界を具現化していく。

「よし、もうすぐ完成」

 青白く輝くドームがほぼ完成する。この魔法はできあがるのに時間がかかるのが難点で、途中で邪魔が入らなかったことに、セシルは今更ながらほっとする。



 結界が放つ柔らかい光に、観客たちがふと足を止めて見上げ始める。

 サアラもほっと一息をついて…


パアン!


ばりいいん‼


「……!」

 聞き覚えのある乾いた音が発せられた一瞬後、頭上のドームが、ガラスが割れるような大音響を立てて割れた。


「…な、何が!」

 サアラは目を見開く。その光景に、観客たちが悲鳴を上げ逃げ惑う。ドームの破片がキラキラと空気に胡散して消えていく。

 『王家の最悪の事態』が起こったのかと、一瞬不安がサアラの脳裏をよぎる。しかし、あれはこんなものではない。そう思い直し、セシルを振り返ったサアラは、しかし悲鳴を上げた。


「……なんだ…これ…?」

 セシルは自分が吐き出した血の滴る手のひらを、呆然と見ていたのだった。





『あらまあ、なさけないわ』

 赤い水面を通し、女は過去に可愛がっていた人形を見ながら、怪しく笑った。


『私だって、次期魔術師長だと言われていたことがあったのよ。そのことを忘れてるなんて』

 だから、精神の抜けた傀儡に単純な行動を指示することぐらい、何ということもない。


『おおざっぱ。自分の力に自信があるが故に、計算高いようで間が抜けている。何度も注意したはずなのに、昔から何も変わっていないわね』


 あなたのことなんて何もかもお見通しよ。


『さあ、私の愛しの天青石セレスティン

 女は赤い紅を引いた唇を妖しくゆがませる。


『私を楽しませてちょうだいな』

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