殺戮の記憶と英雄論。

 そのような戦いが繰り広げられていた一方、救羽は店にとり残された。


「……」


 孤独な空間は、やはり寂しさの募るものだった。そして何より、静か。

 外の遠くで銃声や怒号があるが、聞こえる音はそのくらいなものだった。店の中に動物や虫も這い寄っていないのではないかという程、店の中は無音だった。

 動物や虫のいない店は、この地帯では衛生的には合格だと言えるのだが。


「……ん……」


 救羽は今いる店の中を見始めた。

 自分の座っているソファ、その向こう側にも同じソファ。その2つのソファを挟むように、何かの金属でできている丈夫な机。今はその上に妖しげな炎を発している錠前、そして錠前に格納された鎖に巻かれていた1冊の黒い本がある。

 救羽は明らかに危険そうな炎に触れないように、本を手に取ってみる。

 そこには自分の家族を殺した刃先権平の写真と、その簡易プロフィールが載っていた。


「……っ!」


 救羽は、家族を殺された憎しみを写真を睨みつけることでぶつけてみるが、写真に写る刃先は顔色1つ変えなかった。

 そのページを思い切り引き裂いてやりたくなったが、それによって不都合が起きても困る、と何とか思いとどまる。

 本をそっと机の上に置き直し、ソファに深く腰掛けて気を落ち着かせようと天を仰いだ。

 天井には電灯がなかった。あってもこの地域では電気など殆ど使えないのだが。リオの家で機能している冷蔵庫はかなり稀な例なのだ。

 そういえば、電灯があるとどれだけ違うのだろう――電灯の存在だけは親から聞いていた救羽は、存在しない物に――存在しない者に思いを馳せる。


「……お母さん、お父さん……」


 刃先の虐殺によって、天城家の人間は救羽を除き、全員死んだ。

 優しかったお母さんも。

 寡黙だが頼りがいのあるお父さんも。

 冗談を言ってはからかってきたお兄ちゃんも。

 年齢が近くよき話し相手だった妹も。

 会う度、綺麗になったねと言ってくれた叔父も。

 無邪気で自由奔放で、遊び相手をしていた従兄弟いとこ達も。

 その他大勢の親類諸共。

 皆、死んだ。

 救羽だけが、生き残った。


「……」


 今でも、その殺害の場面が鮮明に脳裏に浮かぶ。

 そこにいるのは、狂った殺人鬼の姿。

 それに立ち向かう、天城家の面々。

 殺人鬼は言った。


『しょぼいなァ……この刃先権平を舐めてんのか?』


 ケタケタ笑いながらも、殺人鬼は天城家の人間に特攻する。

 天城家の人間も当然一斉に攻撃するが、誰一人その殺人鬼に当てることは出来ない。殺人鬼は、横に動き、しゃがみ、筋肉をバネの様にしては前進し、止まり、全てを優れた身体能力だけで捉えて避け続ける。

 必殺の刃が天城家の首筋に届き、切り裂く。鮮血が噴水の様に飛び散っていく。――噴火の様に、勢いよく飛散する。

 血の海。哄笑。

 最後に救羽が憶えているのは、そんな場面だった。


「……さびしいよ」


 ソファの上で、体育座りのようにして、身体を縮める救羽。

 もう流す涙も枯れ果ててしまった。ただ、悲しい、寂しい気持ちが残るだけ。

 無気力。救羽に残ったのは、そんなものだった。

 実際ここに来たのも、ただの偶然でしかない――もしこの『Murderer House』という率直なネーミングの店を見つけなかったら、きっと彼女は、路地裏でのたれ死んでいた。

 いや、或いは刃先に殺されていたかもしれない。無残に、残酷に。

 とにかく、親族を殺され、命からがら逃げ延びて、それでもいつ殺されてもおかしくない道を延々と歩き、この店に辿り着いた救羽は確かに疲弊していた。体も、心も。

 もう、どうでも良くなっていたのだ。生きていても仕方がない、どころか死んだ方がマシだ、本気でそう思っていた。

 だから、この店の主――リオの「確実に標的を葬ろう」という言葉を聞いた時、救羽は喜んだのだし、その対価として、自分をここに売って、仕事を手伝うことを申し出たのだ。

 何の仕事になるのか――そんなものは分からないが、それを考える余裕もその時の救羽にはなかった。

 自分を助けてくれる存在がいる。それならばまだ生きていてもいいのではないか、と短絡的にもそう思った。

 だが、今はようやく冷静になれた――考える余裕は、少しは出来ている。

 その頭で考えると、救羽は「とんでもないことを言ったなあ」と素直に思った。


「でも、それを受けいれちゃうリオさんも、ある意味凄いよなあ……」


 と思わず口に出た。だがあの時の救羽からすれば、受け入れてもらえれば何でもする覚悟があった。

 ではもし、リオが任務を遂行して帰って来て、その後はどうなる?

 救羽は今よりマシな生活が送れるのだろうか。

 少なくとも、あの家族がいた頃には到底及ばないだろうが、命を狙われた逃亡生活よりは良いのだろうか。

 その答えは、リオが仕事を終えて帰ってきた時に救羽をどう扱うかによる――リオの性格や、人の扱い方による。


「……リオさん、どんななんだろう……」


 人を殺すから、やっていることは刃先と変わりがない。その観点から見れば、確かにリオは「悪」と言えた。救羽にはそんなことは分かっていた。――この『無人地帯』においてその考えを抱けるのだから、彼女は大したものではある。それはひとえに、天城家という環境のお蔭なのだが。

 だが、どうにも彼女には彼が完全な「悪」には見えなかった。「善人」――とまでは言わなくとも、「悪い人」ではない。そんな感じだ。

 しかし言ってしまえば、どの生物にも(それこそ魔人にも)必ず「善」の部分があって、完全な「悪」など殆ど存在しないはずである。救羽の抱くその感情は誰でも抱き得るものだし、もしかしたら刃先にもそうした感情を抱く者がいるのかもしれない(あの様では、いない方が多いかもしれないが)。

 逆に言えば、家族を殺されて刃先に恨みを持ち、その刃先を殺すリオに良い感情を抱くように、標的を殺されてリオに恨みを持つ人は必ず存在する。

 その違いは、果たして何か。

 その答えをここで述べるとすれば、「恩義」だろう。「復讐をしてくれてありがとう」という意味での「恩義」。

 すると、そんな簡単なもの、、、、、、、、で「悪」は薄れてしまう、、、、、、のか。もっと言えば、「復讐」で「悪」をある程度相殺できるのか。

 自分にとっての正義は、悪を凌駕するのか――さながら、どこかの絵本に出てくるヒーローのように。


「……」


 考えれば考えるほど、分からなくなってしまった。

 ただきっと、自分ではこの選択に後悔はない――とは思っていた。より正確には、これが自分の選択なのだと。

 今は、リオを信じるしかない。

 そんなことを考えているうちに、救羽はいつの間にかソファの上で寝てしまっていた。


***


 轟音。

 救羽の目を一気に覚ましたものは、遠くで鳴っているが、しかしそれにしても巨大な音。


「えっ、何……!?」


 ソファから飛び上がるようにして店の窓の元へ行き、そこから外を覗く。少し遠くで、何か煙のようなものが立ち上っていた。

 爆弾。倒壊。脳裏に真っ先に浮かんだのは、その2語だった。

 もしかしたら、リオなのかもしれない。


「……」


 彼がもしあそこにいるのだとしたら、大丈夫なのだろうか。

 一体、生きて帰ってくるのだろうか。

 救羽は不安になった。


「……あれ?」


 救羽は、そう思っている自分に驚いた。

 今自分は、何に、、不安になっている?


「……」


 それはただの信用なのか、それとも本心なのか。

 自分でも、分からなかった。


「でも、心配なのは確か、よね……」


 そうして窓にしがみついていると。

 路地裏から5人くらいの男が現れるのが見えた。救羽はそれを見つけて何とも思わなかった。それは当然である――救羽の知らない男達なのだから。

 だが男達の方は、救羽の存在を見逃さなかった――明らかに救羽の姿を視認して、表情を変えた。救羽はそれを認識して、窓から遠ざかる。

 まさか――刃先の手下?

 だとしたらこれは状況としてはかなりまずい。

 逃げるか、隠れるか、戦うか。

 隠れるなら裏の部屋に逃げるしかないが、不幸なことに、救羽は奥の部屋を確認し損ねた――隠れるだけではいずれ見つかるのは目に見えているので脱出経路が必要なのだが、その確認を怠ったのだ。

 こんな状況になるとは思ってもいなかった救羽にしてみれば、仕方のないことではあった。

 だからといって、今救羽のいる部屋の窓から逃げても、すぐに捕まるのが目に見えている。――最悪、そのまま殺される。

 ならば、もう選択肢は1つしかなかった。

 そこまで考えたのと同時に、男達が店のドアを蹴破って入ってきた。

 救羽の方を見て吐き捨てるように言う。


「よぉ、天城救羽……殺しに来たぜ」


 男達は全員、ナイフを持っていた。殺す気だ。

 救羽も身構える。――やらなければ、やられる。


「へえ、やるのか――なら遠慮なく殺させて貰うぜ」


 男達は一斉に動き、救羽を取り囲む。

 救羽はしかし、動揺することも取り乱すことも無く妙に落ち着いていた。

 それに違和感を覚えた男達だったが、構わず1人が救羽に右手で持つナイフを突き立てようとする。


「死ねッ!」


 救羽はそのナイフの軌道を簡単に読み取り、身体を横にして避ける。ナイフを手にしている右の腕に左の手刀を打ち込み、凶刃を落とさせる。


「なっ……!」


 間髪入れずに左手で右腕の服の部分を、右手で胸倉を掴むと、男が突っ込んできた勢いを利用して、背に乗せる。そのまま救羽は、男を床に叩きつけた。骨が軋む音を耳にしながら、男は肺から息を強制的に吐き出され、苦悶する。

 背負い投げ、、、、、。見事に決まった。

 床に落ちたナイフを手にして、救羽は臨戦態勢に入る。

 一方で男は妖しく笑んで、号令する。


「叩き潰せ!!!」


 1人の男が、ナイフで斜めに斬りかかろうとする。救羽はそれを避けようとするが、すぐ下で先程投げ飛ばされた男が足首を掴んで動けなくなった。

 ナイフでナイフを受けるが、当然力は男の方が強い。救羽は押されていた。その不利な状況を利用して、足首を持つ男がそのままくいと引っ張って、救羽を倒れさせる。

 しめた、とナイフを持つ男は、倒れた救羽にナイフを突き立てる。だが次の瞬間、救羽はまずナイフを後方へ投げつける。後ろには襲い掛かろうとした男がいた。

 後方の男は仰天しながらもナイフを避けるが、そのお蔭で隙が出来た。

 その隙を用い、目前に迫る男の前で1つ大きく拍手をした。

 予備動作のない、完璧な動き。男は、その音で体が硬直してしまった。ナイフも、手から滑り落ちた。

 俗にいう猫騙し、、、である。


「っ……!?」


 その隙に救羽は、足首を掴む男の頭に強烈な蹴りを入れて怯ませ、抜け出すことに成功した。

 現在は、床で寝ている頭を蹴られた男と、猫騙しでまだ少し麻痺している男、そしてまだ戦える3人の男がいた。


「……はっ、中々やれるじゃねえか」


 男3人は、一斉に救羽に襲い掛かる。救羽は1人に向かって行き、ナイフを避けて鳩尾に張り手を叩きこむ。怯んだ隙を利用して両手で服を掴むと同時に、片足を払ってバランスを崩し、もう1人の男へと投げ飛ばす。

 残る1人の男に向き直り、戦闘を仕掛けようとする。

 だが、突如衝撃が救羽の体を襲い掛かった。

 先程投げ飛ばした男が、救羽の元に投げ飛ばし返されたのだ。


「っ!?」


 予想ができていなかったために、バランスを崩して床に倒れ込む。

 猫騙しの麻痺から回復した男と、床にいた男とが腕を掴み、吹き飛ばされた男がすぐに起き上がって救羽の両脚を掴んだ。

 勝負あった。


「ったく、てこずらせやがって……」


 救羽はじたばたと手足を動かそうとするが、全く動かなかった。

 殺される。

 その事実を突きつけられ、目に涙を浮かべた。

 男はそんな救羽を見下しながら、ナイフを片手でもてあそぶ。


「こんだけお痛をしたんだ……お仕置きが必要だよなあ?」


 ナイフが首筋に当てられる。それは死人のように冷たかった。

 背筋が凍り、震えが増す。

 怖い。その感情が、救羽を支配していた。


「どこがいい?指か?脚か?腹か?」


 言いながら、ナイフでその部位を次々触れていく。


「嫌……」


 震えた声で応じると、男は楽しそうに返した。


「どれも嫌か、じゃあ目だな」


 男はナイフを構え直し、もう片方の手で右目を強制的に見開かせた。

 救羽は、絶叫しながら暴れる。


「やっ!やだやだやだあああああああっ!!!」

「お前で天城家は最後だからなあ、ゆっくり楽しませてもらうぜ?」


 次に会える『往名いにな』は誰か分からねえし。

 そう言ってから、目を破壊しようとナイフを持つ腕が振り上げられた。

 救羽は、声にならない絶叫を上げる。


「そう――らっ!!!」


 涙が溢れ出る救羽の目は、こうして破壊される。

 ――筈だった。


「……あ?」


 男は、振り上げた右腕に違和感を覚えた。

 視線をその違和感へと向ける。

 違和感は一瞬で解消した。

 肘から先が、ナイフ諸共消えていた、、、、、のだから。


「あっ――あああああああああああああああ!!!?」


 血が噴き出す。錯乱する男と驚愕する男達。

 血を噴きかけられ、気絶寸前の救羽。

 腕を切断された男は、顔面に強烈な殴打を喰らい、吹き飛ばされた。


「――では」


 救羽は薄れそうな意識の中、1時間ほど前に聞いた声を耳にした。

 それを聞いた瞬間、彼女は何故か安堵した。

 それこそ――彼がヒーローであるかのように。


「煉獄に焼かれて死ね」


 その言葉を最後に、一旦救羽の意識は途切れた。

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