壱席目 本編:破

 庄兵衛が背を向けて去っていくと、みなもは先の言葉通り、井戸の周りを何度も見て回り、くまなく井戸を調べておりました。暇を持て余した信三郎は大欠伸をかましてて、芝生にどっかと座り込みました。

「何か分かりそうか?」

 信三郎は未だに井戸の周りをぐるぐる回っているみなもに声を掛けます。しかし、みなもは信三郎の言葉を気にする様子もなく、真剣な眼差しで今度は井戸の周りの地面を指でなぞっておりました。そして、次には数回その場で飛び上がる――何とも奇妙な行動に出たんであります。

 みなもの返答こたえがないのはいつものことで、信三郎も「またか」くらいにしか思っておりませんでしたが、地面を跳ね回ってるのには口をあんぐり。

「……おいおい、げん。遊んでる場合じゃねぇんだぞ?」

 みなもの行動にイラッときたんでしょうな、信三郎は。呼び方が「げん」になっております。「げん」と呼ばれて、みなもの方もギッと信三郎を睨めつけます。

げんって呼んだな!」

「そんなとこで何ピョンピョン跳ねてるからだよ! 遊んでる場合じゃねぇっつってんだろ!」

 みなもは「ふん!」と口をとんがらせて、今度はその口に人差し指を咥えると天にかざします。

 この意味は、流石に信三郎でも腑に落ちた。

「風向き……を調べてるのか!?」

「へぇぇ、そのくらいは信三郎でも分かるんだ。……音ってのはね、風に乗るし、跳ね返ったり移ったりするものなの!」

「そ、そうなのか」

「川開きの和火がぱぁっと咲いてから、ドーンって聞こえてくるまでの時間って、見てるところでまちまちでしょ?」

 お分かりたぁ思いますが、「川開き」ってぇのは両国の川開きのことで、「和火」ってぇのは今は花火と呼ばれております。この両国川開きが、現在いまも行われている隅田川花火大会の起源だそうで。江戸時代にゃ、タワマンも超高層ビルもありゃしない。一番高くても江戸城ですから、そりゃぁ花火は色んな場所から見えたんでございましょう。それにしても、花火を見て「わぁ、きれい!」じゃなく、音の聞こえ具合の方が気にかかるってんだから、「品川の変わりモン」って呼ばれるのもむべなるかな。

「……ただ、恐らく『声』は井戸から出てる訳じゃない」

 などと、みなもが申したもんですから、しばし黙って聞いていた信三郎が口を開く。

「じゃあ、どこから音が出てるってんだ?」

 その質問は当然至極。「井戸から呻き声が聞こえるってんなら、井戸ここから音が出てないとおかしいんじゃねぇのか?」――そんな疑心暗鬼に囚われて、信三郎は何とも怪訝そうな視線をみなもに送っておりました。当のみなもといえば、質問に答えるでもなく、視線なんざぁ丸っ切りの無視で、あちらを見たりこちらを調べたり。ところが、その動きがピタリと止まる。ピンと背筋を伸ばして立ち、両の耳に手を添えると、そのまま徐ろに辺りを見渡し始めたじゃありませんか。

 みなもの変化に「ん? どうした」と、信三郎が声を掛けた刹那、みなもは脱兎の如く走り出したんでございます。

 芝に胡座をかいてた信三郎でしたが、みなもの動きに目を見開き、釣られたように立ち上ると、一緒になって走り出す。

 足の速さに関しては信三郎に軍配が上がり、信三郎はみなもに追いついております。

「何だってんだよ!」

「ひいじいさまの血が『耳を澄ませ。お前なら聞こえるやもしれぬ』って囁いてくれた。だからこっちに向かってる」

「……そ、そうか」と、さっぱり訳が分からぬ信三郎は二の句が継げませんでした。

 二人が足を止めたのは、井戸から少し離れた庭の奥、鬱蒼と茂る竹林であります。

 何とも薄暗く、ひんやりとした空気が肌を刺し、夏だというのにぞくりと背筋に冷たいものが走る――そんな心地の悪さがありました。

「……で、ここに何かがあるんだな? みなも」

「そこまでは分からない。さっき風が吹いたとき音がしたの。それに遅れて小さな音。方向がズレてるの、微妙に。恐らく、井戸はただの通り道……いや、そうじゃない。別の意味がある……もしかして、共鳴?」

 信三郎の表情かおには、さっぱり分からんもううんざりってな色がありありと出ておりました。

 みなもは再び耳に手を当てて進み、竹林を見渡しては戻り、を繰り返しておりましたが――それがまたもやピタリと止まり、みなもの足が目的を持った歩き方になったんでございます。

 とは云え、竹林の中から出ることはなく、みなもが止まったのは竹の切り株がいくつか集まったところでした。

「ふむ……」

 みなもは今度は竹の切り株の縁をなぞり、幹にも指を滑らせ、挙げ句にゃ切り株に直接耳を当てる。それが終わればしゃがみ込み、切り株の周りを地面を穴が空くほど凝視しております。

 信三郎にしてみれば「もう、勝手にしてくれ」、と言わんばかりのため息を吐くのが精一杯でございます。

「見ーつけたっ!」

「おっ! でかした!」

 竹に寄っかかってた信三郎がバネ仕掛けのように跳ねて、喜び勇んでみなものところに駆け寄った――が、何とも拍子抜けしたような表情かおになる。

「……なんでぇ、ただの竹筒じゃねぇか。」

 そんな言葉には耳も貸さず、目を瞑ったみなもは竹筒の表面を行先でゆっくりなぞっております。その形状、材質、まずかな震えを感じとらんとばかりに。

「これはただの竹筒じゃないよ、信三郎。……これが『幽霊』の正体。まぁ、これだけじゃないけど。言うなれば、この竹林全体が幽霊ってとこかな」

「……な、なぁ、みなも。己にも分かるように事細かに説明してくれねぇか?」

 今度はみなもがため息を吐く番でありました。

「仕方ないなぁ。でも、私は人に教えるのは得意じゃないのはあんたも知っての通り。それでもいいってんなら、教えたげる」

 信三郎がこくこく首肯するのを見て、みなもはもう一度のため息。 

「――風の強い日に柵から音鳴るのを聞いたことあるでしょ? あれ、『虎落笛もがりぶえ』って言うの。この幽霊はそれの応用」

信三郎も「虎落笛」の言葉は聞いたことがありました。しかし、そりゃ「ピューピュー」って音で人の声にゃぁ、どうあったって聞こえやしない。

「不満そうだね、信三郎。……じゃぁこれを見て」

 みなもの手にはさっき掘り出した竹細工ががありました。信三郎が見る限りは特におかしなところは見当たらないんですな

「なんでぇ、普通の竹じゃねぇか」

「んー、やっぱりアンタにゃ見えないか。んじゃ、手ェ出して」

 みなもは信三郎の手を取って、彼の指先を竹細工の表面に這わせたんでございます。

「……な、何すんだ……ん? 何か凹んでいるのか?」

「ふむ、触ると信三郎でも分かるのか、面白い。……ああ、説明ね。この竹細工の表面はアンタも今触って分かった通り、目には見え難いほどの細かな隙間がいくつかある。それが出す音が幽霊ってこと」

 そう言って竹細工を口にしたみなもはそのまま息を吹き込んだ。「ひゅぅぅ」が竹林の中に残った。

「だけどよ、どう聞いたって『ひゅうぅ』にしか聞こえねーじゃねーか。それに、声は井戸からするって聞いてるぞ? そんな小さな音じゃ井戸のところまで届かねぇだろ!」

「あら、信三郎にしちゃ鋭いわね。いい質問よ? 実はね、この竹細工みたいなの、この切り株の周りにあと四つほど埋まってる。もしかしたら、私も見つけてないのが埋まってるかも。そして、音を出してるのはこの竹細工だけじゃない、この切り株もそう。大体、不自然だと思わない? こんなに切り株だけがまとめて同じところにあるなんてさぁ。加えて、もう一つ。この竹林の向こう側に左右に柵があるじゃない。なんかおかしいとは思わない?」

 確かに向こう側には柵がある。丁度、この切り株に対して真正面になるような位置に、柵があるのでございます。

「別にただの柵じゃねぇか……って、ん? ……奥に向かって広がるように作ってるのか、ありゃ」

「冴えてるわねぇ、信三郎! その通り! 普通、柵は風除けの役割をするもの。だけど、ここの柵は全く逆の用途で使っている――つまり、風を止めるどころか、風を集めて強くしてるのよ。加えて、あの柵とこの切り株、そして井戸は一直線で結ばれている。風が吹くと、あそこの井戸にまで風は強いまま届くのよ。ここで発生した数種類の音を載せてね」

 みなもの説明に、信三郎は思わず息を呑みました。なるほど、あの夜な夜な聞こえる「いちまーい、にまーい……」という声の正体は、この竹筒が奏でる音だったというのか。

「うーむ、そこまでは己の頭でも、納得できた。だが、最後の『一枚足りなぁぁぁい!』って悲鳴、こいつぁどう説明するんだ?」

 みなもは無言で、別の竹筒の端に、さらに巧妙に加工された部分を指差しました。

「あれは確かに、普通の風の音ではないね。誰か――多分仕掛けた人だろうけど――がこの仕掛けの端に特定のタイミングで息を強く吹き込むことで、不自然な風切り音を発生させ、引きつったような悲鳴に聞こえるように調整されているの。凄い緻密な作り……惚れ惚れしちゃうわぁ」

 みなもは竹細工をうっとりと眺めております。

 信三郎は苦虫を噛み潰すような表情かおになりましてね、「そんなのに頬擦りすんな!」と愚痴ごちたんでございます

 みなもはちょいと膨れっ面になりながらも続けます

「最終的にここで発生した音が風で運ばれて、井戸で大きくなって、辺りに響く。これが幽霊の声の正体。……これを仕組んだ人間は、井戸が音を増幅させることを知っていた。そして、人の恐怖心というものを、巧妙に利用したのね」

 みなもは「ふう」と一息ついて、静かに竹林全体を見渡します。顔には、何とも満足そうな笑みが浮かんでおりました。謎を解き明かした満足感と、この仕掛けを創り上げた者の知恵と技術に対する純粋な称賛が入り混じっているようでございました。

 信三郎はただ呆然と立ち尽くしておりました。まさか、あの怪奇現象の裏に、このようなからくりが隠されていたとは。

 ――やっぱり、みなもはただモンじゃねぇ。

 信三郎も満足気でしたが、はたと思い出したんであります。

「感慨に耽ってるとこ申し訳ねぇんだがよ……じゃあ、それを使ってこの『怪談』を仕組んだのは、何処の誰なんだよ?」

「さぁ? 私にはそれは興味はない。私は単に幽霊の正体が見たかっただけ」

「そりゃ、ねーだろ!」

「……まぁ、何とはなしの目星は付いてるんだけどね。でも、それにはもう少し確かめてみないとね。でも、今日はもうおしまい! おなかすいた……信三郎、帰りにお蕎麦食べさせて!」

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