壱席目 皿――「お菊の皿」裏話

壱席目 枕

 さて、みなみなさま。怪談噺ってぇのはご存知で?

 ……ええ、そうですそうです、怖いこわーい、ヒュードロンってぇ奴です。そうそう、「番町皿屋敷」ってのもそうですな。流石、お目が高い。怪談噺の演目タイトルの中にゃぁ、そいつに似た「お菊の皿」ってぇのもございます。ま、中身は似たようなモンなんですが。

 夜な夜な井戸から聞こえる「いちまーい、にまーい……」の声。そして、最後にゃ「一枚足りなぁぁぁい!」という悲鳴。そりゃあ恐ろしゅうて、誰もが震え上がったという、あの話ですなぁ。

 ……ここだけの話、実はこの話にゃあ裏があったってぇのはご存知ですかい?

 え? そんなバカな、幽霊が出る話に裏なんぞあるもんか、あったらそれこそ「うらめしやぁ」だって? ……誰がオチを付けろって言ったんだい、そいつぁ手前てめぇの仕事だ!

 いいですかい? そいつぁ、物の見方って奴でござんしょう? 世の中にゃァ、人間には計り知れぬ「ことわり」ってモンがあるんですよ。そいつが分からねぇと、ただの風の音も、水面に映る影も、化物の仕業に見えちまうってな訳で。

 さて、その「お菊の皿」の噺ですが――

 時は嘉永六年、舞台となりますは江戸の番町ばんちょうにございます大身たいしんの旗本屋敷。その大きな庭の外れには古井戸が一つございましてな、夏ともなれば涼しい風が吹き上がるもんだから、井戸端にゃあ女中たちが集まり、涼を求めてたもんでございます。

 しかし、この井戸、夏の夜ともなると、奇妙な声が聞こえるという噂が立ち始めましてね、「いちまーい……、にまーい……、さんまーい……」とまぁ皿を数えるような女の呻き声が聞こえ、も一度ひゅうと風が吹けば声は呻きが深うなり、凍りつくような冷たさをまとってたんでございます。

 最初は気のせいかと誰もが笑っておりましたが、夜な夜な同じ声が聞こえ、最後には必ず「……九まーい……、一枚足りなぁぁぁい……!」という絶叫で終わるってんだから、こいつぁたまったモンじゃない。

 番町皿屋敷のお菊の亡霊か、はたまた井戸に棲まう物怪もののけか。家中の者は怯え、夜には井戸に近づく者すら居なくなっちまった。


 ――とまぁ、ここまでが「お菊の皿」ってぇ噺でございます。そして、ここから先が「ここだけの話」。

 よーく聞き耳立てて下さいよォ?

 実はこいつぁ――この屋敷の勘定方の庄兵衛しょうべえって男が仕組んだって話なんですよ。……しーっ! 声が大きいですって。内緒なんだから、黙って聞いててくださいよ。

 ん? ……ああ、勘定方ってぇのは財務や会計の担当者って訳ですな。平たく言やぁ、財布の紐握ってる奴です。

 で、その庄兵衛ですがバカが付くほど生真面目きまじめで、融通の利かぬ堅物だもんで、財布の紐も堅い堅い。ところが、このところは旗本の御曹司おんぞうし放蕩ほうとうぶりに頭を悩ませている毎日。御曹司ときたら、お天道様の高い内から吉原に通い詰め、日が落ちれば夜な夜な博打に興じる始末。このままでは家が傾くと案ずるものの、口うるさく言えば疎まれて、逆にこっちの首が危うくなるってなもんで、ほとほと困り果てておりました。

「どうしたものか……」

 寝食を忘れて考えあぐねる庄兵衛が、気晴らしにと上野の寛永寺に夜桜を愛でに行った時分の話です。

 愛でてるときはよかったものの、帰り道ともなると気が滅入り、うんうん唸りながら夜道を歩いておりました。

 この日は春の風の強い夜でしてな、時折、ぴゅう、と風が吹く。それに紛れて、「お待ちぃぃぃ」と声が聞こえてきたもんで、庄兵衛は腰を抜かして後退る。

 「こいつは寛永寺の物怪もののけかぁ?」と、庄兵衛は隠しにあった数珠を握って「なんまんだぶなんまんだぶ」と唱えるも、その後は何も起こりゃぁしねぇ。

 そのうち、落ち着きを取り戻した庄兵衛はこの正体を見破ったんですな。

 庄兵衛の隣には竹林、そこにゃぁお武家さんが試し斬りした竹の切り株が此処彼処ここかしこにありました。

「ははぁ、こいつぁ虎落笛もがりぶえみたいなもんだな」

 そう納得したかと思うや、庄兵衛は膝を打ったのでございます。


 次の日、庄兵衛はお屋敷の裏庭の外れにひっそりと佇む、古びた竹林におりました。そこからこっそり竹を切り出してきて、のっそりとした職人に奇妙な仕掛け作らせたんですな。出来て来たンは、細く加工した竹の筒を数本組み合わせたモンでございます。そいつを何に使うかと思えば、地面に埋め込んだり、木の枝に吊るしたりしたんでございます。その上几帳面に、筒と筒の間に細かな隙間を空けておいたんですな。するとあら不思議、夜中に風が特定の向きに吹くと、その竹筒に当たる風が、まるで笛のような音を立ててるじゃぁあーりませんか。しかも、風の強弱や向きによって、異なる音階の「ひゅう、ひゅう」という音が出てきやがる。

 これが風に乗って井戸の底に届くと、井戸の壁やら水面やらで音が曲がったり響いたりして、人の耳にはまるで皿を数える女の声のように聞こえちまうんだからオドロキだ。

 そいつが「いちまーい、にまーい……」の正体ってな訳ですよ。

 この音を出すには特別な技術も、大掛かりな道具も必要ない。ただただ、風が吹くのを待つだけってな寸法です。

 あの春の夜の出来事がこんな風に役に立つなんてぇのは、腰を抜かした甲斐があったもんだと、庄兵衛もニンマリしたものでございます。

 ……あ、こいつぁ豆知識ですがね、庄兵衛の言った「虎落笛もがりぶえ」ってぇのは、本来は冬の寒い時期に北風が竹垣なんかを吹き抜けたときに出る、笛のような音のことでございます。

 ……えっ? 「一枚足りない」って絶叫はどうなんだですってぇ?

 流石は手前ンとこに来るお客さんだ、鋭いねェ。……実はそいつも説明がつくんでさぁ。

 庄兵衛は、風の強い夜を選んで、そーっと竹林へ忍び込みます。最後の「一枚足りない」という絶叫は、仕掛けた竹筒の端に、わずかな隙間を作り、そこに息を強く吹き込むことで、不自然な風切り音を発生させる。これにより、通常の風の音とは異なる、引きつったような悲鳴に聞こえるよう、入念に調整を加えてたんですな。

 人ってぇのは、恐怖心に塗れると、見えないものが見え、聞こえないものが聞こえてくるってなところがございます。庄兵衛はその人の「心理」って奴をうまく利用したんですな。

 正しくお見事ってな訳で、御曹司は震えて家に閉じこもり、これにて無駄遣いも減るであろう。庄兵衛は、己の「忠義の企み」に満足し、静かに竹林を後にしたのでございました。


 ……あっ、師匠! 企業秘密をバラしちまってごめんなさい!


 とまぁ、師匠に頭を下げるところは置いといて、さぁ、ここからが本題。

 江戸中で話題になった「番町皿屋敷の怪」、そいつを暴いた輩がいましてな。それがあの品川の変わりモン——「からくり少女」のみなもでございます。そんなみなもと信三郎の一席を――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る