第9話 "Invaders Must Die"

 私は家でアルコ&ピースのオールナイトニッポンの録音を聞いていた。外はシルバーリングの黒さびのように黒く、雨がぱらついていて時折窓にぶつかり南国のパーカッションのような音が部屋に響いていた。

 私はアルコ&ピースのラジオが好きだ。オ ールナイトニッポンもD.C.GARAGEも好きだ。その日は無性にオールナイトニッポン時代の『ジーパン飯』の回が聞きたくなり、それを聞いてい た。

 私は駅前で買ったベーグルを食べながら、アルコ&ピースのラジオに時折笑いつつ聞いていた時、 家のチャイムが鳴った。

 誰だろうと思い扉を開けるとそこには黄色のレインコート身を包み 、赤色の長靴を履いたまち子さんが立っていた。


 まち子さんは猫で 、二本足で歩き普段はどてらに身を包んでいた。今日もどてらを着ていたが、雨が降っていているので黄色のレインコートをその上から着ていた。黄色のレインコートには雨粒がいくつも張り付いていた。

「岸本さん。夜遅くにすいません」とまち子さんは震えた声で私に 語りかけた。表情はおびえていた。

「いえいえ。まち子さん、大丈夫ですよ。それよりも何かあったの ですか」

「はい・・・」

 そういうとまち子さんは周囲をきょろきょろと見渡した。何かから逃げているように。かくれんぼの最中に鬼の気配を探すように。

「まち子さん、立ち話もなんですからはいってください 

異変を察した私はまち子さんを部屋の中に招き入れることにした。 

「ありがとうございます」

 まち子さんは深々とお辞儀をして私の家の中に入った。

 私はまち子さんからレインコートを預かり、それをハンガーでかけた。まち子さんはいつも通りのどてら姿になっていた。

 それから私の部屋の真ん中に正座で、私の一連の行動を待っていた 。

 私はまち子さんのためにホットコーヒーを作ってあげた。ホットだけども一個だけ氷を入れて冷ました。まち子さんは猫舌だから冷めていないと飲むことができないのだ。

 私の分のホットコーヒーと、まち子さんの分のそれをテーブルに持って行った。まち子さんは改めてお礼をした。

 テーブルにコーヒーを持って行く頃には雨がさらに強くなっていて 、小さなパーカッショニストたちが窓に張り付いているようだった。

 スピーカーからアルコ&ピースの平子さんの笑い声が響いた。リス ナーからのメールにツボに入ったのだろう。

 私はスピーカーの音量を少し下げた。

 コーヒーを少し飲んで、舌がひりつく感覚を味わった。

 まち子さんもコーヒーを少し飲んで、舌を少し痛めたらしく、顔を少しだけしかめた。

「まち子さん、どうかしたのですか」

 私は本題を聞き出すことにした。

 まち子さんが私の家に、こんな夜分にやってくるのは初めてのことだった。だからこそ何かがあるのだと思った。

「……はい。さっきなんですけども、私、散歩していたんです」

 まち子さんは散歩が趣味だった。とにかくあちこち散歩するのが趣味だ。よく私も外にでかけると散歩しているまち子さんに遭遇した 。

「雨の日でしたから、最近買ったきいろのレインコートとあかの長 靴で、散歩したいとおもいまして、それで私、墓地の方へ行ったんです」

「なんで墓地に行ったんですか」

「墓地好きなんです。きれいな石が沢山見ることができますので」

 まち子さんは恥ずかしそうに言った。自分の趣味を話すのはいつだって恥ずかしい。私もその感覚はわかったので、 私は微笑みながら「なるほど」と返答した。

「墓石を見ながら歩いていたんです。雨にぬれた墓石を見たことありますか?」

 いや。と私は答えた。きらきらぴかぴかしていてかわいいんですと まち子さんは言った。それから一口コーヒーを飲んだ。 私も合わせてコーヒーを飲んだ。雨はどんどん強くなってきていた 。

「すると変わった墓石が一つあったんです」

「どんな風に変わってたんですか?」

「新幹線を縦にしたみたいな形をしていました」

「流線型ですか」

「りゅうせんけい?」

「多分、そのかたちのことです」

「なるほど」

「それで、私、その流線型、の墓石に少しばかり見とれちゃってたんです。あんまり見たことない形でしたので。雨がぱちぱち当たってはじいてて、それが素敵でした」

「はい」

「でも、突然、その墓石から音が鳴ったんです」

「音?」

「はい。まるで、家のチャイムみたいな」

 ぴんぽーん。と家のチャイムみたいな音がなる墓石を想像した。

 そんな音が墓石から鳴ったのだろうか。

 最近の墓石は妙な仕掛けがされたものがあるという。

 聞いた話だと人が訪れると音楽が流れる墓石もあるのだという。

 私はその話をしてみた。

 するとまち子さんは「いえそういうものじゃないんです」と顔を強くして私に言った。

 私は話を折ってしまったことを少しばかり反省した。

「その音は、下から流れてきたんです」

「下?」

「地面からです。で、なんだろうと思ってると、その地面がぱっかり開いて、そこから腕がにょきって出てきました」

「腕が」

 映画キャリーのラストシーンみたいだと思った。

 あれも墓地で腕が突き出てくるんだった。

「それで、おびえて逃げてしまったのです。家に帰るのも怖くて、 岸本さんの家に来てしまいました」

「そうだったんですね」

 誰だって、墓地の地面から突然腕が出てきたら怖い。

 私はまち子さんに強く共感した。

 するとそのときだった。

 ぴんぽーんと私の家のチャイムが鳴った。まち子さんの身体がびくっと震えた。こんな時間に誰だろう。まち子さんの話が話だから妙に怖かった。

 私はドアにチェーンをつけて少しだけ開けた。

 するとそこには朽ち果てた顔の人間が立っていた。

 私が思わず「うわっ」と叫んでしまった。

 すると「そう叫んでしまいますよね」と朽ち果てた顔の人間は淡々とした調子でそう言った。その調子はピアノの低音を思い出させた 。

「あの、誰ですか」

「誰ってわけではないですが、忘れ物を届けにきまして」

「忘れ物?」

「あ、これです」

と朽ち果てた顔の人間はクリーム色のポシェットを差し出した。

「あ、それ私のです」とまち子さんが言った。

「僕の墓石の前に落ちていまして」

「あー、さっき落としてしまったんですね」

 まち子さんは立ち上がって、ドアの前まで歩いてきた。

 まち子さんは深々とお辞儀をした。

「ありがとうございます。持ってきて頂いて」

「いえいえ。いいんですよ」

「じゃあ、ドアを開けますね」と私は一度、ドアを閉めてチェーンを外して、開けた。

 朽ち果てた人間は「うがう。うがう」と唸っていた。

「あ、どうかしましたか」と私が言うと「いやーやっぱり生きた人間を見ると食べたくなっちゃいまして」と朽ち果てた人間は言っ た。

 またまち子さんの身体がびくっとはねた。私も背筋にひんやりしたものを感じた。

「え、あの食べられちゃうんですか」とまち子さんは尋ねた。

「いや、考え中です。とりあえず、ポシェットを返します」と朽ち 果てた人間はまち子さんにポシェットを返した。まち子さんはありがとうございますと言いながらまた深々とお辞儀をした。

「うがう。うがう」朽ち果てた人間はまた唸り続けている。

「まだ考えはまとまらないですか?」と私は聞いた。あんまりのことだけども、食べられたくない。人はいつか死ぬものだけども、 なにも今日死ぬことはないのだ。特になにもこんな雨の日には。

「いやーすっごい悩んでます。あの僕ってこの見た目からわかると 思うんですけども、いわゆるゾンビなんですよ。だからめちゃくちゃ生きた人間を見ると食べたくなるんですよね」

 朽ち果てた人間は淡々とした調子で喋った。その声の調子は心地よ かったが、喋られている内容は居心地がとてもじゃないがいいものではなかった。

「猫も食べたくなりますか?」とまち子さんが聞いた。

「そうですね。食べたくなりますね」と朽ち果てた人間は答えた。

「うにゃにゃにゃにゃにゃ・・・」まち子さんはすっかり悩んでしまった。まち子さんも今日食べられたくないのだ。

「ポシェットのこと、本当ありがとうございます。でも、私達死にたくないんですよ」

 私は至極まっとうなことを言った。

「そうですよね。だいたいの人はそう言うんですよ。だから僕も悩 むんですけども。本能なもんで」

「本能」

「はい。生きてた頃は僕だって同じ人間や猫を殺したいなんて思いませんでしたよ。でも今はゾンビになってしまったので、本能として人や猫を食べたいと思うのは、それはそれは当たり前のことなん ですよね」

「当たり前と言われましても」と私は反論する。

「だって、生きてる人たちはご飯を食べるでしょう。それに意味はないじゃないですか。本能じゃないですか。僕だって同じです。生きてる人を食べたいと思うのは本能なんです」

「うにゃにゃにゃにゃにゃ・・・」とまち子さんが悩んでいる。

 うーん、困ったことになってしまったぞ。

「一旦、悩ませてください」と私は言った。朽ち果てた人間はどうぞどうぞと言いながら手を差し出した。

 私はドアをしめた。

「岸本さん、どうしましょう」

「どうしましょうね」

「私は食べられたくないです」

「私もです」

「でも、あの人は食べたいんですよね」

「そうみたいですね」

「うーん。ポシェットを拾ってもらえたのはありがたいのです。で も・・・でも・・・」

「まち子さん、それはそうですよ」

 どこの世界にもポシェットを拾ってもらったからと言って命を差し出すことなんてないのだ。

「そうですよね。そうですよね」

 まち子さんは合点が言ったような顔をした。

 私たちは一旦ドアから離れることにした。

 そしてテーブルの上に置きっ放しにしていたコーヒーを飲むことにした。コーヒーはすっかり冷めていた。まち子さんは冷めている方がやっぱり飲みやすかったらしく、するすると飲み干してしまった 。

 また扉を開けた。

 朽ち果てた人間は「うぐう。うぐう」と唸っていた。

「まだ食べたいですか?」と私は聞いた。

「そうですね。待たされてしまった分、余計に食べたくなったかもしれないです」

「うにゃにゃにゃにゃ・・・」

「私たちはあんまり食べられたくないんですよね」

「皆さんそう言います」

「やっぱりそうですか」

「そうですね」

「うにゃにゃにゃにゃにゃ・・・」

 すると、部屋の奥から笑い声が聞こえてきた。

 スピーカーからアルコ&ピースのラジオがまだ流れっぱなしになっていたのだった。

 すると朽ち果てた人間は嬉しそうな顔をした。

 「今のはアルコ&ピースのオールナイトニッポンですか?」

 「ええ、そうです」

 「僕、生前はとてもとても大好きだったんですよ」

 「そうだったんですね」

 「何の回を聞いてるんですか?」

 「ジーパン飯の回を聞いています」

 「デニ喰えば、鐘が鳴るなり、法隆寺」と朽ち果てた人間は諳んじた。まさに私がちょうど聞いていた「ジーパン飯」の回で出てくるリスナーからのメールの文だった。

「いやーまさかアルピーのファンだったなんて」と朽ち果てた人間 は嬉しそうに語った。

 私はその時一つのことを思い出していた。昔読んだ村上春樹の短編小説のことだった。海亀がカップルを襲いに来るのだったが、カップルは流していた音楽のおかげで命拾いをするというものだった。

 私達も命拾いするかもしれない。アルコ&ピースのラジオのおかげで。

「あの、部屋に入ってラジオ聞きますか?」

「え、いいんですか?」

「はい。でもその代わり食べないでくれますか」

「あー。そういう交換条件ですか」

「はい」

 それなら無理ですね。無理です。同じ部屋で好きなラジオを聞いてたらなおさら無理になりますよ」

「そういうものですか」

「好きなラジオ聞きながらローソンのからあげクンを食べたことあ るでしょう。それかポテトチップスか。そういう風なものです。好きなものと好きなものの組み合わせは無限大なんです」

 と朽ち果てた人間は整然と答えた。私たちはなるほどと答えた。

 村上春樹作戦は失敗に終わってしまった。

「うにゃにゃにゃにゃにゃ・・・」またもやまち子さんは困ってし まった。

「少し待って貰っていいですか?」と私はまたも提案することにし た。やっぱり村上春樹作戦が失敗になったとはいえ、すぐに死ぬことを受け入れることができるわけではないのだ。

「いえいえ。全然待てますよ。僕としても死にたくない人を食べた いわけでは無いですし」

「あ、そういうものですか」

「はい。恐怖心が勝っている人間を食べて味がよくなるというわけではありません」

 私は扉を閉めて、まち子さんと話し合うことにした。

「さて、どうしましょうか」

「どうしましょうね」

「まち子さんは食べられたいですか」

「絶対にやです」

「私もやです」

「でも、このままだと食べられますよね」

「みたいですよね」

「うにゃにゃにゃにゃにゃ・・・」

「もう少しばかり悩ませていただきましょう」

「そうしましょう」

「スープ飲みますか」

「飲みます」

 私はコーンスープをまち子さんに作ってあげることにした。

 ケトルでお湯を沸かして、粉末状のコーンスープを入れて、スプーンでかき混ぜた。それからまち子さんと一緒に飲めるようにスープ が幾分か冷めるまで待ってあげた。

 スープを二口ほど飲んだとき、外から「うぎゃお!」という叫び声が聞こえた。

 私たちはスープを飲む手を止めた。美味しいコーンスープを飲むのを躊躇させるような異変が起きていることは明白だった。

 私がおそるおそるドアを開けると、そこには大きなワニがいた。

 ワニの口から朽ち果てた人間の腕が飛び出ていた。

 「あ、ニーナ」とまち子さんは言った。

 ニーナとはまち子さんの友達のワニだ。

 ニーナは朽ち果てた人間を咀嚼しながら「うぐるうう、うぐるうう 」と唸った。

 「えーと、私が逃げているのを見かけて、不穏に思って付いてきて 、ずっと機会を伺っていたらしいです」とまち子さんは翻訳してく れた。

 ニーナは「がうがう」と唸った。

 私は食べられなかったことに安堵し、ニーナにも「コーンスープを飲みますか?」と聞いた。ニーナは「がう」と頷き、私はニーナを部屋に招き入れた。

 私達が部屋で座ってコーンスープを飲んでいるころ、アルコ&ピースの平子さんが大きな声で「家族」と言った。

 家族のコーナーが始まったのだ。

「父ちゃん、兄ちゃん聞いてほしいことがあるんだ」

 家族のコーナーでお決まりのフレーズ。

 「雨の日に、墓石見に行ったら、ゾンビに追いかけられて、そのゾンビに落としたポシェットを拾ってもらって、めっちゃいいやつじゃんって思ったら、食わせろって言ってきて、なんだこいつ体目的かよって、すげえ腹たってたら、ワニが来てゾンビ食い殺したんだよね」

 さっきの出来事は、家族のコーナーみたいだなって私は思い、よくあるヤンキーがいうネタのやつに変換して、私はふふふと笑う。

「がうっ」とニーナが唸った。

「ニーナも猫舌なんだ~」とまち子さんが言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る