第57話

 居間に通された二人は長方形のテーブルを挟んで、さくらの両親と対面していた。煉の真向かいには父親が、さくらの真向かいには母親が着席している。


「さくらったら、彼氏がいるならちゃんと言ってくれても良かったのに。どうして今まで隠してたの?」


 先ほど玄関先でひと騒ぎを起こしたさくらの母親は、落ち着きを取り戻したのか、娘を少し責めるような口調で問う。


「えっと……別に隠してたわけじゃなくて……」


 母親の詰問に、さくらは焦燥を滲ませながら、しどろもどろに答えていた。


 煉は無表情で緑茶の入った湯飲みを手に取り、静かに口を付ける。今は余計な横槍を入れない方が、さくらの為だと判断したからだ。


 目の前に座っているさくらの父親は、事の成り行きを見守っているのか、一言も言葉を発しない。煉が内心気まずいと思っていると不意に父親と視線が合い、相手は口を開いた。


「……妻と娘が騒がしくて申し訳ない」


「いや……」


 さくらの父親が発したのは、たったの一言だけだった。だが、煉に対する敵対心のようなものは特には感じられず、ほっと胸を撫で下ろした。


 しかし、おかしなことになってしまった。俺はただ、料理教室へ通いたいと言っただけだ。それなのに、これではまるで、俺がさくらと結婚の挨拶をする為に来た、みたいな状況になっている。


「──料理教室?」


「そう。煉が通いたいみたいなんだけど、男の人も入れるのかなって」


 煉が父親と僅かな言葉を交わしている間にも、さくらと母親の話は勝手に進んでいた。


 成る程。そういうことか。失念していた。料理教室といえば、一般的には女性が多く通っている。その中に一人だけ男の俺が混じってしまうことを、さくらは懸念していたに違いない。


 母親は表情を和らげて、煉を見据える。


「大歓迎に決まってるじゃないの。むしろ、モテモテよ。なんなら、今日の午後から参加してみたらどうかしら? きっと、とても楽しいわよ」


 突然に向けられた問いの返事に困り、さくらを一瞥する。その表情を見て察するに、どうやら俺に逃げ場はないらしい。


「……なら、参加します」


 ◇


 さくらの実家から直線で十五分程歩いた先に、料理教室の場として利用している公民館があり、常連の生徒達何人かが既に教室の一角に集まっていた。


「あらあら、紅子べにこ先生、その素敵な殿方はどうしたの?」


「今日、お試しで参加する生徒さんよ」


 紅子は駆け寄って来た生徒達に煉を紹介する。

 生徒達の年齢層はどちらかと言えば高めで、紅子より少し上の、五十代前後の女性が多くいるように見られた。


 あっという間に料理好きマダム達に囲まれ、煉は身動きが取れなくなり、珍しく困惑していたところを紅子が助け船を出した。


「皆さん、れんさんが困っているので、お話はそのくらいに。さて、今日は夏野菜のトマトを使った料理を作りましょう。れんさんは私と一緒にね」


「……ああ、了解した」


 生徒達は二人一組の四班に分かれ、それぞれの調理場に着く。煉は紅子と共に料理を作ることとなった。


 手を洗い、食材のトマトを軽く水で洗い流して、ヘタを取り除く作業をしていると、米を炊く為の準備をしている紅子が、不意に口を開く。


「娘が……さくらが全く料理の出来ない子で驚いているでしょう? 母親が料理教室の先生なのにって」


「それは……まあ」


 嘘やお世辞を言ったとしても、紅子には見抜かれる気がして仕方なしに正直に答える。


「私のせいなのよ。娘があんまりにも可愛い過ぎて過保護に育ててしまって……。そしたら、仕事はまあ出来るのに家事能力、女子力がもの凄く低い子になっちゃってね」


 トマトを四つ切りにしていた手を止めて、顔を上げると眉尻を下げて微笑している紅子と視線が合う。


 ああ、そうか。母親がここに、さくらを連れて来なかった理由が、何となくだが解った気がした。


 きっと、母親の紅子は俺と二人きりで話をする為に、時間と場所を作ったのだろう。

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