第49話


「俺を助けた男が、こう言ったんだ。生きたければ私の肉を喰え、生き血を啜れ。と。俺は無我夢中だった。この男の肉を喰わなければ、生き血を啜らなければ、自分は死んでしまう。その思いに囚われ、血腥ちなまぐさく、生暖かい血肉を喰らっては何度も吐き出しながら、願ったんだ。生きたいと、まだ死にたくはないと……」


 まるで何かの作り話のような凄惨さに、さくらは目蓋を閉じる。だが、作り話と言うには、あまりにも詳細で言葉が一つも出てこない。


「それで……煉は、どうなったの」


「信じてはもらえないかもしれないが……俺は死することが出来ない身体になっていた。この首の皮膚が引きつった大きな傷痕も、背中と腹部の創傷も、その他の小さな傷痕も、何もかも全てが、永いときを過ごして何度も自害をしようとした時の傷痕だ」


 煉は自身の傷痕の一つ一つをなぞりながら、哀しそうな表情を浮かべる。


 何となく気づいてはいた。煉が普通の人ではないということを。でも、そんな話はあるわけはないと、心の何処かで自分のそんな考えを否定していた。


 さくらは脳裏に思い浮かんだ答えを、そっと述べる。


「つまり、不死身ってこと……?」


「ああ、そうだ」


 煉は肯定した。だが、次に続く言葉を言い淀む。


「……いや、今は『だった』とでも言うべきか。死ぬことが出来なくなった俺は、気がつけば百年以上もの間、様々な時代をさ迷い、今日というこの日まで生き続けてきたんだ。だから、本当の年齢は百五十歳を裕に越えている」


「百五十歳以上……!?」


 煉の実年齢が百五十歳以上だと言われても、見た目は二十代そのもので実感が湧かない。


 でも、時折全てを悟ったような、達観した意見を述べることがあるのは、煉が永いときを生きてきた証そのものなのかもしれない。


「だが、どうやらそれも終わりを告げたらしい。人を……心から大切に思う誰かを見つけ、愛した時、俺の不死身の効力は消えるようになっていたらしい」


「大切な人……」


「そう、つまり。……お前のことだ、さくら」


 煉の嘘偽りのない瞳が、さくらを真っ直ぐに見据える。


 本来ならば込み上げる嬉しさで、我を忘れて煉に抱き着いていたかもしれない。しかし、寸でのところで、その思いを踏み留める。


 素直に喜んでいいのか、解らなかったからだ。


 ずっと、ずっと。煉はたった独りで辛く苦しい思いをしながら生きてきた。それはきっと、私の想像を絶するくらいの人生だったのだろうと思う。


 だからこそ、大切な人だと告げられても、さくらは手放しでは喜ぶことが出来なかった。


 苦しかったよね。辛かったよね。って、そんな風に軽々しく言えるようなことではないことくらい、理解していたからだ。不謹慎という言葉がさくらの胸を突く。


 煉は今にも泣き出しそうなさくらの表情を一瞥して、優しく慰めの言葉を掛ける。


「お前が悲しむ必要はない。俺はこうして、さくらのお陰で今も生きている。……お前に出逢わなければ、俺は未だ永遠に不死身の呪縛から解放されずに、ただ堕落して生きていたに違いない。本当に感謝している」


「で、でも。私は何も出来なかった。煉が目を覚まさなかったときだって、ただ手を握って祈ることしか私には出来なかった……」


「それで良かったんだ。一方的に想うだけではなく、誰かに想われることが俺には大事なことだったんだ」


 誰かを想う気持ちも、誰かに想われる気持ちも、どちらか一方が欠けていては、それは何の意味も成さない。その両方が足並みを揃えることで、初めて意味を成すのだと。


 穏やかな眼差しで、煉はそう呟いた。


「永い間生きてきた俺は、その想いをいつしか忘れていた。俺もあいつと同じだったんだ。『死』にばかり囚われ、周りを見ていなかった。どうせ、周りは俺を置き去りにして、次々と消えていくだけだと諦念していた。その寂しさに耐えられなかっただけなんだ」


 煉の心の中には、常に孤独感の火種が消えずに燻っていた。永遠に埋まることのない寂しさは、絶えず煉の心を蝕み続けていたのだ。身体に刻まれた、どんな痛みよりも強く深く……。


 さくらは溢れ出そうな涙を堪えるために俯く。


 きっと、煉は同情をして欲しくて、泣いて欲しくて、さくらに過去を打ち明けた訳ではない。


 解ってはいるからこそ、煉の前では自分勝手に涙を流すことは許されない気がした。


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