第28話 心の合鍵
さくらが就寝した後、煉は一人リビングで先程の出来事を反芻していた。
俺が不安に駆られるなんてらしくないな。
そう思いつつも内心は、さくらの帰宅が遅いことに煉は不安を覚えていた。
そんなに気になるのならば、メールの一通でも送れば良かったのだろうが、さくらが俺以外の他の誰かと外食を楽しんでいるのならと思うと、そんな不粋な真似は出来なかった。
時計の針が日付を跨ぐ、約十分程前。
結局、痺れを切らした煉は帰りが遅いさくらを探しに行くことに決めた。それが今から約一時間前のことだった。
だが意外にもさくらは、すぐに見つかった。
煉がマンションから外に出ると、約数メートル手前、さくらは見知らぬ男と共に暗い夜道を歩いていた。時折、街灯に照らされるさくらの表情は何処か暗く寂しげにも見えた。
さくらの姿を見付けて煉は、ほっとしたような感情と共に、少しだけ心がモヤついたような感情が滲む。
あいつに何かされたのか? いや、それならば一緒には帰ってはこないか。
煉がさくらの名を呼ぶと、二人は俯いていた視線を暗闇に溶け込んでいる煉に向けた。
そのときに煉は、さくらの隣にいる男の顔に見覚えがあることに気が付いた。
ああ、確か。あの時の。会社の同僚だったか、後輩だったか……。
他人に興味を持たない煉が、珍しく朧気に覚えていた相手だった。
相手は俺を見るなり、途端にくしゃりと顔を歪めていたのを覚えている。何故、相手は俺を見る度に泣きそうになるのか、そこは未だに疑問に思うが。
そして先程、無事に帰宅したさくらは煉に促されて素直に就寝したのだった。
「はぁ……」
やはり、さくらには飲酒を自重してもらいたい。煉はため息を溢しながら、尽きない悩み事を胸裏で思っていた。
◇
翌日の早朝。
「おはようございます。昨日渡しそびれてたんだけど、これ……煉に」
「おはよう。……これは鍵か? 何のだ?」
朝の身支度を終え自室から出てきたさくらは、挨拶をすると煉の顔色を窺いながら、おずおずと何かの鍵を差し出した。
その鍵にはすでに、黒猫をモチーフとした可愛らしいチャームが付いている。
今日は何故に敬語なんだ、と煉は思うが敢えて追及はしない。おそらく、さくらのことだ。昨日のことを反省しているのかもしれない。
それよりも今、俺が気になっているのは、さくらから差し出された、この鍵のことだった。
「この部屋の合鍵です。マンションの管理人さんに事情を話して、特別に作ってもらったの。煉も一人で出掛けたいときもあるでしょ?」
「合鍵……」
確かに合鍵が有れば、好きなときに自分一人でスーパーに行ける。買い忘れた物を毎回メールでさくらに頼む必要もない。
実に便利だが、こんなに簡単に合鍵を俺に渡していいのか。
信用されていると言えば少しは聞こえがいいが、やはりさくらには警戒心が足りないようにも思える。ここに転がり込んだ俺が、こんなことを今さら言うのもおかしなことだが。
「えっと……用はそれだけです。昨日はごめんなさい。……それじゃ、私、お仕事行ってきますね」
「……ああ」
昨夜のことが少し気まずいのか、さくらは煉が用意した朝食のコーンスープだけを飲み終えると、そそくさと会社へ出勤して行った。
……この黒猫のキーホルダーは外したら駄目なんだろうか。
煉は手のひらに乗せた合鍵を眺めながら、一人そんなことを思っていた。
しかし、折角さくらから渡された合鍵だ。全く使わないのも何だか申し訳ない。そう考えた煉は、ならば早速、今日この合鍵を使うことにしようと決めた。
だがその前に、出掛けるのは朝食の後片付けと朝の掃除をしてからだな。
煉は朝食を摂るために外していたエプロンを再度身に付けると、部屋の掃除を開始した。
そして約一時間程時間を掛けて、日課の掃除を終えると、綺麗になったリビングを満足げに見渡す。
壁に掛けられている時計は、午前十時過ぎを指していた。出掛けるには丁度良い時間帯だろう。
「……よし、出掛けるか」
久し振りの外出に、煉は秘かに気分が上昇していた。
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