第170話帝の遣い

 湖の建設は思っていたよりも難航し、10日が経過した段階で南側、森の方角を残すのみとなっていました。


「何で重なり合う場所とか計算に入れてないんですか?」

「仕方なかろう。湖を思い浮かべながら作っておったら、端の部分を牢の様に直角には出来なかったのだ」


 魔法とは何なのでしょうね。

 檻を想像して掘った穴は端がストンと落ちていたのに、湖を想像して作れば浅瀬が出来上がるとか……。

 想像力が魔法に影響するとは――初耳でしたよ。

 結果、途中で浅瀬同士が重なった場所を掘り下げる様に魔法を重ね掛けしたお蔭で、予想よりも遅れてしまっていました。

 皇国からここまでは軍を出せば1週間もあれば到着するでしょう。

 ただし準備期間を入れれば最短で10日だそうです。

 そう――今日が最短で皇国が責めてくる場合のリミットです。

 後2日もあれば湖は完成しそうですが、問題は隠し通路ですね。

 10日前から城でも職人さんを総動員して隠し通路の建設を行っていますが、王都にあったような深い通路は簡単には出来ず――地下におりる階段の途中までしか完成していません。

 いっその事、僕の消滅魔法を地下に放った方が――。

 そう7日目に提案しましたが、


「そんな事をして万一、水脈にでもぶち当たったらやり直しだぞ!」


 そうフローゼ姫に苦言を呈され断念しました。

 湖の深さが10m位ですから、穴の深さは15から20mといった所です。

 1日に2m順調に掘れば10日で完成する筈でしたが、見込みはあくまでも見込みでしかありませんからね。

 造った階段をおりやすいように加工したり穴を広げたりで相当時間を食っている様です。

 城の方では隠し扉を設置したりギミックを用いたり、そちらの方は既に完成していますが……湖といい、地下通路といい、中々捗りませんね。


 それでもある程度の形は出来上がっているので、今皇国軍に攻め込まれても正門のある細い街道からか、南側の森からしか進軍は出来なくなっています。

 南側はただでさえ木々があって邪魔です。

 しかも門は無く壁だけですから。

 そう考えると現状のままでも皇国軍が進軍してくるのは正門側だけになります。

 これ水を引き込まなくてもいいのでは?

 そう考えますが穴に囲まれた街なんて――不気味すぎますね。


 翌日も皇国軍はやって来ません。

 順調に穴を掘り進めて、後1日もあれば完成といった雰囲気が漂っていました。

 雪がちらつき、外で作業をしている人の口からは吐き出す白い息が見えています。


「本当に寒いな、今日でこの作業も終わりを向かえる。早めに終わらせて温かい紅茶でも飲もうではないか」


 フローゼ姫が分厚く着込んだ服を外套で隠し街の路地を歩きます。

 僕もここ最近の日課とばかりにフローゼ姫の護衛役としてそれに付き添います。

 ミカちゃんとエリッサちゃんは城の内部で作業をしている職人さん達のお手伝いをしているとの話ですが――それ寒い外に出たくない言い訳じゃないですよね!

 5日目にミカちゃんに尋ねたら、


「私は怪我人が出た時に備えているにゃ。それに間違って水脈を掘り当てたら修復する係にゃ!」

「わたくしも怪我人を癒して差し上げる役目が……」


 2人とも目を逸らしてそんな事を言っていました。

 でも僕は見ましたよ!

 逸らした薄い青の瞳と翡翠色の瞳が泳いでいたのを――。


 僕も寒いのは苦手なんですけどね……。


 正門を出てぐるりと壁沿いを一列になって歩くと、まだ掘られていない場所に辿り着きます。フローゼ姫が森へ向け手を翳すと、あら不思議。

 森に生えていた木々は何処に消えたのか?

 目の前に生えていた木ごとごっそりと土が消えて行きました。

 何度か見ていますけど、どういった仕組みなんでしょうね。

 これは土属性の魔法らしいですが、消滅魔法と言われても否定は出来ませんよ。

 2度目の魔法行使を行い移動していると、それはやってきました。


             ∞     ∞     ∞


「残念だけれどあなたは帝には会えないわよ!」


 長時間待たされ待ちくたびれていた所に現れた女性をハンドレイクは訝し気な視線で見つめますが、直ぐにその女性が身に着けている純金で作られた札を見て腰を折ります。この純金の札こそが最後の門を通れる唯一の証。

 純金の薄い延べ板に皇国の紋章、天翔けるペガサスの彫刻をあしらったこの札は帝よりの信頼の証でもあります。

 この国の序列の最上位にいる者を示すのですから。

 尚、城の使用人や近衛兵には金に赤と青の模様が入った札が持たされているのですが、それはハンドレイクの知らない話です。

 外様のハンドレイクには一生手にする事の無い札なのですから。


 ハンドレイクが一瞬見せた訝し気な視線に気づいた女性は、微かに微笑むと指先に魔力を纏わせます。

 ハンドレイクが腰を折った瞬間――その魔法は発動し、うぐっ、と嗚咽を漏らすとその場に跪きます。顔色は赤みを通り越し既に紫色です。


「そう。外様のあなたはちゃんと跪くのよ。これだからあの国の者は嫌いなのよね。礼儀もなっていなければ、世界も知らない。世の中には未知の食物も、事象も多くあるというのに――ふふっ」


 ハンドレイクの口から泡が噴出したのを見て女性は慌てて人差し指をくるりと回すと、彼はぜいぜい呼吸をしながら倒れてしまいました。


「あらっ、やり過ぎたかしら? まだ1分位しか酸素を奪っていない筈だけれど……騎士の癖に肺活量が少ないのね。スイミングスクールにでも通った方がよろしくてよ」


 この世界では10代に見られても可笑しくないが、実年齢20代後半のこの女性は愉快そうに笑いながらハンドレイクを見下ろします。

 彼が意識を取り戻したのはそれから30分後。

 第4の門に備え付けられている宿直室のベッドの上に、ハンドレイクは寝かされていました。

 自分は伝令兵に帝への謁見を頼み待合室で待機していた筈――。

 そんな自分が何故?

 頭痛のする頭部を指で押さえながら半身を起こすと、


「やっと起きたわね。あの程度で気絶するなんて本当にあなた――元騎士団の団長なの?」


 ベッド脇のソファーに踏ん反り返りながら見下す様に辛辣な言葉を吐かれます。

 朧げながら気絶する寸前の出来事を思い出したハンドレイクは、慌てて飛び起きるとベッドから降り床に跪きました。

 この世界は男尊女卑の傾向が強く、唯一例外がフローゼ姫でした。

 大貴族家の次男で彼を見下す異性など居る筈が無く、社交の場で知り合った女性を手籠めにした事も度々あった彼ですが、この目の前の女性にはあのフローゼ姫以上の恐ろしさを感じます。

 帝とどういう関係なのかこの若さで金の札を持ち、しかも先程自分が意識を失ったのは間違いなく魔法攻撃でした。

 軽く指を振るっただけで呆気なく倒された事で、その脅威度は推し量れます。

 顔色を青く染め額からは大量の脂汗が噴出します。


「あら? 大分良くなった顔色がまた悪くなったわね。困ったわ~それじゃ話が聞けないじゃない」


 女性のその言葉を受け、ハンドレイクは慌てて顔を上げます。

 ここで彼女の機嫌を損ねたら――自分の身が危ない。

 生きて皇国を出る事すら叶わないかもしれない。

 そう危ぶみハンドレイクは震える声音で語り始めます。


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