第77話 ドラゴン体操
神殿には、穏やかな寝息がしっとりと響いている。隙間から降り注ぐわずかな日差しが、これまたいい具合で、春の木漏れ日の中で昼寝しているような感覚が味わえる。
その感覚を私が知っているのは、ここで眠っている老ドラゴン、エル・キャピタンと何度も一緒にお昼寝をしたからだ。
「エルさーん。はーい、おきておきてー」
私は学校の先生みたいに、手をパンパンと叩きながら近づいて、仁王立ちする。目の前にある巨大な岩石みたいな塊がエルさん。大地の精霊を司る、地竜であるエルさんの体は、遠目から見ると岩石のように見えるのだ。
でも実際は、すこし硬い肌触りだけれど暖かくて弾力のある皮膚で、不思議な艶のようなものがあって、美しいのだ。私はこれを骨董品のような風情だと思っているのだが、やはり実際に触れた者しか分からないだろう。変な自信だが、私ほどエルさんの体を余すこと無く味わっている女は他にいないはずだ。なんか表現が卑猥だ。
いつもなら、そんな心地よいエルさんの懐に豪快にダイブし、ふかふかのベッドに飛び込んだ時のような爽快感を存分に味わうのだが、今日はそういう訳にはいかない。先程から、監査役とも呼べるお方が私の行動をチェックしているのだ。
「そんな起こし方じゃ、起きないんじゃない」
同じく腕を組んで斜に構えるキュール。早くも嫌味攻撃が炸裂している。
「私が一年ほど前に来た時の様子では、今のがはたして聞こえているのかも怪しい、そんな感じね」
と自信満々にジト目を向けてきている。
確かに、エルさんの聴力はばっちりとは言い難い。認知度の割には聞こえているなぁという印象だ。ただでさえそんな状態なのに、この抜群のロケーションによる眠気。いつもなら傾眠程度であるが、今日に限ってはばっちりと
「しょうがない」
私は方と首をまわしてゴキゴキっと鳴らし、両手を握って体をひねった。よし、準備よし。
「ねぇ貴方、さっきから一体何をしているの?」
「諦めたの」
「諦めたって。貴方、やっぱり口だけだったの? これだから新人は信頼できな――、って、え?」
私は彼女の二の次を聞く前に、クラウチングスタートの体勢を取った。
「やっぱり、いつものやり方じゃないとだめだな、ってね」
そして弾けるように、駆け出してジャンプした。
「エルさーん! おっはよー!!!」
「ちょっ!?」
バフッ!
弾き飛んだ私の体は、エルさんの体に沈み込んだ。新緑と大地の芳醇な香りが舞い上がる。
「ちょっと貴方!! 何してくれちゃってるのよ!?」
分厚い皮膚をかき分けて顔を出せば、眼下で小娘が何やら喚いていた。エルさんに飛び込んだことが、私が考えている以上に問題に思っているらしい。
「老竜様に失礼じゃない! あわわわ、大変なことしてくれちゃって……。お詫びじゃ済まされないわよ!?」
「大げさだなぁ、キュールは。大丈夫だよ、私ならなんともないから」
「誰も貴方の心配なんてしてないわよ!?」
そうこうしているうちに、私を包んでいる塊はぬそーっと動き出し、体がどんどんと大きくなっていく。しまわれていた翼が大きく開かれ、立派なドラゴンの体裁になっている。ちょうどその頭の上に私が跨っている構図となった。
『むぅ。なんだ、騒がしい』
エルさんの
「エルさん、おはよう」
私が頭上から話しかけると、その素敵お目々をぐりっと上に向けた。私はそのお目々に向かって顔を覗き込んで、手を振る。
『おお、アカネか。起こしてくれたのか』
「そうだよ」
『そうか。すまんな。すると、次は飯か』
「ぶっぶー。正解はお客さんでした」
『客、とな』
エルさんが辺りを見回し、先にアッテリアの姿を認める。アッテリアが客ではないことを理解した後、視線を落として、その手前側にいるキュールの姿を認めるまでに数秒かかった。
改めてキュールとエルさんの目があった。キュールは電撃にでも打たれたかのようにピシッと背筋を伸ばし、王子様のように跪いた。
「ご、ご機嫌麗しゅう存じます、元大地の精霊王、エル・キャピタン様。お休みのところを起こすなど、不敬をお許し下さい……」
キュールの所作はさすが貴族という程に決まっていたが、わかりやすく緊張が見て取れる。
やはりエルさんというのは偉大な存在なのだな、と実感する。
なにせ私は、初対面でこの偉大らしいお方の肛門に手を突っ込むことになったがゆえ、あまりそこらへんがしっくり来ないのだった。
『むぅぅん。はて、誰であったか』
わかりやすく落胆するキュール。認知症を前にして、お久しぶりはたいていこうなる。覚えていてもらえるのは余程親しいか肉親くらいで、そうでない場合はこうなるか、「あら、お久しぶりねー」と口にしてはいるものの実際は誰なのかわかっていないパターンがほとんどだ。
「キュールさんって言うんだって。昔、あったことあるって。エルさんにとっては昔のうちに入らないくらい最近だとは思うけど」
『ふむ。そうか。それは申し訳ない』
「い、いえ! そんなわたくしなんぞの為に頭を下げないでください」
キュールは跪いたまま地面に円を書いている。
『して、アカネよ。何か用か』
「よくぞ聞いてくれましたエルさん。アレをやりにきたよ!」
私の言葉に、エルさんの眼光が鋭くなる。
『おお、アレの時間か!』
興奮したエルさんは立派な翼を広げて、何やらかっこいい雰囲気をだしている。気合が入った時のエルさんは、何かと威嚇ポーズを取る癖がある。正直、見惚れる程かっこいい。その証拠に、見上げるキュールの表情も恍惚としているように見える。
「あ、アレ? アレとは、一体……」
私はキメ顔で言った。
「レイディオ体操よ!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます