第74話 不穏な影

 北の大地、カンテラでのことである。


「テト!」


 遠方への宅配便を終えて戻る『私』に、調教官の一人が声をかけた。最近配属されて、私の担当になっている少年だ。


「戻ってきた所すぐで悪いんだけど、すぐに最上階へ行ってくれるか?」


『最上階に?』


『私』が翼を床に広げると、余程急いでいるのか、その少年は『私』に取り付けられいる荷物固定用のハーネスをカチャカチャと鳴らしながら乱暴に取っていく。日が浅い彼はこれらを器用に外すことができない。『私』はそれとなく体を動かして、それを手助けする。


「そうなんだ。所長が呼んでる。大事なようなんだって。んじゃ頼むよ。じゃないと僕、また親方に怒られちゃうよ」


 と肩を抱いて身震いしている。彼が怒られるのは『私』のせいではなく、単に自身の要領が悪く仕事が終わらないことについてだ。いまやベテランの『私』がそれとなく手伝ったり誘導したりしてもそうなのだから、残念ながらこの少年は物覚えも要領も今ひとつなのだ。今日にしても、私は予定より幾分早くこちらに戻ってきた。彼が成長しないのは、何故自分が怒られているのかを、いまいちしっかりと把握できていないことにあるような気がする。そこらへんの塩梅は、人間側でやってもらうことだと、私は割り切っている。


『わかりましたぁ。それでは、いってまいりましゅ』


 胸をなでおろしている彼に翼を振り、その場を後にした。取り外したハーネスをそのまま放置しておくとまた親方に怒られるぞ、とは、あえて言わなかった。



 $$$



 ドラグーン宅配便の極北地区を担当する「カンテラ支部」は、山の形を上手く利用した構造になっている。その最上部に位置する場所は上層と言われていて、それは扱いにおいてもそうだった。お偉いさんを持て成したりするのはもちろん、カンテラ支部の偉い人達が住む場所でもある。所長室はそんな一角にある。


 この所長室の扉は二つあり、そのうち一つは外に面していて、人基準で考えるなら無駄に大きい。それはこの扉がドラグーンを招き入れるためだけに作られたものだからであり、何を隠そう、そう改築したのは今の所長だった。本部から送られて来た所長人材の多くはドラグーンと触れることすらしなかったが、今の所長はまったくその逆で、暇さえあればドラグーンと触れ合い、それが幸せだという顔をするのだ。そのせいで業務処理が遅延気味になっていることを良く指摘されているを耳にする。それでもこのカンテラ支部が平穏無事で安定していられるのは、そんな所長の人柄が大きいと、誰もが思う所だった。


『私』はその扉をくちばしでつついた。人間で言う所のノックだ。二回鳴らすと、奥から「入れ」という声が微かに聞こえる。扉の横には鎖のようなものが機械的に取り付けられていて、それを引き下げると、その大きな扉は徐々に開いていく。降雪地帯ゆえ、その扉も頑丈ということだ。


 部屋のは広く、白と黒のタイル張りが映える格調高い仕上がりだった。『私』は後ろ足をうまく使って扉を締める。今の時期の外気は人間にとってはそうとう堪えるものだろう。


「おお、テト、良くきた。早く、こちらへ」


 奥から声がする。ソファチェアに腰掛けているのは痩せた男性。御年六十歳を迎える、カンテラ支部の所長だ。


『アーティス所長』


『私』がすり寄ると、アーティスはその首を抱き寄せ、私の毛皮へ顔を埋めた。お互いにその感触を確かめるように、触れ合うのだった。


「よく来た。良く来てくれた」


『私』とアーティスとの付き合いは長い。それは今は所長の座にある彼が調教官であった時からになる。もうかれこれ四十年が経とうとしていた。


「急な呼び出しですまない。だがテト、俺が呼ばずとも、こうして遊びに来てくれても構わんのだぞ。いや、むしろそうして欲しい。ここは広いが、寂しい場所でな。足がこうなってからは、中々そちらにも行けずに歯がゆい思いをしているんだ」


 アーティスは腕の良い調教官であったが、数年前、事故により足に怪我をして引退した。彼が所長に任命されたのはその時だ。「ちょうどいい落とし所だったんだろう」と彼は言うが、それに反対する声は聞かなかった。彼はその人柄から、愛されていたのだ。


『とはいえアーティス所長。一介のドラグーンが頻繁に部屋に訪れるとなると、周りはなんというかわかりませんよ』


「そんなもの気にするか。言いたい奴には言わせておけばよい。ここはドラグーン宅急便の支部だぞ? そのドラグーンを何よりも大切にするのは、組織として当然のことのはずじゃないか」


『しかし所長の配下は人間です。自分達よりドラグーンの方が可愛いなんて思われたら、私は恨まれてしまうかもしれません』


「寂しいことを言ってくれるな。これでも相当に我慢しているんだ」


『それは私もです。アーティス所長』


 そして二人とも童心にかえったように笑うのだった。



 $$$



「さて、本題といこうか」


 彼は体勢をお越し、内線ベルを取った。「連れてきてくれ」を短く言って、すぐに切った。


「お前の能力を見越して、頼みたいことがある。申し訳ないが今回の案件は、うちに所属する個体の中ではお前にもっとも適正がある。場合によっては、お前しかできない、ということもある、そんな案件だ」


 彼の顔が仕事モードになり、一気に表情が引き締まる。


「とある貴族の方を、アッテリア嬢の元へお連れしてもらいたい」


『アッテリア様に?』


「正確には、アッテリア嬢が付きそう、元大地の精霊王、エル・キャピタン様の所へだ」


『それはいったいどういうことでしょうか』


「お前の疑問も良く解る。しかし、詳しい事情はその方がお見えになってから―――」


 ちょうどその時、人間側扉の入り口がノックされた。壁の向こうから、「お連れしました」と聞こえる。所長が「入れ」と伝えると、その扉が静かに開き、二人、入ってきた。一人はここの職員。そしてもうひとりが―――。


「ご紹介しよう。今回、お前にお連れしてもらうのは、この方だ」


 その貴族を目があった。

『私』は直感した。

 これはめんどうなことになりそうだ、と。

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