天穿つ道

第63話 ドラゴンと登山

 それは夜明けと共に訪れた。


「よし」


 暴風雨は随分前に鳴りを潜め、梅雨のようなしとしと雨が続いていた。こうして洞穴内で静かにその時を待ち続けて半日。ついにその時が訪れたのだ。


「これなら!」


 日の出である。


 この暗雲立ち込める死火山で太陽光線を浴びようとすれば、まずはその山頂を目指すのがすじ。そう言い切ってしまって良いほど、この周辺の天気は荒れているのが基本だった。薄暗く視界が悪いので、洞窟内の方が精霊石の温かい明るさで満たされていて、かえって快適、まである。


 しかし今、洞窟内を明るく照らしているのは紛れもない太陽光線だった。その光量はさすが我らの太陽、精霊石の存在を一瞬で忘れさせてしまうほどの充実感だ。


『ふ……。最後の最後で、随分と粋なことをしてくれたなぁ。神よ』


 明朝の低い光は洞穴の奥まで届き、台座に乗ったアキマサじじを照らし出していた。その弱視にさえも眩しく映る光は、確かに神からの導きにも思えなくない。


「さぁみんな! 打ち合わせどうりいくよー!」


 掛け声と共に狼男ワーウルフ達が配置についた。地方の祭りで大きな神輿みこしに群がる男たちのように、アキマサじじを乗せた台座を取り囲んでいく。私はその布陣を確認しながら、台座の先頭、アキマサじじの頭部のすぐ横に飛び乗った。


 アキマサじじを台座に乗せるのは相当に苦労した。大地の精霊石を体に縛り付けた上でイルさんウルさんの精霊力を加えて軽量化し、狼男達の大半を動員して持ち上げた。その時の精霊石は台座の底面に固定しており、今度は台座全体の軽量化に貢献させている、という訳だ。


 やはり当初の予想通り、アキマサじじと地面との接地面である腹や膝のあたりは褥瘡じょくそうが深刻化しており、看護士資格を持つ私でさえ直視出来なかった。崩れ落ちる肉体の一部を気にもとめず、果敢に挑んでくれた狼男達にはただただ感謝するしかない。


「車軸の様子は俺が側面からチェックする。その他の指揮は任せた」


 台座の影からトーダちゃんが顔を出した。何時いつになく深刻な表情だが、私はそれに自信満々の表情で返した。親指を立てた腕まで突き出しながら。


「まっかせなさい!」


 それを見るなり、少しだけ優しい顔をして後ろ側へと消えていった。まるで「昨日まで泣いていたクセに」と言わんばかりであるが、今は頼もしい相棒に好き勝手思わせといてやるのだ。


「いよいよだね。アキマサじじ」


『ああ』


 最初の難関は、洞穴内からの脱出だ。もとより硬度の高い山だった為、洞穴の構造を大きく変更するような工事は行えなかった。ともすれば入り口は急斜面であり、加えてその方角は山頂とは無関係な方向を向いている。つまり洞穴を完全に抜け出すまでは、ドラゴンの怪力による牽引のサポートが受けられないという事だ。この斜面を登りきれるかどうかは、狼男達の頑張りにかかっている。


「後悔はない?」


 そして動き出してしまえば、後戻りという選択は無い。


『後悔などあるものか。こんな機会に恵まれるなど感謝しかないわ』


 その言葉に嘘は無いだろうことは、表情を見れば分かった。日に照らされたその瞳に映るのは、希望だ。


「それは良かった。でもね、私は少しあるんだ」


『ほう。アカネさん。わしは、この先の旅路がどんなものになろうとも、お主のことは忘れんよ。ただただ感謝だよ。安心してほしい』


「ありがと。でもね、アキマサじじ。私が後悔してることはね―――」


 狼男達の遠吠えが洞窟内に響き渡った。洞窟入り口では、後光を浴びたツェプトさんが勇ましいシルエットを映している。指揮は万全だ。この遠吠えは、外に出る準備が全て整ったという合図だ。


「アカネ! 行けるぞ!」


 後方でトーダちゃんが叫んでいる。狼男達の遠吠えも反響に反響を繰り返し、テンションもボリュームもクライマックスだ。


「―――あなたと、もっと早く出会いたかった」


 訳もわからず転生したこの世界。私は介護福祉士として、エルさんに出会えた事も、そして従者となれたことも、この上無い幸せだと感じていた。


 だが同時に、この世界の広さも思い知った。そして、救いを求めているドラゴン達が多数いることを知ってしまった。それは未だに適正な介護サービスを受けられていない高齢者が溢れていたあの世界と、同じだ。知ってしまえば、見知らぬ振りは出来ない。出来る性分なら、この職を続けてはいない。


 私は自分の能力を過信しない。そんな自信も無い。

 だけれど、助けを求める声が聞こえるのならば、全力で駆けつける。

 でなければ、取り返しのつかない事態が待っているかも知れない。

 そうすれば、後悔しか残らない。


 私はこの胸に誓ったのだ。

 ―――もう二度と、後悔はしない、と。


『………それはわしも同じだよ。アカネさん』


 それだけ別れの数が増えるし、それはとてもつらいことかも知れない。

 だけど、私はそれを曲げないと決めたのだ。


 なぜなら―――


『あなたと、もっと早く出会いたかった』


 ―――その先には、きっと、素敵な出会いが待っているんだから。





「―――おい? アカネ!? 聞こえないのか!? いけるぞ!」


 その声に狼男達の遠吠えが鳴り止んだ。洞窟内を残響が通り抜け、静寂が訪れた後。

 

 皆が息を潜めていた。誰かの呼吸音でさえクリアに聞こえそうな緊張感は、それを聞き逃さないようにする為だ。


 ―――皆が私の合図を待っている。



 私は大きく伸びをして、深く息を吸った。そして自分の胸を揉んだ。



 ―――あとはやるだけ。



 腹に力を入れ、渾身のエネルギーを掛け声に込めた。



「しゅっぱーつ!! しんこーー!!」


 最古の竜、雷竜アキマサを乗せた車椅子は、力強く動き出した。

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