第49話 ドラゴンの後悔
『では、アカネさんや。今のわしにお主が出来ることは、なんだい?』
「やれることは何でもやります」
『なんでも、かい?』
「足の
なぜか私は必死になっていた。話している途中から、違和感には気づいていた。指折り数えながら、その現実を突きつけられるような思いだった。そしてそれはアキマサじじの言葉で確定的なものとなる。
『それだけのことを、アカネさん一人で出来るのかい?』
無理に決まっていた。私にオペ経験はない。
『わしの体を動かすなど容易ではないぞ。何もわしも意地悪を言っているわけではない。それが現実的ではないことがわかっているからこそ、受け入れているのだ。しかし、もし、わしの体を動かすことが出来たなら――』
アキマサじじは入り口を遠い目をして眺めている。私にはそれが本能的に、彼の最後の願いだという事が分かった。アキマサじじには心残りにしていることがあるのだ。
「聞かせて」
私はアキマサじじの首を抱き、お願いをした。
『……大した話ではないぞ』
「聞きたいの」
『……これはわしの贖罪なんだ』
アキマサじじはそう言って、その胸にある想いを打ち明けてくれた。
『わしの人生において、恋と呼べるものはたったの一度きりだった。それは美しいドラゴンで、そしてそれはやがてわしの妻となった。当時の世界は未だ不安定でなぁ、わしは世界中を飛び回っていた。わしは雷竜の王としての職責にいつしか縛られ、そんな状態だから気が付かなかったのだよ。彼女の変調に』
奥さんは世界中を行くアキマサじじに変わりこの地の管理を担っていたが、変調により精霊竜としての力を上手く扱えなくなってしまった。彼女はそれでもなんとかしようと、より精霊力が高まる山頂でその責務を果たそうとした。しかし変調をきたした雷竜の力は気候を大きく乱し、限界を超えて成長した積乱雲が蓄えた電力は既に制御不能に陥っていた。そしてその牙は皮肉にも、山頂を目指す彼女自身に向けられた。
『妻は
アキマサじじは泣き通し、妻の亡骸を山頂へ弔ったのだそうだ。
『巣穴に戻った時、初めて知ったのだ。彼女が
巣穴には一つの卵があったそうだ。変調は排卵前後によるものだったのだろうと、アキマサじじは言う。
『わしはそれ以来、男で一つで子を育てて来た。幸いにも子は立派に育ち、多くの孫にも恵まれた。我が雷竜の純血子孫を……いや、妻の子を残す事が出来たというのが唯一の救いだ。そして孫のトシコはよく似ているのだ。あの若かりし頃の、妻に』
トシコさんは私から見ても本当に美しいドラゴンだと思う。強く、凛々しく、女としての
『わしは妻のそばに居てやる事が出来なかった。思い返せば、なぜそんな簡単なことすら出来なかったのかと。後悔しない日は無い。わしが描く幸せの中心には常に彼女があったはずだったのに。だから、せめて、最期くらいは』
アキマサじじが翼を広げていく。岩のようになった表皮がピシピシと音を立てて砂のように崩れていく。それはまるで悲鳴のようだと思った。
『この山の頂上で彼女が眠っている。わしはそこへ行きたいのだ。そして今度こそ、彼女のそばを離れぬ』
晩婚化が進み離婚も比較的カジュアルになってきた現代において、生涯を寄り添う夫婦は少なくなっている。しかし現代の高齢者夫婦は、敗戦後の厳しい情勢を共に生きた人生の相棒のようであり、その愛情の深さは我々では計り知れない。相手がどんな状況でも支え合い、共に生きて行く。そんな美しい愛の形を我々に教えてくれるのだ。そんな人との死別は、まさに半身を失うようなものだろう。高齢夫婦の死別は美しく、そして悲壮だ。自身の片割れを失う。それをきっかけに認知症が加速していく。そんな悲しい結末を、幾度となく見てきた。
『……しかし今となってはそれは叶わぬ。わしはまたしても逸したのだ。もっと早くに自分の死に様を決めておけば、こんな所で腐り果てていくなどという惨めな結果にはならなかっただろうになぁ』
自笑するアキマサじじの声が私の胸に突き刺さった。
私はエルさんの言葉を思い出していた。
――生物は
――その身と能力をもって、出来ることだけしてくれば良い。主なら大丈夫だ。他ならぬ我の従者なのだから。
そして。
――私の中の介護魂が猛烈に燃え上がった。
「行こうよ。山頂に」
『……今、なんと』
「会いに行こうよ。奥さんに」
『なにを馬鹿な。それが出来るならとっくにそうしているよ』
「馬鹿じゃないよ。私、決めた。決めたから。もうこれは決定事項だから」
私は彼の人生に関わった。関わったのであればその証拠をその人の人生に刻み込む。これが私の介護職員としての生き様だ。
そして私はドラゴンの介護福祉士だ。ドラゴンの従者なのだ。
「アキマサじじ。私が、あなたを奥さんの所まで連れて行く。どんな手を使っても」
ドラゴンの最期の願い。叶えられないなんてことがあっていいはずが無い。そんな後悔が残っていいはずが無い。私がさせない。
何故ならそれが私の後悔になるから。私は決めたのだ。もう二度と後悔しないと。
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