第47話 蝕む病
私はアキマサじじに誠意を持って挨拶した。新調したスカートの裾を持って腰を僅かに落とす。
「私はエル様の従者、アカネと言います」
この世界の作法を誰かに習った訳では無い。けれどもアキマサじじの威厳は私に無意識にそうさせた。高位な存在を前に本能的にそうしなければと感じてしまったのだ。神聖で、圧倒的だ。
『お初にお目にかかる。遠路はるばるご苦労であった。トシコの
「いえ、そんな」
どうやらエルさんとは旧知の仲らしい。アキマサじじの言葉は優しく温かいが、なぜだか緊張が取れなかった。私が顔を上げると、じっと見つめていたらしく目が合う。何故だが、その目は切なそうだ。
『アカネ様、さっそくで申し訳ないのですが』
トシコの真剣な眼差しが私に向けられる。
『これトシコ。アカネさんはお前のように
トシコの促しに私は台座をよじ登り、アキマサじじに歩き寄った。
「失礼します」
その体表をゆっくりと触診していく。柔らかで温かい表皮だが、しかしそれはかさついた石のように指で擦れば砂となって削れていく。押しても弾力はあまり感じず、固くなってしまっている。私はこの触診を行う前から状態の予想がついていた。私の本能にそれを知らせるのはこの独特の香り。私はそれを確定させたくなくて、ゆっくりと診ていたに過ぎなかった。
しかしそんな時間はあっという間に過ぎていく。眼の前にはアキマサじじの後ろ足があり、いよいよそこから目を背けることが出来なくなった。ここは岩肌との隙間が不十分で、トシコさんの巨体では覗くことが叶わないだろう。小さい私だからこうして回り込めるし、視ることもできるのだ。だから、トシコさんがそれに気づけなくても、仕方がないのだ。
私は一通りそれを観察した。記憶を辿って、近い症例を照合していく。その当時の想いまでフラッシュバックする心労に耐えながら、一周してアキマサじじの前に立ったのだった。
「終わりました」
顔を上げることが出来なかった。私は嘘がつけるほど器用では無い。それを悟られないようにするだけで精一杯だった。それを見たアキマサじじが告げる。
『トシコよ。悪いが席を外してくれるかい。わしはアカネさんと二人で話がしたい』
『そんな! しかし』
『トシコ。頼む』
しばらくの沈黙の後、背中を丸くしたトシコさんが無言で飛び立っていった。
『すまないな。気を遣わせてしまった』
トシコの飛び立つ姿を見つめるアキマサじじが言う。
「……お気づきになっていたのですね」
『自分の体のことだ。こんな状態になってもわしはボケていないからなぁ。流石に悟ってしまうものだよ。して、アカネさんや、お主はどう思う」
私は看護学校で学んだ事を思い出していた。施設で働いて目にしてきた実際の症例とも照らし合わせてもみた。しかしそのどれもが、悲しい結末を迎えていた。
「……再び歩けるようになることは、無い、と思います」
頭上から注がれるアキマサじじの優しい視線が今の私には痛かった。
『そうか』
私が見上げた時には、その目は再び閉じられていた。
アキマサじじの後ろ足は、ひどい
寝たきりの状態などになると体動が行われず、体の一部位に負荷がかかり続ける。この状態が長引けば圧力によって血行不良が発生し、栄養が行き渡らないその周辺組織に壊死を発生させる。初期段階であれば定期的な体位の変更を行う等して
しかしこの改善が行われなかった場合、その症状はどんどんと進行していく。壊死した細胞は周辺組織を腐敗させその進行を加速させる。範囲は表皮に留まらず、皮下脂肪帯を超え筋肉組織、やがては骨にまで達する。まるで何かに掘り起こされたかのように穴が空いてしまい、最終的にそれは身体を貫通する。
アキマサじじの後ろ足と
彼の年齢、褥瘡の状態、本人のやる気、そしてそれをサポートする体制。それらを考慮すると改善は絶望的だった。
そしてそれは、死という概念を具体的にする。
『わかっていたことだ。そしてそれは自分が招いた事だと言うことも』
彼に従者がついていればこんなことにはならなかったのかも知れない。
しかし何もかもが遅すぎていた。
『アカネさんや。エル坊にはここに来ることを伝えてあるのかな』
「はい。お前に出来ることをやれ、それまでは戻ってくるな、と」
『ふふふ、偉そうなことを言うようになったなぁ、あの子も。では少しばかりは時間を貰っても構わないということだね』
アキマサじじはそう言うと、首をゆっくりと地面におろし、私の直ぐ側にその大きな頭を沿わせてきた。
『ではせっかくだ。少しこの老骨の話に付き合ってはくれないか』
そう言って、アキマサじじは色々な話を私に聞かせてくれた。
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