第32話 森に住む者の務め
「テト! 急いで下さい! 日が沈んでしまっては間に合いません!」
世界は橙色に染まっている。赤い太陽が間もなくその水平線へ姿を消そうとしていた。その空をジェット機のように飛ぶドラグーンと一人の女がいた。
『はいでしゅ! で、でも、振り落とされないで下さいね!』
女はその手綱をより一層強く掴んだ。ドラグーンの背中を大腿で挟んで腰を浮かせ、低い姿勢で空気抵抗を抑えながら衝撃に備える。
「当たり前です! お前こそ、失速なんてしたら許しませんよ!」
かつての旅の共の背中を強く蹴り飛ばす。もっと早く。お前の全速力を出して。
時間が勝負だった。私にはなんともしてもココの森に早く着かなくてはならない。
「アカネさん、エル様、待っていて下さいね……!」
アッテリアとテトは緋色の空に雲をひいて飛翔していた。
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夕食の支度をしようと準備をしていたら、アカネさんが血相を変えて部屋に飛び込んで来ました。足は穀物のスープで盛大に汚れています。何をそんなに慌てているのでしょう。
「アカネさん? どうしました?」
アカネさんはぜぇぜぇと肩で息をした後、突如私の胸ぐらを掴んできました。
「薬に詳しい!?」
彼女は物凄く必死でした。いつもの明るい彼女からは想像もできません。
「じゃあ薬草は!? 病原菌とかは!? とにかくなんでもいいの! 早く答えて!」
「ちょっとアカネさん、落ち着いて下さい。私はエルフですから、多少の心得はありますよ。ほら、まずは座って」
私は崩れ落ちそうになるアカネさんを支えながら、食卓の椅子へ座らせました。ちょうど準備していたハーブティーがあったので差し出しました。するとアカネさんはそれを一気に飲み干してしまいました。淹れたてだったのでかなり熱かったはずなのに、それにも気が付かないほど慌てているようです。
「エルさんが、
「ほうかしきえん?」
聞いたことがない名前です。エル様が体調を崩されていたのは知っていましたが、風邪とは違うのでしょうか。
「
蜂窩織炎とは、皮膚深部から皮下脂肪までの部分に細菌が感染した状態を言う。通常、生物の皮膚は細菌等に対して非常に強いバリアを持っている。しかしこれが何らかの事情で破られてしまうと、細菌はその奥まで侵入してしまう。皮膚深部まで到達した細菌が増殖すると細胞を壊死させ始める。つまり化膿だ。皮膚の内側が化膿した状態、それが
これは年齢関係なく発症するものだが、取り分け免疫力の低下した高齢者に多く発症しやすい。乾燥肌や表皮剥離、その他皮膚疾患の人はどうしても皮膚のバリア機能が弱くなってしまうからだ。
体は動かさなければ驚く程早く老化する。なんらかの病気で入院した高齢者は一気に老化が進むというが、これは本当のことで、歩かないことで歩行機能が低下し、刺激が減少することによって認知症が加速する。蜂窩織炎で入院した利用者さんが退院して別人のようになって戻ってきてしまう、なんてことは珍しい話では無い。
そんな
しかしここは異世界だ。抗生剤なんて便利なものは存在しない。
「エル様がそんな状態になっていたなんて……」
「とにかく、消毒とか、そういうのによく使われるもの、無い!?」
私は考えました。エルフは森に住まう民族です。多くの草花の薬効を調べ、それを保管するのが種族の習わし。私の知る中で最もふさわしいのは……
「……ココの森に咲くココラという花があります。傷口などが膿まないようにと、その花のエキスを抽出してその葉を刻んだものと一緒に患部へ貼り付けます。古くからエルフの一族が使っているもののなかで、最も効果が高いものです」
「それ! 化膿止めの効果があるなら期待できそう!」
「でも残念ながらここにはないんです」
アカネさんの表情から色が消えました。唯一残っているのは絶望です。
「それに、アカネさんのお話を伺う限り、貼ったりするだけでは不十分でしょう。飲み薬として適したものも同時に用いないと」
私はそこまで言って、奥から浅緑のコートを取って身に纏いました。エルフ族が森を歩く時に使う民族衣装です。そしてドラグーンの呼鐘を鳴らしました。
「ココラの花は貴重なので、その採取量は制限されています。エルフの私なら許されるでしょう。飲んで効果がありそうなものにも心当たりがあります」
私のその言葉に、アカネさんの表情は色を取り戻していきました。目が回ってしまうのではないかというほど頭を振って頷いています。
私はフードを被り、杖を手にしました。エルフ族に伝わる杖は森で貴重な道標になります。
「必ず今夜中に戻ります。少し遅くなると思いますが、その間、エル様についていてあげて下さい。頼みましたよ、エル様の従者様」
こうして私は降下したテトに
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