すべてを受け入れたその先に

第26話 ドラゴンの命の価値観

 真っ赤に熟れた太陽が水平線に溶けていく。


「わーキレイ」


 二匹と二人は遠く海を眺めながら、その山の斜面をゆっくりと下っていく。


「本当ですね。こうして景色を楽しむなんていつ振りかしら…」


 ウルさんを先頭にその背中にはアッテリアが、続くエルさんには私が跨っていた。いつもの湖畔へのコースを大きく逸れて、道も整備されていない緩やかな山肌を歩いていた。このリハビリコースはウルさんの提案だ。


 ――いつもと違うことをするのも大切なんじゃねぇか。


 合流したウルさんは私とアッテリアにそう告げると、エルさんを誘い出したのだった。


『アッテリア、勿体無いぜ。せっかくこんなロケーションに住んでるんだ、味わえるものは味合わないとな』


 ウルさんに指摘されたアッテリアは太陽みたいに顔を真っ赤にして俯いている。アッテリアさんには申し訳ないけれど、本当にその通りだと思った。この世界はとにかく自然が美しい。


『そう言うなウルよ。アッテリアは我に良くしてくれている。その余裕を持たせてやれないのは我の不徳の致すところだ』


「い、いけませんエル様。そんなことをおっしゃらないで下さい」


『よい。人の人生は我らドラゴンより短い。若さとは代え難いものだ、主はもっと自分を大切にしてもバチは当たらぬ。顔をあげよ』


 遠方の水平線では今まさに太陽がその身を沈めようとしていた。赤と朱色の閃光が弾ける中。


――太陽がエメラルド色に輝いた。


「グリーンフラッシュ!」


 私は思わず声を上げた。


「ぐりーんふらっしゅ?」


 グリーンフラッシュは太陽が沈む直前に緑色に輝く、特定の条件が揃わないと見ることが出来ない非常に稀な現象だ。それを見たものは幸せになるという言い伝えがある。私も初めて見た。なんて美しいんだろう。


『お前達ツイてるぞ。俺だって何年ぶりかわからないくらいだからな。親父に感謝だな』


 思い返せば私は仕事人間だった。介護職に転向してからというもの、それはもう死ぬ物狂いで働いた。生き急ぎ、働くことでしか自分を満たすことが出来なかった。私は大半の時間を施設の中で過ごしていたから、こうして足を休めて景色を楽しむ、そんな大切さを忘れてしまっていた。


 いや、今だからわかる。

 最初から知らなかったのだ。


 奇跡のエメラルドはあっという間に姿を消し、残る朱色は群青の空に侵食されていく。これから夜が訪れるのだ。


 そんな時だった。


『お前たちが俺らの世話をしてくれることは素直にありがたいと思っている。だけどな、そのせいで自分達の人生をないがしろにはして欲しく無い。俺たち地竜にとって、そこで生きている者は皆家族みたいなもんだ。家族には後悔してほしくないだろ?』


 ウルさんの予想だにしないその言葉に、私とアッテリアはその真意がわからず顔を見合わせる。


『そんな一生懸命にならなくていいんだ。俺達の一日とお前たちの一日では、10倍もその価値が違うんだ。今日があるなら明日がある。明日が駄目なら明後日がある。俺たち地竜は自然と共に生き、だからこそ自然に逆らったりせず、ありのままを受け入れるだけのものがあるんだ。そんな俺達の生き方に付き合っていたら、あっという間にお前たちの時間は無くなっちまう』


 ――それって。


『…我ももう長く生きた。いつ死んでも後悔がない心構えだ。体が風化しその大地の一部となるその日が訪れるのを、ただじっと待つ。そういう人生も悪くない』


 ――もう関わるな、ってこと?


 続くエルさんの言葉ではっきりとわかった。

 ウルさんが私に付き合ってくれたのは、私達に諦めさせる為だったのだ。

 自分たちの為に時間を浪費するな。

 そう言っているのだ。


 そんな優しさって、無い。


「エル様、ウル様、それではまるで…」


 ――私達が必要ないみたいじゃない。



 認知症を患い、体にも病気を抱え、介護が無いと生活を送るのが難しい人が居る。

 そんな利用者さんがこぼした言葉が、今でも忘れられない。


 家族の方の思い入れが強く、良かれと言うことで家族の勧めで私の勤務する施設に入所してきたその利用者さんは、とても温厚で職員に対しても優しく接して下さる素敵な方だったが、なぜか強い介護拒否が見られた。

 私はその理由が知りたくて、その方のトイレ介助を行っている時に聞いてみたのだ。


 もっと頼ってくれていいんですよ。


 しかし利用者さんは優しく、悲しそうに言ったのだ。


――そんなにあたしにかわまなくていいんですよ。あたしは人に何かしてもらうような身分じゃない。それなのに自分のことがままならなくて、こんなに迷惑をかけて、あなたの若くて大切な時間を奪っている。そしてそれをきっと忘れていくんです。あたしはそう思うと、申し訳なくて仕方がないんですよ――


 その方の食事摂取量はみるみる減っていき、その活動量もどんどん減っていった。私達が懸命に食事や運動を勧めても、柔らかく、しかし断固として拒否した。衰弱は食い止めることができず、やがて寝ている時間が増え、最後には起き上がることすら難しい状態になっていた。

 そんな時、誤嚥ごえんが原因で肺炎を発症。救急車が到着して担架で運ばれるその時、高熱で意識が朦朧もうろうとするなか、私の手を握って言ったのだ。


「これでやっとお迎えが来ます。御迷惑をおかけしましたね。ありがとう」


 翌日、搬送先の病院で息を引き取られた。

 穏やかな表情だったと、後になってご家族から聞いた。


「本人は幸せだったと思います。あなた方にお願いして、本当に良かった」

 

 私はご家族のその言葉に、何も言えなかった。



誤嚥ごえん

飲み込まなくてはならないものを胃ではなく気管へ送ってしまうこと。これによって発生する炎症を誤嚥性肺炎ごえんせいはいえんと呼び、介護度が重い人の死亡原因の多くを占める。栄養を摂取しなければ命に関わるが、その行為自体にもリスクを伴うという皮肉な状態。

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