第293話 イネちゃんと闇市

 共同宣言から1ヶ月くらい経った開拓地は、それはもう賑やかなことになっていた。

 アルスター帝国側の民間人が水源のある西側に、魔王軍側の民間人が海のある東側にそれぞれ新しく集落を作り始めて、それを中立であるヌーリエ教会が資材などを工面していたらいつの間にかそれだけ経っていたということである。

 ちなみにまだ共同宣言の施行まで日があることから、アーティルさんとハイロウさんの2人から頼まれて中間地点としてリリアの試験であったはずの開拓地はすごく縦長……というか見事に国境線を敷く感じに発展していた。

 流石に状況が状況だからとリリアの試験はいくつかの項目をすっ飛ばして対応しているみたいだけれど……この状態でもまだ継続なんだねと思っちゃうよね。

 まぁそんな状態になれば当然ながら商魂逞しい人達は敵国だとかそんなこと気にせずに許可もされていない商売をし始めるわけで……ヌーリエ教会としては特に取り締まる必要も義理も無いのだけれど、これが問題になったら和平とか面倒なことになるということでやりすぎないようにと巡回をしているのであった。

「とりあえずさ、試験中を名目に人材を渋ってる感じがするよね」

「いやいやいや……でもさイネ、一応試験範囲外の部分は人が派遣されてきてるわけだし、ばあちゃんだって流石にそこまでは……」

「まぁムーンラビットさんがとはあまり言うつもりは無いけどね、実際のところ大陸だっていい加減多方面に対応しすぎてヌーリエ教会だけの人材だけじゃ回らなくなってきてるんだろうし」

 地球側との通商会談とか普通にあるだろうし、シックで大規模なゴブリン戦をしたからか、アルスター帝国は今まで以上に回復薬と一緒に兵器としてのゴブリンを増産しただろうってことで警戒してる最中にイネちゃんたちがこっちに来たからね。

 ただでさえ地球との初コンタクトの際にいくつかの国がヒャッハーした分減った人口が戻っていない状態でそんなことすれば、当然ながら人が足りなくなるのである。

「イネって時々どうしようも無いことに対しての愚痴が唐突に漏れるよね……」

「……ごめんね、ちょっと疲れてるのかもしれない」

「まぁ気持ちはわかるけどね、ここって闇市状態になってるし……」

「その分大陸には無い、ムータリアスの食材が集まってホクホクしてるのはリリアじゃない。それにイネちゃんだってそういうので美味しいお料理が食べられるのなら嬉しいことだし、悪いばかりではないんだけどさ……」

「喧嘩だー!」

 そう、悪いことばかりではないのにイネちゃんが愚痴をこぼしたくなる最大の理由はこれなのだ。

 そりゃまぁ敵国の人間が目の前にいて、落ち着けと言うにも限度があるのは理解しているものの、流石に毎日毎日即鎮圧されるのがわかっていながら殴りあいするのは学習能力がなさすぎて大変なのである。

「とりあえず行ってくるよ……」

「……今日は私も行くよ。闇市にはそれなりに戦える人もいるらしいけれど、基本的には戦争が嫌で逃げてきた人ばかりなわけだからさ」

「……リリアに危害が加えられそうになったら、イネちゃんは容赦なく引き金を引くからね」

「うん、わかってる。それじゃあ行こう」

 リリアはこういう時、戻ってって強く言えば戻ってくれるとは思うのだけれども、正直最初、舐められないようにと思って派手に立ち回ったのが良くなくてイネちゃんが姿を見せるだけで大抵の人達は解散していくようにはなっているからね、イネちゃんと一緒にいるリリアに手を出そうと考える馬鹿がいるとしたらそれはそれで見せしめにできるような気がする……まぁだからと言ってリリアを危険な目に合わせるつもりは毛頭ないので今のうちから勇者の力を発動させておくのであった。

 そんな感じで現場にイネちゃんたちが到着したときには、既に結構な人だかりができていた。

「はい、どいてねー」

 イネちゃんが喧騒に負けないだけの声量でそう言うと。

「げ、今日はイネさんじゃねぇか!」

「い、いやあのイネさん……これはですね……」

「ひぃ!?」

「きょ、今日は俺じゃねぇ!」

 そんな言葉が近くから上がると、リリアが。

「イネ……普段何やってるの?」

「いやぁ、イネちゃんが最初だったし舐められたらいけないと思ってちょっと派手にやっただけなんだけどね……」

 ちょっと地面に足を拘束してニコニコ笑顔のまま表情を固定して言葉を出す度にペシペシ往復ビンタしただけなんだけどなぁ……まぁ、目立つようにちょっと高めにして上下逆さまの状態でやったけどさ。

「ちっ、てめぇ助かったな……」

 そう言って当事者の1人がそそくさとこの場を離れようとしたタイミングで。

「いや私が逃がすわけないじゃない?」

 当然の如く逃げようとしたところを地面を伸ばして拘束。

 当事者のお話聞かないと解決もなにもできやしないし、一応中立なわけだから双方からちゃんと聞かないとアンフェアだしね、ここの拘束はむしろこの人のためである。

「いやだぁ!頭に血を登らせた後に破裂するまで殴られたくないぃぃぃ!」

「イネ?」

「いややってないからね?流石にそこまでやってないからね?」

 リリアに変なことを吹き込んだ罪で裁いてやろうか……。

 でもまぁそれは冗談として、片方は結構一方的に殴られていたようで動けずにいるのを横目で確認したので、ここはリリアに初期治療をお願いしておこう。

「リリア、その人の介抱をお願いできるかな」

「さっきの、後でちゃんと教えてね」

 うん、今拘束している方はちょっとキツめに行こう。

「それでなんで殴り合い……というか一方的に殴ることになったのか、お話、してくれるよね?」

 にっこり笑顔でゆっくりと近づく。

 もちろん、この時に武器を持っていないことを示すようにして両手のひらを見せる形でである。

「いやだー!死にたくなーい!死ぬのが怖いからここに来たのに死にたくなーい!」

「うるさい」

 ペシーンと軽く頬を叩くと静かになった。

「とりあえず事の経緯を話してねー」

 そう言いながら先日やったように拘束した人をそのままに地面を隆起させて頭が下になるようにしてからイネちゃんもその人の目の前に足と地面を同化させて移動する。

「降ろして……降ろして……」

「話してくれれば降ろすからねー、内容次第でもあるけど、話してくれたら相応に対応するからね」

「イネ……」

「そんな声で呼ばれても……リリア、その人大丈夫?」

「見た目に対してそこまでひどくはないかな、ただ骨にヒビとか入っちゃってるかもしれないから、ちょっと診療所に運んで調べたいかも」

 そういうリリアに介抱されている人は目の焦点が合っていない感じで、確かに一度精密検査をしたほうがいいかもしれない。

「とりあえず当事者で聞けるのはあなただけみたいだし、ちゃんと話してくれないかな。リリアは介抱しつつこの2人が殴り合いになった経緯を知っている人、見ていた人を探しておいて」

「う、うん……誰か見てた人いませんかー」

 よし、これで名乗り出てくれれば楽ができるね、イネちゃんじゃなくリリアだから闇市の荒くれ者連中が従ってくれるかちょっとわからないけれど……まぁその時はその時で、リリアやスーさんに思考を読んでもらえばいいだけだしね。

 それじゃあイネちゃんはこっちを……。

 とイネちゃんが振り返ったところで、当事者の1人は白目を向いて顔が真っ赤になっていた。

「……物理的に血が上ったのかな」

 この場合は下がって溜まった。というのが正しいのだろうけれど、まぁこのまま放置すると物理的に危ないのでひっくり返して様子を見る。

「おーい、生きてるー?」

 ぺちぺち頬を叩くけれど反応が無い。

 仕方ないので拘束している場所から少しだけ治癒の力を流し込んでからゆっくりと安置できるように体制を変えて見る。

 とりあえず横にする形にして、その後不意な寝返りや飛び起きで落ちないように周囲を囲って……。

「あぁ!イネさんが棺を作っている!というか既にあいつ納棺されてるじゃねぇか!」

「やめて!そいつは短気なだけで根はいいやつなんだ!それに病気の妹さんが!」

 なんだかすごい勘違いされている気がするけれど、だからと言って解除したらそれこそ落ち着いて介抱できないし……。

「イネ?」

 あぁ、このリリアの声色は割と怖いやつだ。

「えーリリアさんや。とりあえず思考、読んでもらって構いませんかね……」

 こうしてイネちゃんの闇市巡回は、毎度何かしらの伝説が生まれてしまうのである。

 おかしい、比較的優しくしているはずなのになんでイネちゃんは難民の人達に恐れられすぎているのかがわからない……。

 このあとリリアからの誤解は解けたのに胸をなでおろしながら、2人をスーさんが所長をしている診療所へと運んだあとにリリアにあれこれ注意を受けたのであったとさ。

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