第二章 巡礼騒動編
第156話 イネちゃん、南へ
オーサ領で起きた大規模な反体制派による反乱から半月、関係各所の責任者さんや当事者の皆は事後処理や復興、最終決戦の混乱で逃げ出していた反乱軍の人たちの捜索とかで忙しくしている。
まぁイネちゃんは既に暫定政府……政府でいいのかな?オーサ領の盟主であるシード・オーサさんが政治中枢を一時的に移すだから緊急処置のほうがそれっぽいかもしれないかな?まぁそんな感じでヴェルニアがオーサ領の復興拠点となったけれど、既にヴェルニアにはいないのだった。
じゃあ今どこにいるのかと言うと……。
「リリアさんにイネさん!街道からちょっと離れた場所でゴブリンを確認したッス!どうするッスか!」
「うーん、戦力評価ができないとやりたくないかなぁ、確定で近くに巣があるってことだし、下手に手を出して学習されたら目も当てられなくなるしね」
「でもお子さんが追いかけられてたッスよ?」
「それを早く言ってキュミラさん!リリア!」
「うん、でもどうやって対処するの?」
「単純、キュミラさんが慌ててないってことは子供を追いかけてるゴブリンは少数、白兵戦で仕留めればいいだけ」
とは言っても一息で逃がさないように仕留めないと1匹でも逃げたら面倒なことになる、ゴブリンは学習能力を備えてるからなぁ、しかも武器も罠も使うし、個体によっては作戦行動まで行う。
そんなゴブリンが自然POPする上、略奪した相手の女性、メスを孕ませて数を増やすんだからもう本当どうしようもない、ヴェルニアでの決戦のあと寝込んだイネちゃんは暇つぶしにキャリーさんのご先祖様の蔵書を読ませてもらったけれど、過去にはダイアウルフのメスが苗床になっていたとの記録まであったのだから、本当、どうしようもない。
「でもちょっと安心した、イネってゴブリンって聞くと人が変わったようになっちゃうから……」
「……そんなに変わる?」
「うん、一人称から変わる」
そんなかなぁ、まぁそうかもしれない。
イネちゃんはゴブリンに対して種族そのものに恨みを持っているってのは自覚あるから変わってもおかしくないし、脳のリミッターを外していつも全力って感じになるのも自覚がある。その時にイネちゃんがイネちゃんになる前のイネちゃん……イーアとも協力して動くから余計に変わった感じになるのかもしれないね。
「キュミラさん、ティラーさんを起こしてきて、突入したら即戦闘だから」
「了解ッス!起こしたら私は……」
「戦うんだよ、逃げないでね?」
にっこり笑顔で言うとキュミラさんはうわーんと鳴き声でティラーさんを呼びに行った。
猛禽類なのにあの臆病すぎる性格はなんとかしたほうがいいと思うんだけどなぁ。
「それじゃあ突っ込むよ、一応できそうならヌーカベで何匹かゴブリン潰すつもりだけど……」
「リリアは無理しないで。追われてる子を回収したら一旦街道まで避難して、場合によってはイネちゃんたちを回収して……あぁいや催淫でゴブリンの足を止めてくれたほうがいいか逃がしたくないし」
「わかった、でも油断しないでね」
「ゴブリン相手なら油断してる余裕は……無いよ!」
リリアのお母さんであるササヤさんに銃以外の武器に対して習熟しているのなら使ったほうがいいと言われて買った短めの剣を腰から抜くいていつでもヌーカベから飛び降りるようにゴブリンに飛びかかれるように準備をする。ちなみに剣だけじゃなく槍と盾、弓も買っておいてある。弓に関しては最悪現地生産で賄えるからってことで最終手段なんだけど、出番あるかなぁ……。
「それじゃあ……行くよ!」
リリアの強い語気と共にヌーカベが走り出す。
ヌーカベはかなり大人しい長い体毛と硬い表皮を併せ持った牛のような動物でヌーリエ教会の聖獣であるが、一旦走り始めるとその速度は凄まじい。
キュミラさんが空から俯瞰して目撃したのだから少し距離があったはずなのに、すぐに誰かを追っているゴブリンの集団が視界に入ってきた。
「ゴブリンだって?」
「ティラーさんベストタイミング、もうすぐ飛びかかるから準備……」
「もうできてる、ヌーカベが走り出したからそういうことだろう」
モヒカン強面なのに礼儀正しいティラーさんは、その風貌にぴったりと言って差し支えない戦斧を担ぎ、飛び出す準備をしてくれる。
「じゃあ行くよ、ちょっと聞きたくない音がしたら飛びかかる、それでゴブリンに」
「飛びかかる!」
ゴチュ!
って感じの水分多めの硬いものが潰れた音を合図に私とティラーさんがゴブリンに斬りかかった。
「え……うっ、オエェ……」
何か聞こえた気がするけれど、今はともかくゴブリンを殺す。
飛びかかった奴は頭をかち割ったからいいけれど、いつも使っているナイフと違ってちょっと深く食い込みすぎてなかなか抜けない。
「む、確実に行けるけどやっぱ欠点はあるのか……」
普段コンバットタイプのサバイバルナイフの癖で持ち上げようとして失敗、他のゴブリンが私に向かって棍棒を振り下ろしてくるけれど……。
『イネ、脇差なんだから引くの!』
頭の中にイーアの声が響いて、私の体は反射の速度でゴブリンを頭部から斬り下ろした剣を引くとさっきとは打って変わってすんなり、絶命したゴブリンの骨ごと豆腐のように斬れて殴りかかってきたゴブリンの腹部に向かって引き抜いた剣の刃を添えるようにし、私自身の姿勢は腰を落として迎撃する。
「どっせい!」
ティラーさんの気合の声と同時に私を殴りかかってきていたゴブリンはAパーツとBパーツに分離したのを確認してから周囲の様子を伺う。
逆サイドはティラーさん……あまりゴブリン相手は慣れてはいないみたいだったけど戦い慣れしている分問題はなさそうな感じに暴れている音が聞こえる、伊達にぬらぬらひょん最強ではなかったわけだし安心して背中を預けられる安定感があるからティラーさんは大丈夫だね。
「ほ、ほら早く立って乗るッス!まだゴブリンがいるんッスから早く乗るッスよ!」
キュミラさんの叫びが聞こえるけど、どうにも嗚咽の返事が聞こえるあたりこれはキュミラさん戦闘に参加できないかな、キュミラさん本人にとっては願ったりかもしれないけれど、空からの監視情報の有無だけでも動きやすさが段違いだから私とティラーさんにとってはちょっと勘弁してもらいたい状況ではある。
「リリア、周囲にあと何匹くらいいる?」
剣用のあぶらとり紙……というより和紙になるのかなこれ、それで剣に付いた血を拭いながら聴く。
「えっと、ちょっと生物が多くて……正確にはわからないけれどゴブリンっぽいのはあと3匹くらい、森の近くに1匹で2匹はティラーさんが戦ってくれてる」
リリアは夢魔である祖母の遺伝で夢魔としての力を持っていて生物の探知ができる……けどまだ制御に難があるらしくって正確性に欠ける。っていうのがリリア本人の言葉で、私と一緒の時に力を使ってる時は下手なソナーとかのレーダーよりは正確でなんだよねぇ。
「うん、方向はどっち?」
「右手側……イネの方にいる。森の茂みからこっちを覗いてる感じ……見えないからわからないけれども……」
「大丈夫、私も練習する必要があるから……」
遠距離狙撃なら普通に銃を使えばいい。
でも今の私なら別の手段を取ることができるし、この特殊な力の先輩から小さい使い方の積み重ねで制御に慣れていくのがいいと言われていたし丁度いいかもしれない。
「えっと、内側に意識を向けて……地面を感じながら……『大地に眠れ』」
私がそう言って左手をゆっくり上から下に動かすと、リリアの指定したポイント付近から「ぐぇ」という何かが潰れたような感じの声が聞こえてきた。
「うし、成功……かな?ちょっと仕留めてくる、私が奇襲されないように周囲の警戒をお願い」
「うん、気をつけてね、イネ」
リリアに見送られて私は監視役のゴブリンを仕留めに向かう。
1匹でも逃がすと所属している巣のゴブリン全部に私たちのことが伝わっちゃうから物理的、能力的に不可能でもない限りは対策を取ってくるから厄介なんだよねぇ。
ちなみに今使った大地に眠れーは対処不能な分類だから見られて逃げられても大丈夫。問題は私たちの人数と基礎戦闘能力が伝わること、これが伝わって驚異じゃないって思われると対処不能な要素があっても群れで襲ってくることもあるから、逃がすわけにはいかない。
襲撃してきたゴブリンの対処で1匹仕留め損なった結果なくなった集落……どころか街単位で地図から消えたなんて事案もあるからこそ、戦闘をお仕事にしている人たちの間ではゴブリンの子供だろうが見逃すなってのが常識、というか生まれたてでも見逃せないし、土地によっては身籠っちゃった女の人ごと火にくべたりもするくらいこの世界にとってゴブリンは駆逐すべき存在……なんだよね!
地面にキスして動けないゴブリンだから考え事をしながらでも余裕で絶命することができた。
「さて、今度はこれを担いで戻らないと……」
ゴブリンは同種の死体からも学習することがある。
私の生まれた村への襲撃は、後の調査の結果これだと判明したんだけれど……本当なんで世界にゴブリンがいるんだか……私が復讐者にならずにいるのって割と不毛だからっていうのが大きいんだよね、自然POPする生物を完全に除去するのって、不可能だからなぁ、最低限私自身で駆除、最大限は安全ニコニコ誰でもできる簡単ゴブリン駆逐術の構築になりそう。
「ただいま、ティラーさんは終わった?」
「あぁ、今連中の死体を集めてたところだ……リリアちゃんすまないがヌーカベの足の裏のやつを……」
「あ、ごめん……でも見て大丈夫かなぁ」
「まぁミンチより酷い状態だから……お肉控えれば大丈夫じゃないかな」
「うへぇ……私見ないでいいッスか」
「まぁうん、キュミラさんは助けた子の面倒見ててあげて」
「あ、あなたたちは一体なんなんですか!」
イネちゃんたちがゴブリンの処理をしていたら助けた女の子が叫んだ。
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