第9話 異変の始まり――獣人世界(上)
その朝、いつものように日の出前に目を覚ました狸人族の少年ポルナレフは、大きく伸びを一つすると、小柄な体をひるがえし、ベッドからポンと跳びおりた。
「う~ん、やっぱりこのベッドの寝心地は最高だなあ」
ポルが使っているベッドは、ポンポコ商会謹製のものだ。
緑ゴケとある魔獣の毛が詰められた、そのベッドの寝心地は、まるで天上の雲海に横たわっているほどだ。
少年が自室から共有スペースでもあるリビングに出ると、彼の母親であるマアムが、テーブルの上に二つ並べたカップにスープを注いでいるところだった。
とろみがある具沢山のスープは、それだけで朝食が済ませられる、狸人族の伝統食だ。
「母さん、お早う」
「ポル、本当に一人で起きられるようになったのね。
感心だわ」
「ぼ、ボクだってもう子供じゃないんだから!」
「はいはい、分かってますよ」
そう言いながらマアムが息子に微笑みかける。
二人は向きあってテーブルに着くと、神獣に祈りを捧げてから食事を始めた。
「「いただきます」」
食前の言葉は、ポルが所属する冒険者パーティのリーダーであるシローに教えてもらった異世界の習慣だが、いつの間にかマアムもつかうようになっていた。
「ここって、ホントに住みやすいね。
快適そのものだよ」
「へえ、以前はどんな所に住んでいたの?
母さん、知りたいわ」
「い、いや、それはちょっと……」
ポルが最近まで住んでいたのは、廃屋としかいえないボロ小屋だったが、さすがにそれを母親に知られるわけもいかない。彼は彼女を心配させないよう、それを隠していた。
「それにしても、こんなに立派なところにタダで住まわせてもらって、ホントにいいのかしら」
二人が住んでいる住居は、ケーナイの街はずれにあるポンポコ商会の建物内にある。
この建物は、コの字型をしており、地下三階、地上三階の立派なものだが、二人の居住スペースは、その三階部分にあった。
「母さんは
ボクの方は、そのついでみたいなもんだね」
ポルはそう言ったが、彼がこの建物で暮らしているのは、先だってこの商会から『神薬』に関する情報が漏れるという事件があったからだ。
商会から冒険者ギルドへの依頼が出され、若いが腕利きであるポルが警備を兼ねてここに住むようになったのだ。
その裏には、長いこと離れ離れになっていたこの親子を一緒に住まわせてやりたいというシローの思惑があったのだが……。
「そういえば、今日はギルドに顔を出すんでしょ?」
「うん、昨日ギルマスから連絡があったからね。
だけど、なにがあったんだろう?
ボクがここの警備を離れなきゃいけないなんて、よっぽどのことだと思うけど」
ポルの頭の上では、獣耳がぺたりと寝ている。
少年は、ギルドからの呼びだしに不安があるらしい。
「しっかりなさい。
あなたは、伝説のパーティ『ポンポコリン』の一人でしょ。
銀ランクの冒険者として、恥ずかしくないようにね」
「う、うん、そうだった。
ボク、頑張るよ!」
垂れていた少年の耳が、頭の上でピョコンと立つ。
「さあ、お行きなさい。
帰ってきたら、あなたの大好物、ライコンの実を冷やしておくから」
「えっ、本当!
楽しみだなー。
じゃあ、できるだけ早く帰ってくるね!」
「ええ、待ってるわ。
くれぐれも気をつけてね」
マアムは張りきって出かける息子を目で追った。
いつの間にか広くなったその背中が頼もしかった。
「あの子が今回の依頼も無事に切りぬけられますように」
神獣に祈る彼女は、十日ほど前に起きた大きな地震が息子の依頼に関係しているなとと思いもしなかった。
◇
ギルドに着いたポルナレフ少年は、両開きの木製扉を元気よく開け、ホールに入っていった。
「みなさん、お早うございます!」
丸テーブルを囲んでいた冒険者たちが、笑顔で言葉を返す。
「お、来たな、ポンポコの若手が」
「ポル君、お早う!」
「ポルく~ん、こっちに来てお姉さんとおしゃべりしよ」
犬人族が多いケーナイギルドだが、ポルナレフ少年は狸人ながら、男性女性問わず先輩冒険者からの受けがよい。
「ポン太、もっと早く来なさいよ。
いっぱい待っちゃったじゃないの!」
ポルに声を掛けてきたのは、冒険者たちが作る輪の中心にいた猫人族の少女ミミだ。
彼女は少年の幼馴染であり、パーティ仲間でもある。
「ええと、言われた時間には間にあってると思うんだけど……」
「こんなときは、レディの家に寄ってエスコートするのが普通でしょ!
男の子なら、そのくらい気をつかいなさいよ!」
「あー、はいはい、レディね。
次からはそうするかもね」
ミミの理不尽はいつものことだから、ポルも慣れたものだ。
「お、ミミとポル、二人ともそろったな。
ちょっと俺の部屋まで来てくれ」
二人に声を掛けたのは、ギルド奥から出てきた大柄な犬人だった。
「ギルマス、お早うございます」
「アンデさん、おはよー!」
挨拶されたアンデが黙って通路の奥へ入ったのを見て、ミミとポルは顔を見合わせた。
(どうやら、なにか起こったらしい)
(アンデさんが、あんなに余裕がないなんて珍しいわね。今回の依頼、一筋縄ではいかないかもね)
獣人の少年少女は、そんなことを思いながら、アンデの後を追った。
◇
ミミとポルは二人掛けのソファーに座り、こちらもソファーに座ったギルマスのアンデと向きあっていた。
ベテラン冒険者でもあるアンデの顔には、隠しきれない緊張があった。
「二人とも、十日ほど前に地震があったのは覚えてるな?」
「はい、あれは変な地震でしたよね。
今まで経験したことがない、嫌な揺れでした」
「私、お昼寝してて、気づかなかったんだよねー」
「ミミはともかくとして、ポルは気づいたようだな。
あの地震だが、地面が揺れたんじゃないらしい」
「え?
地面じゃないなら、なにが揺れたの?
ミミちゃん、意味わかんない」
「ミミ、ギルマスに対して失礼だよ!」
傍若無人なミミの発言に、さすがにポルが突っこんだが、アンデはそんなことなど気にしていなかった。
「あの地震だが、空間そのものが揺れたらしい。
ギルド本部は、あれを『時空震』と名づけたそうだ」
「空間そのものが揺れた?
ジクウシン?
またまたー、冗談かなんかでしょ?」
きょとんとした顔でそんなことを言うミミを無視して、アンデが続ける。
「そいつが原因か知らないが、ポータル世界群のあちこちで問題が起こっているらしい」
「ボクらへの依頼は、その問題を調べることですね?」
「察しがいいな、その通りだ、ポル。
ただ、問題は、なにが起こってるか、はっきりしたことが分からねえことなんだ。
どうも、ギルド本部がかなり混乱してるようでな。
だから、くれぐれも慎重に対処してくれ」
「慎重にって言われても、なにが起こってるのかはっきししてないと調べようがないじゃない?」
呆れ顔のミミがそんなことを言った。
「二人とも、ホリートリィは知ってるな?
あの街の近くでゴブリンやオークが見つかってるんだ」
「えっ!
異変が起こってるのって、ホリートリィなんですか!?
ゴブリンやオークが現れるなんて、ダンジョンでもできたんでしょうか?」
街の名前を聞いてポルナレフ少年が驚いたのは、その場所が狸人族に関わりの深い場所で、彼自身その地の復興に深く関わったことがあるからだ。
「それも分かっておらん。
とりあえず、パンゲア世界からお客さんが来るそうだから、その人と一緒に調べてくれ」
「パンゲア世界から?
シローさんやリーヴァスさんが来るんですか?」
ポルが思わず身を乗りだす。
「それも知らされてねえんだ。
俺のカンだが、この件はなんかやべえ感じがするんだよ。
二人とも、絶対に無理すんじゃねえぞ」
「パンゲア世界から人が来るのはいつになりますか?」
「そうだな、今日明日には来るはずなんだが――」
「ギルマス、お客様です」
受付を担当している犬人女性が、ノックとともに部屋の扉を開ける。
彼女の後ろから現れたのは、ふわふわの白い魔獣を抱えた、小柄な狐人の娘だった。
「「コルナさん!」」
コルナとは親しい、ミミとポルが駆けよる。
「ミミ、ポル、久しぶり。
アンデ殿、虎人族の一件以来じゃな」
この世界の政府に当たる、獣人会議の元議長であるコルナは、ミミとポルには友人としての顔、アンデには威厳ある態度を見せた。
「そうか、コルナ殿なら頼りになる。
どうか、ミミとポルを助けていただきたい」
「了解した。
今回は、この子も頼りにしてくれるといい」
コルナが胸の白ふわ魔獣を撫でると、それは甘えた声で鳴いた。
「きゅきゅ~」
こうなると、ミミが黙っていない。
「うわあ、キューちゃんってやっぱり最高ー!」
猫人少女は、コルナに抱かれたキューに顔を近づける。
「きゅっ!?
ふしゃーっ!」
ミミに驚かされたキューが小さな口を開き、かわいい牙を見せた。
ぼんっ!
そんな音がすると、部屋が白一色で埋めつくされる。
「むぐっ、ふぁ、ふぁんら?」
白い毛に埋もれたアンデが、悲鳴らしきものを上げるが声になっていない。
「むふう、むわむわ~」
一方、ミミはといえば彼女のせいでこんなことになったにもかかわらず、白い毛に埋もれることに快感を覚えているようだ。
ぽふっ!
しばらくすると、キューが落ちついたのだろう。部屋を満たしていた白い毛が、一瞬で幻のように消えてしまった。こんな時、以前は白い毛が残っていたが、そうなっていないのは、キューが『幻獣』となったからかもしれない。
「はあはあはあ、息が、息が詰まるかと思った……」
ポルはむさぼるように息を吸うと、木ばりの床に座りこんでしまった。
「あー、ふわふわもふもふ、最高!
気持ちよかった~、痛っ!」
自分がひき起したことを全く反省している様子がないミミは、コルナから拳骨をもらうことになった。
「おい、ポンポコさんよ、お前ら今度の指名依頼ホントに大丈夫か?」
ギルマスのアンデは、呆れかえってしまった。
「は、はい、依頼の方は、責任をもって対処します」
顔を赤く染めたポルが、言い訳っぽく言葉を返す。
「アンデ殿のご心配はもっともじゃが、わらわも働くゆえ安心なされ」
なんとかコルナがとりなしたが、醜態の後では今一つ説得力がない。
「今回の依頼は、俺の勘がうるさいほど警鐘を鳴らしてる。
くれぐれも気をつけてくれよ」
アンデはそう言いながら、ポル少年の頭を優しく撫でた。
彼らの調査結果によっては、死ぬほど忙しいことになりそうだな。ギルマスは、三人が部屋から出ていくのを見送りながら、そんなことを考えていた、
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