第50話 昇天の儀(1)


 今年の『天女』に選ばれたのは、モスナート帝国北部出身の少女メテリアだった。

 母親を早く亡くした彼女は、父親と二人だけで帝都にやってきた。

 

「母さんが生きていたらなあ!

 お前の晴れ姿を見せてやれるのに!」


 小さな金物屋を営んでいる男は、娘が『天女』に選ばれてすぐ仕事をたたんだ。

 支度金は国から十分以上に渡されているし、足りなければ申告すればすぐに追加分を出してもらえるとのことだ。

 

「父さん、何度も同じこと言って。

 それより、もうすぐ儀式だと思うけど。

 どんな儀式かしら?」


「きっと素晴らしいものだよ」


「天の上では、母様に会えるかしら?」


「きっと会える。

 あの母様が天上の国にいないわけがないからね、メテリア」

   

「ああ、早く母さんに会いたいなあ!」


「父さんもだよ!」


 幼い頃から『天女』の素晴らしさを繰りかえし聞いてきた二人に、儀式に対する不安などなかった。

 これから自分たちが訪れる、天上の国での素晴らしい生活が待ちどおしかった。

 

 巷では『天女』についての悪い噂が広まりはじめていたが、『天女祭り』が終わってから、『北の塔』の一室で贅沢な暮らしをしている二人には、街の声など聞こえてこなかった。

 彼らの世話をする侍女たちでさえ、『北の塔』にある小部屋で隔離されたように生活している。こと『天女』のこととなると、この国では徹底した情報管理がおこなわれていた。


 ◇


 だから『天女』に仕える侍女が、その話を耳にしたのは、ほんの偶然からだった。

『北の塔』二階にある居室から階下に降りようしたとき、螺旋階段の壁面に反射した誰かの声が聞こえてきた。


「おい、そりゃ本当か!?」


「ああ、まちげえねえ!

 なんでも、『天女』を玉にして、それを皇帝陛下が飲んじまうって噂だ」


「おいおい、とんでもねえな、そりゃ!

 だが、気をつけた方がいいぜ。

 そんなこと誰かに聞かれた日にゃ、命はねえからな」


「ああ、あいつらみたいな目にはあいたくねえからな」


 どうやら、話しているのは、塔へ荷物を運び入れる男たちのようだ。

 螺旋階段の途中、壁に貼りつくように立つ侍女は、黒いローブをまとった二人の男が、塔から出ていくのを見た。


 居たたまれない気持ちになった侍女は、二階の廊下へ戻り、ある小部屋の扉をノックした。

 薄く開いた扉から、先輩の侍女が、うかがうようにこちらを見ている。


「なんだい、あんたかい」


「ちょっと入っていいですか?」


「本当はいけないのは知っているだろう?

 だけど、なにがあったんだい?

 まっ青だよ、あんた。

 しょうがない、少しだけだよ」


 飾り気がない小部屋に入った侍女は、後ろで扉を閉めカギを掛けると、部屋の主である初老の女に話しかけた。


「変な噂があるって知ってますか?」


「なんだい、噂って?

 だいたい、ここにいりゃあ、そんなもの意味ないだろう?」


「たった今、小耳にはさんだのですが、皇帝陛下が『天女』を飲んでしまうって、そんなバカげた噂が流行ってるらしいですよ」


「あんた、それ、誰から聞いたんだい?」


「馬鹿らしいでしょ?

 なにが『天女』を飲むですか!

 人が飲めるわけないじゃないですか!」


「そうか。

 あんたは、まだ『儀式の間』へ入る資格がなかったねえ……」


「えっ?

 どうして、怒らないんですか!

 陛下と『天女』が馬鹿にされてるんですよ!」


「しかし、陛下はそのことをご存じなんだろうかねえ……」


 若い方の侍女は、自分の言うことにちっとも耳を傾けてくれない先輩にしびれを切らしたのだろう。

 声をひそめるのをやめ、かなり大きな声で詰めよった。


「どうして怒らないんです!?」


「宰相様の耳にいれておかなくちゃあね」


 それでも話を聴かず何か考えこむような先輩侍女を見て、彼女はあることに思いいたった。


「まさか……まさか、噂は本当なんですか!?」


 次第に大きくなる声を聞き、初老の侍女はため息をついた。 

 

「ふう、しょうがないねえ。

 あんたにはまだ早いんだけど、『昇天の儀』について話しておくかね」


 ◇


 メテリアは、天女のために特別にあつらえられた、豪華な天蓋つきベッドで目を覚ました。


「ふぁ~、なんか、お日様が見られないと朝が来た気がしないなあ」


 この部屋には窓がないため、灯りは全て魔道具だ。広い部屋には、それが五つも置かれている。庶民からすると、考えられないほどの贅沢だ。

 少女は、ベッド脇の小机に置かれた青い水晶に触れた。それで合図が侍女に伝わるのだ。 

 それほど待たずに部屋の扉が開くと、いつもの侍女がお盆に水差しを載せ入ってきた。


「アン、どうしたの?」


 侍女は、目の下にはっきりした隈ができており、どう見ても病人の顔色だった。


「調子悪そうね。

 少し休んだら?」


 少女が優しく声を掛ける。

 それを聞いた侍女の体が、ビクンと震えた。


「……メテリア様」


「ねえ、ここに座って少し休んだらいいわ」


 ベッドがら降りた少女が、部屋に備えつけの丸テーブルを指さす。そこに置かれた二脚ある椅子のうち片方に彼女自身が座った。

 足元の定まらない侍女が、やっとのことでもう一方の椅子へ腰を落とす。

 

「無理しちゃダメだよ」


 生来の天真爛漫さでメテリアが微笑みかけると、侍女はテーブルにうつ伏せてしまった。


「どうしたの?

 大丈夫?」


「メテリア様!

 ここからお逃げください!」


「ちょ、ちょっと、急にどうしたの、アン?」


「ここにいると、殺されてしまいます!」


「殺される!?

 どういうこと?

 ちゃんと話して!」


 侍女は罪の意識に耐えきれず、自分が知った『昇天の儀』に関する秘密を、少女にうち明けるのだった。 

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