第39話 暴食スライム
舞子を獣人世界へさらった男ゴモラは、かなり広い洞窟の中央で、足元にある穴をのぞいていた。
穴は差しわたし二メートルほどで、そこへ木の棒が一本渡してある。
棒の中央辺りからはヒモがぶら下がっており、それが穴の底へと伸びていた。
中を見下ろしても穴の中は暗く、底の方までは見えなかった。ただ、棒から伸びたヒモの先には、移動式ポータル『鳥の巣』がぶらさげられており、聖女を追って誰かがポータルから出てくれば、穴の底へ転移するよう用意されていた。
「ふふふ、早く追ってこい」
そう言いながら、ゴモラは持っていた袋から肉片を取りだし、それを穴に投げこんだ。
グチュ
グチュ
グチュ
闇の中からそんな音がしたが、やがて静かになった。
この穴の底には、希少種のスライムが放たれている。
一匹の大きさは大人の頭くらいだが、無数のそれは穴の底を埋めつくすほどだ。
その名も『暴食』スライム。金属までも喰らいつくす悪食のスライムだ。
このスライムは近接攻撃が利きにくいうえ、なんとほとんどの属性魔術に耐性がある。
たとえアリスト国が軍隊を送りこもうが、このスライムのエサと消えるだろう。
テイマーとして高レベルのゴモラだからこそ扱えるスライムだった。
「む、獲物がかかったな!」
誰かがポータルから出てきたようだ。
この罠からは、なに者も逃れられない。
暴食スライムが伝えてきたのは、彼らが獲物を知覚したときの強い食欲だった。
ゴモラは自分を起点にして一定の距離までなら、使役する魔獣と単純な感情のやりとりができるのだ。
「はははは、喰いつくせ!
骨も残すな!」
ゴモラが興奮した声を上げた。
「ん?」
スライムからの反応が、思わぬ変化を見せた。伝わってくるのは食欲が満たされた歓喜の感情でなく、戸惑いの感情だった。
「どういうことだ!?」
思わず足元に置いてあった灯りの魔道具を手にし、穴の底を照らす。
ぬ? ゴーレムか? いや、ただの人間だ。あの茶色いのは、頭に巻いた布のようだ。
その人物の肩には小さな白い魔獣が乗っている。それは魔獣に詳しい彼さえ知らない種類の生き物だった。
その魔獣が、小さな前足の片方を持ちあげる。
それに反応するように、スライムたちが裏返しになった。それは降参の仕草だった。
なんだこれは!?
なぜ、スライムたちは、あの男に襲いかからない?
それにやつらから伝わってくるこの感覚は……恐れ?
「ば、馬鹿なっ!
私がテイムした『暴食スライム』が、恐れなど抱くはずがない!
どうした!
早くそいつを食べないか!」
穴の底にいる人物がこちらを見上げる。そこには、のんびりした表情があった。
「あー、この子たち、もうあんたの奴隷じゃないって言ってるよ。
こんな暗くて狭い所に閉じ込められて嫌だったけど、ご飯をくれるから言うこと聞いてただけなんだって」
「き、きさま!
まさか、お前もテイマーか!?」
「いや、俺はしがない魔術師だけど?」
「うるさい!
そんなことなぞ、どうでもよいわ!
お前たち、そいつを喰らえ!」
スライムたちは、あいかわらず裏返ったまま動かない。
「このスライムたち、自分より上位の存在に出会って、その下につくことにしたようだよ」
「そ、そんな馬鹿なっ!
そんなものがどこにいる?」
それを聞いた青年は、肩の小さな魔獣に話しかけた。
「ブランちゃん」
白い魔獣が溶けるように形を崩すと、不定形の青いスライムが現れた。
「ば、馬鹿なっ!
スライムが擬態などするはずない!」
ゴモラは魔獣に詳しいからこそ、その目で見ていることが信じられなかった。
青年の肩に乗っている青いスライムが、ぽよんと弾むと、再び白い魔獣の姿となった。
「みゃう」
その魔獣が一鳴きすると、暴食スライムたちが、穴底の中央に集まりだし円錐形の塔を作った。
ポータルが浮かぶ「額縁」を手にした青年が、暴食スライムが形づくった塔に足を掛け、そこを登りはじめる。
スライムは階段のような段差をなしており、彼はやすやすとそれを登りきり、最後に大きく跳びあがると、部屋の床へふわりと着地した。
「ひ、ひいいっ!」
ゴラムが腰を抜かしたのは、危険な暴食スライムたちが、青年の後を追い次々と床へ上がってきたからだ。
そんな彼の身体を暴食スライムが覆いつくす。
「……。。。」
男は声もなく意識を失った。
「ブランちゃん、この人、服しか食べられてないのに、なぜか気を失っちゃったね」
青年が、白い魔獣の頭を撫でる。
「みい」
その鳴き声は、まるで青年の問いかけに答えているかのようだった。
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