第31話 唄の島


 周囲が闇に包まれ、そしてエレベーターが降下するような感覚で、舞子は自分がポータルに落ちたと気づいた。

 

 どういうことなの?

 さっきまで聖堂にいたのに、なぜこんなことに?


 考えられるのは、ランダムポータルが聖堂に開いた可能性だが、それはありそうもないことだった。

 もしかすると、絵を持っていた男と関係があるのかもしれない。

 舞子が現れた場所は、灯りもなくまっ暗だったからだ。どこからか、波の音がする。かすかに動く湿っぽい空気は潮の香りがした。


 コツコツという足音が近づいてくると、急に周囲が明るくなった。現れたのは、聖堂で女官と絵を引っぱりあっていた農夫だった。手には灯りの魔道具を手にしている。それに照らされた周囲は岩肌がむき出しの洞窟で、片側には鉄格子がはまっていた。

 鉄格子の向こうには通路をはさんで別の鉄格子があるから、ここは牢のような場所なのだろう。

 鉄格子の反対側、高いところに小さな開口部があり、そこから波の音が聞こえている。潮の香はそこから漂ってくるようだ。そこから光が入ってこないのは、外が夜だからかもしれない。


 男は脚元にころがっていた緑色の額縁を手にする。そこには絵ではなく、黒く渦巻くポータルがあった。


「ここはどこです?

 あなたは誰ですか?」


 舞子の問いに男は答えず、ポータルの額縁に懐から出した布を掛けると、それを抱えあげ、牢から出ていった。

 男が牢を出る時、なにか呪文を唱えると、鉄格子が一瞬鈍く光った。


『史郎君、聞こえる?』


 舞子は念話を試みたが、返事はなかった。


『点ちゃん、そこにいますか?』


 それに対しても、答えがない。

 孤独感に襲われる。

 かつて「コウモリ男」によってポータルへ落とされたことがあったが、そのときより今の方が心細かった。

 その後も、シローと点ちゃんに何度も呼び掛けたが、一向に返事はなかった。

 舞子は、点魔法の『・』が異世界へ転移するとき力を失うと知らなかった。


 ◇


「本当に聖女を捕まえたべか?」


 舞子は背中をごつごつした岩壁で支え、うつらうつらしていたが、誰かの声が聞こえて目を覚ました。

 不自然な姿勢でいたから、体が強ばっている。

 

「おお!

 これが聖女か!」


 鉄格子の向こうに二つの人影が現れる。

 その一人が手にした灯りの魔道具で、鉄格子越しに牢内を照らしていた。

 

「どうだ?

 確認はもういいだろう。

 さっさと持ち場へ戻れ」


「いや、戻らねえ!

 もし、本物の聖女なら病気が治せるはずだ!

 おっ母の病気が治るかもしんねえ」


「ふざけるな!

 どうしても聖女の確認がしたいと言ったから、こうして見せてやった。

 キサマ、そんなつまらないことが目的だったのか!」


 腹を立てているのは、舞子をポータルに落とした男だった。仏頂面をした男は、服装を冒険者風のものへと改めていた。

 その横に立つ大柄な男は、羽根が三本立った帽子をかぶっており、背中には大きな荷物を背負っていた。


「おっ母の具合がよくねえんだ!

 聖女に診てもらってもいいだろう?」


「馬鹿を言うな!

 こっちは遊びじゃないんだ!

 このことは、お前らの王に報告するぞ!」


「ああ、かまわねえ!

 人族は冷たいって聞いてたが、やっぱり本当だな!」


「冷たくてけっこう。

 今すぐここから出ていってもらおう」


「ここは、『唄の島』だぞ!

 いつまでも、好き勝手できると思うなよ!」


 吐き捨てるように言った大柄な男が、牢の前から立ちさる。

 そのとき、その男が頭に載せていたのが、帽子ではなく彼自身の頭から生えた羽根であると分かった。荷物だと思っていたのは、背中から生えた翼だった。

 鼻と口はつながっており、その先がクチバシのようにとがっていた。


 さっき男が口にした『唄の島』という言葉、そして、鳥の獣人。

 舞子は、ここが獣人世界グレイルに存在すると聞いていた、大陸のどこかだと気づいた。

 彼女の屋敷があるケーナイの街は、この世界の『時の島』という大陸にある。記憶が正しければ、『唄の島』は、海を隔てその東方に位置する、比較的小さな大陸だったはずだ。

 

 ここが獣人世界だと知って、舞子の気持ちは少し落ちついた。

 獣人たちの中には友人も多い。

 もしかすると、彼らが助けにきてくれるかもしれない。 


 ◇


 牢の高いところにある換気口から入る光で、夜が明けかけていると気づいた。

 朝方の冷えこみが、粗末な敷物を通し身体まで昇ってくる。


 再び念話で史郎に話しかけた舞子は、昨夜差しいれられたが口を着けなかった食事に手を伸ばした。

 茶色い塊を手にとり、一口かじってみる。それは、沖縄のお菓子サーターアンダーギーから甘みを抜いたような味だった。

 あいにく飲み物はなく、冷え切ったスープだけだったので、口の中がぱさついている。


「聖女様、聖女様、聞こえねえか?」


 小さな声は、明かり取りの穴から聞こえているようだ。

 どこか聞き覚えがある、男の声だった。


「そこにいるのは、どなたですか?」


 姿はみえないけれど、きっといるであろう牢番に聞こえないよう、舞子は声をひそめてそう尋ねた。

 

「昨日、牢の前まで行ったもんだ。

 聞いてほしいおねげえがある」


「なんですか?」


「ウチのおっ母が、薬で治らねえ病気になっちまった。

 治療してもらえねえか?」


「はい、それは構いませんが、私はここから動けませんよ」


「……そっちは、こちらでなんとかするべ。

 もし牢から出られたら、おっ母を治してもらえるか?」


「絶対に治せると約束はできません。

 でも、診てあげましょう」


「あ、ありがてえ!

 じゃあ、見つかっちゃなんねえから、また後でな」


 羽ばたきの音がすると、それきり男の声は聞こえなくなった。

 きっと昨日牢を覗いていた、鳥の獣人だろう。

 舞子は、その時を待つことにした。

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