第48話 異世界科生徒の日曜日(下)


 異世界で『賢者の卵』に覚醒した白神は、日曜日になると、郊外にある『地球の家』を訪れている。

 この家の玄関扉には、ノブがついていない。最近、家主のシローが外したのだ。

 来訪者は、扉を押しあけて中へ入るようになっている。

 ただ、それができるのは、特定の人物だけだ。


 白神が玄関扉を押すと、それは音もなく内側へ開いた。

 彼女は、ためらいなく家の奥へと入っていく。

 中庭をぐるりと囲む回廊を抜けると、全面が透明な素材でできている引き戸を開け、中庭へと出る。

 

 小さな公園ほどの広さがある中庭には、一面に丈の短い「芝」が生えているが、その中央には虹色に輝く不思議な木が立っている。

 これは『光る木』という『ドラゴニア世界』原産の珍しい植物だが、この個体に関しては、その上、『神樹』でもあった。

 そして、『賢者の卵』には、『神樹』を通し『賢者』と話せるスキルがある。それも、次元の壁を超えて。

 

 帰還後、シローの許しを得て、白神は毎日ここへ来ている。

 猫賢者から学ぶためだ。

 異世界修学旅行の報告会で彼女が使った魔術も、そうやって賢者から習ったものだ。

 

「神樹様、こんにちは。

 今日も、よろしくお願いします」


 刻々と彩りを変える神樹の根元に片膝をつき、神樹に話しかける。まだ、賢者の『卵』でしかない彼女には、神樹からの言葉を受けとることはできないが、自分の言葉が届いていると信じて、ここに来るたび、こういう挨拶を続けていた。


『リンコ、よく来た。ニャ』


 頭の中で猫賢者の声がする。

 どうやら念話が繋がったようだ。

 

『よろしくお願いします、先生』


『今日は、引きつづき魔術の仕組みについて学ぶ。ニャ』


『はい! 楽しみです』


 神樹を介し、二人はかなり長い間、念話のやりとりをしていた。

 周りが暗くなってきたころ、やっと今日の「授業」が終わった。


『今日はここまで。ニャ』

 

『先生、ありがとうございました』


『よいよい。

 それより、地球世界の食べ物について教えて欲しい。ニャ』


 グルメ研究家でもある猫賢者は、「授業」の後、決まってこのお願いをする。

 

『そ、そうですね。

 じゃあ、今日はお豆腐について話しましょうか』


『オトウフ?

 どんな字をかくのか。ニャ?』


『私たちの文字で、豆が腐るって書くんです』


『腐ってる。ニャ?

 臭いのか。ニヤ?』


『いえ、臭くありません。

 美味しいですよ』


『不思議。ニャ?

 もっと、オトウフのこと教える。ニャニャニャ!』


 興奮すると、「ニャ」の数が増える、お茶目な賢者だった。


 ◇


 白神の親友である小柄な少女、三宅萌子は、正装した周囲の人々を見て、緊張を隠せなかった。

 着慣れないドレスに身を包んでいることで、よけい落ちつかない気持ちになる。

 ここはイギリスのロンドン。彼女が座っているのは、伝統あるオークション会場の客席だ。

 前方には小さなスクリーンもあり、映画館のような座席配置だが、スクリーンの手前には演台が置かれていた。

 

「ははは、今から緊張してると疲れるよ。

 どうせ君の作品は一番最後だろうから」

 

 彼女の隣に座る青年は、珍しくタキシードを着ている。頭には茶色い布を巻いており、なぜか、時々、肩の上で宙を撫でるような仕草をしている。しかし、そこには何もなかった。

 青年の横には、『異世界通信社』の三人が、やはり正装して座っている。彼らは取材が目的だ。

 

「リーダー、連れてきてくれてありがとう」


 青年の隣に座る、白いドレスの女性は、場の雰囲気にのまれることなく落ちついていた。

 彼女がお礼を言ったのは、彼女たちをここまで一瞬で連れてきたのが青年だからだ。


「柳井社長、このオークションは、きっと話題になりますよ。

 三宅さんの作品が出るのは、ぎりぎりまで秘密にしてもらいましたからね」


 そう言いながら青年がウインクすると、女性の頬がバラ色に染まった。

 やがて上品な初老の男性が演台に立ち、オークションの開始を告げた。


 オークションは、順調にスケジュールをこなしているようだった。

 美術が大好きな三宅は、有名画家の作品が競られるたび、小さな身を乗りだしてそれに見入っている。

 出品は台の上に載せられ、客席から見ると右前の一角で披露されているが、スクリーンには、細部の拡大映像が映されていた。


「次が本日最後の品となります。

 異世界で特別な能力に目覚めた少女が描いた作品となります。

 題は『黒猫ノワール』です。

 本作品に関しては、諸事情により、直前まで出品の詳細を明かしておりませんでした。

 そして、これには、すでにお知らせしたような秘密がございます。

 異世界に関する物流を一手に扱う『ポンポコ商会』の推薦状がついたこの作品、最低価格は五万ポンドから」


 英語がそれほど得意ではない三宅は、司会者の話していることがよく聞きとれていないようだ。

 自分の絵に、始めから日本円で七百万円ほどの値段がついたと知れば、驚いたに違いない。


 絵の値段は、うなぎのぼりに上がり、あっという間に五百万ポンドを越えた。

 最後は、二人の代理人が競っていたが、最終的に七百五十万ポンドで落札された。

 日本円で十億円以上の値段だ。

 処女作でこの値段は驚くべきことだ。


「後藤、遠藤! 

 さっそく記事に取りかかって、私は三宅さんにインタビューするから!」


 柳井社長の声で、男性二人がさっと立ちあがると、まだ興奮冷めやらぬ会場から足早に出ていく。

 頭に茶色い布を巻いた青年が、三宅をエスコートして演台に歩みよった。

 司会の男性が、青年と握手する。


「皆さま、帰還者であるシローさん、そして、この絵を描かれたミズ・ミヤケです」


 会場は、鎮まりかえって二人に注目している。この後、何があるのか、あらかじめ知らされているからだ。

 青年が指を鳴らすと、レモン色のドレスを着た少女の手に小型魔法杖ワンドが現われる。

 彼女は、自分の絵にワンドの先で軽く触れた。

 黒い毛の光沢まで鮮やかに描写されていたキャンバス上の黒猫が、滑らかに動きだす。

 この絵は少女がアリスト滞在中に描いた一枚だ。


 黒猫の愛らしい動きを、会場は固唾をのんで見守っている。

 キャンバス右端に消えた黒猫が左端から現れた時には、拍手が起こった。

 元の位置で黒猫がピタリと静止する。

 少女はぴょこんと頭を下げた。

 拍手喝采が湧きおこる。


 落札した代理人である中年の白人女性が二人に歩みよった。

 最初少女に話しかけた女性は、言葉が通じないとみると、青年と一言二言交わし、席へ戻っていった。


 ◇


 オークションの主催団体が用意してくれた控室に入ると、少女が青年に話しかけた。


「シローさん、私の絵、いくらくらいで売れたんですか?」


「これくらいだね」


 シローが両手をパーの形に広げる。


「えっ!?

 十万円!?」


 シローが首を横に振り、人差し指を上に向けた。


「まさか、百万円!?」


「約十億円だね。

 半分はウチがもらうけど」


「じゅ、十億……」


 ふらつき、倒れかけた少女をシローが支える。


「さあ、ここに座って」


 上品な猫脚のソファーに座った三宅に、シローが話しかける。


「代理人によると、買ったのはアラブの石油王らしいんだ。

 君、彼の王宮に招待されてるけど、どうする?」


「え、ええ?

 よく分かりません」


 値段の事で頭がまっ白になっている少女は、言葉の意味さえよく分かっていないようだ。


「王様が君に来て欲しいんだって?」


「ええっ!?

 なぜです?」


「うーん、推測でいいなら話せるけど、それでいい?」


「は、はい」


「あの絵って、君がいないと動かないでしょ?」


「地球の人たちは、魔術が使えないから、動かないかもしれません」


「だから、君をずっと王宮に留めたいんじゃないかな?」


「ええと、よく意味が分かりません」


「うーん、はっきり言っちゃおうか。

 三宅さんを奥さんの一人にしたいんじゃないかな?」


「ええっ!?

 でも、私まだ高校生……」


「まあ、推測にすぎないけどね。

 だから、その気がないなら、誘われても行っちゃダメだよ」


「わ、わかりました!」


 シローが指を鳴らすと、透明化の魔術で姿を消していた白猫が、彼の肩に姿を現した。


「あっ、ブランちゃん!」


 三宅がさっと走りより、白猫を撫ではじめる。

 

「あのう、抱いてもいいですか?」


 シローは、少女が白猫を抱きやすいよう、少し身をかがめた。

 

「わー、もふもふー!」


 胸に抱いた白猫を撫でている少女は、くつろいだ表情になっている。

 今の彼女には、それが必要だろう。

 

『( ̄▽ ̄) しかし、落札額の半分が『ポンポコ商会』へ行くのはどうかと思いますよ』

 

『いや、三宅さん、そんなにお金必要ないでしょ』


『( ̄▽ ̄) なんか黒いですねえ』


『いや、これから、ちょっと物入りになりそうだから』


『(?ω?) あんなに儲けてるのに!?』


『まあ、そのへんは適当に』


『(; ・`д・´)つ 他人のお金を適当って言うなーっ!』


『いや、五億円は、もう俺の金だけど』


『(@ ω @) まっ黒だ! ご主人様がまっ黒ー!』


「ブランちゃんは、分かってくれるよね?」


「しゃーっ!」(おバカーっ!)


 三宅が抱いたブランに同情を求めた青年だが、どうやら愛猫から見捨てられたようだ。


「やれやれ」


『(; ・`д・´)つ お前がやれやれだー!』

「ふーっ!」(そのとーり!)


 浮かない表情を浮かべているシローの顔が笑いのツボに入ったらしく、それからしばらく、少女の笑い声が止まなかった。

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