第8話 ある家族の夕食


 その日、白神家では、八畳の座敷で四人が座卓を囲んでいた。

 木造二階建てのこの家は、築八十年を超える。


「久々だなあ、この部屋も」


 手にした箸をカチカチいわせているのは、白神家の長男達夫たつおだ。

 ここのところ彼が仕事で海外を飛びまわっていたこともあり、こうして食卓に家族が揃うのは久しぶりなのだ。


「達夫、その癖、何度言ったら直すんだい!」


 普段は優しい母親町子まちこの丸顔が、箸を鳴らす息子の手を指さし鬼のようになる。


「ご、ごめん、母ちゃん」


「まったくダメ兄貴よね。

 よくシロー様が相手にしてくれてるわ」


 妹の倫子りんこが、兄に冷たい視線を送る。


「おい、なんだその呼び方は?

 なんで俺が『ダメ兄貴』で、坊野ボーが『シロー様』なんだよ!」


「達夫、お前、自分の力で稼いでると思ってないか?」


 寡黙な父親浩二こうじが珍しく口を開いた。


「ばっ、馬鹿言うなよ、父ちゃん!

 俺だってそれくらい分かってるよ!」


「ウチが稼げてるのは、『ポンポコ商会』さんのお陰だ。

 それを忘れるんじゃないぞ」


「ああ……」


「達夫、しょげるんじゃないよ。

 この前なんか、父さんがお前の事、見どころがあるって――」


「町子さん、それをこいつに聞かせたらダメだ。

 すぐ調子に乗るから」


 両親のやり取りを聞き、達夫の表情が明るくなる。


「だけど、なんだ?

 この盆と正月がいっぺんに来たような料理は?」


 達夫が言うのも無理はない。座卓の上には、すき焼きとしゃぶしゃぶ両方の鍋に加え、寿司折りまで載っている。


「お祝いに決まってるだろ」


 母親の町子が笑顔で答える。


「お祝いって、何の?」


 急に笑顔になった母親に、引き気味の達夫が尋ねる。


「倫子の修学旅行のお祝いさね」


「なんだそりゃ?

 なんで修学旅行ごときでお祝いするんだ?

 だいたい、俺の時には――」


「お兄ちゃん、食事中なのにうるさい!

 ちょっと静かにして!」


「だけど、倫子、どう考えたっておかしいだろう!?」  


 達夫の意見はもっともだ。


「倫子はね、修学旅行で異世界へ行くのさ」


 母親の町子がなぜか胸を張る。


「へえ、今時、珍しいなあ。

 修学旅行で伊勢か。

 伊勢神宮で大きな行事でも見学するのか?」


「もう、まったく馬鹿だよ、この子は。

 あたしゃ、異世界って言ったろう?」


 町子は、息子の勘違いに呆れ顔だ。

    

「ええと、異世界って、あの異世界?」


「お兄ちゃん、馬鹿っぽーい!」


「なんだと、倫子!」


「達夫、倫子、やめなさい!」


 めったに無い父親の叱責に、息子と娘は静かになる。

 

「倫子、本当なのか、異世界に行くって?」


「お兄ちゃん、しつこいよ。

 行くって言ってるじゃん」


「マジかよ……。

 おい、どこ、どこいくんだ?

 フェアリスの所にも行くのか!?」


「達夫!」


 再び父親に叱られ、シュンとする達夫。


「倫子、どこへ行くか、もう一度、父さんに教えてくれるか?」


「うん、いいよ。

 私が行くのは、『パンゲア』って世界なんだ。

 シロー様が住んでる、『アリスト』って街へ行くの。

 宿泊は、なんとお城だよ!

 女王様は、畑山先輩だよ!

 お兄ちゃん、知ってるでしょ?」


「……ああ、知ってる。

 美人の学級委員長さんだ」


 正直なところ、達夫は融通の利かない同級生の畑山が苦手だった。

 かつて友人をからかっていたとろを長い黒髪の美少女にぴしゃりとたしなめられたことが頭に浮かび、彼は顔をしかめた。


「学級委員長じゃなくて女王様。

 そして、なんと、あのネトプリ翔太様も、そのお城に住んでるんだって!」


「倫子、その『ねっとりプリン』ってなんだい?」


 父親の言葉を聞いた達夫が、口に入れかけたネギを噴きだす。


「お兄ちゃん、汚い!

 お父さん、ネトプリだよ、ネトプリ!

 ネットのプリンスだよ!

 すっごく素敵な上、魔術の達人なんだから!」


「そ、それは、なんだか凄そうだね」


 父親の浩二は、目を白黒させている。


「女王様が達夫の同級生だし、シローさんや、ええと、『騎士』だっけ、あの人たちも一緒なら、心配いらないね」


 鍋をつつきながら、町子がそう言った。


「なんで倫子だけ異世界旅行できるんだよ!

 俺も行きたいよ!」


 達夫は不満げだ。


「お兄ちゃん、わがまま言わないの!

 この前、小西さんと一緒にフランスの一流ホテルに泊ったでしょ!」


「ばっ、馬鹿っ、それは言うなって――」


「達夫。

 倫子が言ってんのは本当かい?

 小西ったら、那奈ちゃんのことだろ?

 あんた、いつの間にそこまでの仲になったんだい?

 あちらのご両親にご挨拶に行かないと――」


「ま、待って!

 待ってよ、母ちゃん!

 それはその内きちんとするから、ちょっとだけ時間をください」


「……やだねえ、母親に土下座する息子があるかい!

 じゃあ、ちょっと待とうかねえ。

 孫の顔が――」


「お母さん、お兄ちゃんがもう泣きそうだよ。

 そろそろ勘弁してあげて」


「ま、ここまでにしとくかね、あははは!」


「母ちゃん、もうー」

 

 食卓は笑いに包まれた。


「そうだ、父ちゃん。

 今日、ボーから新酒が届いたんだ。

 家族で食事するって言ったら、持たされたんだ。

 飲んでみる?」


「おお、フェアリスの新酒か!

 ぜひ飲ませてくれ!」


「新酒の名前は、『フェアリスの友』だって。

 全く新しいタイプの酒らしいよ」


 達夫は、隣の部屋にある冷蔵庫から白い陶器の小瓶を持ってくる。

 封を外しコルクを抜き、用意してあったガラスのおちょこにそれを注ぐ。

 チンとおちょこを合わせ、二人が酒を口に含む。


「お父さんもお兄ちゃんも、どうしちゃったの?」


 倫子がけげんな顔で父親と兄を見る。

 二人は酒を口に含んだまま、微動だにしない。


「ちょっと、あんた、どうしたんだい?

 達夫、あんたも!?」


 町子が驚くのも当然だ。

 浩二と達夫はその目から滝のように涙を流している。

 父親と息子は、泣きながら顔を見合わせ、頷きあっている。


「いったい、なんなんだい、あんたたち……」


 町子が呆れ顔で、そんな二人を見ている。


「この酒……酒屋やってて、良かったなあ」

「父ちゃん……」


 町子と倫子は、狐につままれたような顔で肩をすくめるのだった。

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