異世界通信社編

第1話 恋する乙女


「柳井さん、柳井さん、どうしました?」


 ああ、またやってしまったわ。

 お茶に口をつけたまま、もの思いにふけっていたのね。

 しかたないわ。

 だって、このお茶は、彼との思い出だから。

 

「ご、ごめんなさい。

 後藤、ありがとう」


「いやあ、エルファリアのお茶なんで、れるの緊張しましたよ。

 失敗できませんからね」


「ははは、安心して。

 リーダーがたっぷり置いていってくれてるから」


 私たちは、会社の実質的なオーナーであり、ボスである青年のことを、「リーダー」と呼んでいる。

 そして、その彼こそが、私の中に消えない想いを残していった。


「確か在庫が一トンほどあったはずよ」


「ええっ、一トン!

 リーダーは、相変わらず想像の遥か上をいきますね!」


 にこやかに微笑むこの男性は、三人しかいない社員の一人だ。

 長身で細身、軽く日焼けしたその姿は、モデルと言われても頷けるだろう。

 仕事の方も優秀で、すでにピューリッツァー賞を取っている。

 我が社の主力エースだ。


 そう、我が社は報道を生業としている。

 しかし、数多あまたあるその手の会社とは一味違う。

 私が社長を務めるこの会社が扱うのは、異世界に関する情報なのだ。

 その名を『異世界通信社』という。

 

 ◇


「遠藤、フランス大統領の件、どうなった?」


 お茶で頭がスッキリした私は、社員に声を掛ける。

 三十二歳になったばかりの彼は、まだこの仕事に就いて間もないが、驚くほど真剣に働き、必要な知識をどんどん吸収している。

 彼が昔どんな仕事をしていたか、誰も想像がつかないわね、きっと。 

 

「ええ、やはり断るのは難しそうです。

 外務省と首相官邸からも要請が来ています。

 〇〇〇ホテルのこともありますし、ここは受けざるを得ないのでは?」


 内容の割に、遠藤の言葉は落ちついたものだった。


 一週間前、フランス大統領から私に招待状が届いた。

 普通なら断るのだが、古くからの大国らしく、政府筋にも根回しがしてある。 

 その上、いつでも我が社が使えるように、パリの一流ホテル最上階を無償で提供してくれているという事情もある。

 そんため、招待を断りにくかった。


 の国が、ここまで我が社のために気を遣うのには、それなりの訳がある。

 我々のリーダーこそ、異世界とこの地球世界を繋ぐ唯一の人物であり、各国に対し彼が折衝窓口として指定したのが、ここ『異世界通信社』なのだ。

 この会社が異世界の情報を独占しているのも、それが理由である。


「どうしようかしら。

 彼らがいれば、電話で断りを入れさえすれば済むんだけど」


 ここでいう「彼ら」とは、地球世界から異世界に渡った、リーダーを含む四人の若者だ。


「社長、確か二日後に『ポンポコ商会』のみなさんが、異世界から帰ってくるはずです」


「あ、そうだったわね!

 となると、彼らを送ってリーダーも一緒に来るはずよ。

 後藤、すぐに予定を調整してくれる?」


「分かりました!」


「遠藤、当日はあなたも時間を空けときなさいよ」


「はあ、でも仕事も溜まってますし――」


「社長の私が言うのもなんだけど、あなたは少し働きすぎよ。

 このままだと、リーダーが帰ってきたら、強制的に休暇を取らされるわよ」


「わっ、分かりました!」


 遠藤は律義に、角刈りの頭を下げている。


「しかし、ヒロ、いや、加藤はどうしちゃったのよ。

 リーダーに頼んで、早めに帰してもらうって言ってたのに、梨のツブテね。

 新入社員がなにやってんのよ、全く。

 帰ってきたら、じっくりお灸すえてやらなきゃ」


 我が社の三人目の社員、加藤博子は昔からの知人でもあるのだが、前回リーダーが帰郷した際、彼について異世界へ行き、それ以来、彼女は半年近くたった今でも帰ってこない。

 このままなら、新しく社員を雇わなければならないわね。


 問題は、ウチの特殊事情から、身元のはっきりしない人物は雇えないということだ。

 いや、身元がはっきりしていても、十分な信頼が置けなければ採用できない。

 新入社員の加藤は、リーダーの親友である青年の姉である。この青年もリーダーと同様、異世界に行っている。

 加藤は、リーダーの事も、幼いころから知っているそうだ。


 私は、胸の奥にチクりとする痛みを覚えたが、それを無視しようとした。リーダーは、私より十歳は年下なのだ。それに彼には異世界で共に暮らす、三人の美しい女性がいる。

 胸の痛みが耐えられないほどになり、私は席を立った。


「ちょっと外の風を吸ってくるわ」


「私もお供しますよ」


 後藤は、いつでも気が利くわね。でも、この場合、それは有難迷惑。


「ちょっと一人で考えたいこともあるから。

 ごめん、でもありがとう」


「分かりました。

 何かあれば飛んでいきますから」


 後藤は手に持つスマホを振った。

 

「ええ、そのときはお願い」


 ◇ 


 階段を上がり、カフェのパントリーに出る。

 会社は、このカフェの地下にあることになる。

 通常はお客で一杯のお店は、あるじが旅行中のため臨時休業でガランとしていた。

 趣味の良い落ちついた店内は、静かに主の帰りを待っているようだった。


 サーバーからワイングラスに生ビールを注ぎ、よくリーダーが座っていた、カウンター前、入り口から一番奥のストールに腰掛けた。

 ウチの社員は、カフェで自由に飲食できるよう、店長から許可を取ってある。勤務時間が長く、休みが取れない私たちにとって、これはとても有難い。


 最初の一杯を一気に飲みほすと、空のグラスをカウンターに置き、最初にリーダーと会った時の事を思いだしていた。



 青春時代を懸け打ちこんでいた仕事を失った絶望から、職場のビルから飛びおり死のうとした私を助けた彼は、天上の美味ともいえるお茶とお菓子を用意しれくれた。


「ありえないくらい美味しいわね」


 そう言った私の言葉を聞き、笑った彼の顔と声は私を包みこみ、絶望の淵から救いだしてくれた。

 その時の事を思いだすと、今でも身体が熱くなる。

 


 ボーンボーン


 低い音で鳴るクラッシックな壁時計が、思いのほか時間が過ぎたことを知らせてくれる。


「あっ、社長!

 ここでしたか」


 遠藤の声で追憶の世界から戻ってきた私は、後ろを振りかえった。

 そこには、呆れ顔の遠藤と、心配そうな後藤の顔があった。

 後藤は胸ポケットからハンカチを取りだすと、それをこちらに差しだす。


 それで気がついたが、私の頬は涙で濡れていた。

 渡されたハンカチを、慌てて顔に当てる。


「社長いったい――」


 遠藤の声は、後藤の声に打ちけされた。


「ちょうど食事にしようと思ってたんですよ。

 社長、俺の最終兵器であっと言わせちゃいますよ!」


 威勢のいいその言葉に隠された優しさが、有難かった。


「最終兵器って何?」


「できてからのお楽しみです。

 ささ、遠藤君も座って座って!」


 後藤は、遠藤の前にワイングラス入りのビールを出すと、私のグラスにはルビー色のオレンジジュースを注いだ。イタリアから輸入された高価なものだ。

 そして、私の好物でもある。


 カウンターの後ろで、えんじ色のエプロンを着けた後藤は、忙しなく動きはじめた。

 私は遠藤と取りとめもないおしゃべりをする。主に私がしゃべり、遠藤が聞いているのだが。

 ニ十分ほどで、カウンターの上にサンドイッチが出てくる。

 

「ありがとう。

 じゃ、いただきます」


 一口それをかじった私は、目を見開いた。


「美味しい……」


 具だくさんの卵サンドは、ふわふわ柔らかく、どこか甘く優しい味がした。

 

「やった!

 社長、前に食事した時、卵サンドが好きって言ってたでしょ。

 あれから、毎日練習してたんですよ」


「えっ!?

 でも、一緒に食事したのって、ずい分前よ」


「はい!

 お陰でたっぷり練習時間がありましたから」


 三十半ばのイケメンが、ウサギのエプロンを着け、卵サンドを作るところを思いうかべる。


「ふ、ふふふ、アハハハ――」


「ちょ、ちょっと、社長!

 なに笑ってんです!?」


「ふふふ、ああ、おかしかった。

 ところで、後藤シェフは、どうして私がビールを飲んだって知ってるのかな?」


 彼が遠藤のために、ワイングラスにビールを注いだとき、私はそれに気づいたのだ。


「い、いや、そんなことは――」


「ワイングラスで飲んだなら、普通ならワインって思うでしょ。

 私の後をつけてたんだね?」


「す、すみません!

 だって、あんな顔でフラフラ出ていくから、誰か男とでも会うのかと思って」


「あんな顔って?」


「うーん、何ていったらいいんだろう……」

 

「恋する乙女」


「そう、遠藤君、それだよ!

 恋する乙女!」


 自分の顔が赤くなる前に、彼らを追いはらうことにした。


「さあ、さっさと仕事に戻りなさい!

 フランス大統領の招待、受けることにしたから。

 あんたたちも同行するのよ!」


「「ええっ!?」」


「後藤、遠藤とあなたのサンドは、下に持っていって食べなさい」


「で、ですが、社長。

 仕事場は、飲食禁止じゃ――」


「社長命令だからいいの!

 早くなさい」


「はい、はい」

「分かりました」


 カウンター周りを片づけ、二人が下に降りていくと、自分の気持ちが晴れているのに気づいた。

 

「どうやら、ウチは社員に恵まれてるようね」


 卵サンドが乗っていたカウンターを手で撫でると、私も二人の後を追った。

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