第34話 委託販売   

                 

 同窓会から三日後、史郎たちが通っていた高校がある町でのこと。


 白神家は、この町で古くから酒屋を営んでいる。

 三代ほど前から酒造りはしなくなったが、今でもこの辺りで親しまれている店だ。


 白神少年は、自分の実家『白神酒造』のロゴがついた自転車に乗り、得意先へビールを届け帰ってきたところだ。


 店先に母親が立ち、彼の方を見ている。

 きっと、どこかからクレームが来たのだろう。

 彼は暗い気持ちになり、自転車から降りた。


「達夫、あんたいったい何やらかしたんだい?」


「かあちゃん、どうしたの?」


「ほれ、世間で有名になってる『異界』だの『妖怪』だのがあるだろう」


「ああ、『異世界』のことかな?」


「そうそう、その『異世界』から、あんたに電話があったわよ」


 うーん、異世界から電話って、どういう意味だろう。

 異世界に行ってた同級生はいるが、異世界にいる知りあいはいないはずだが。

 だいたい、異世界から電話って通じるのか?

 彼がそんなことを考えながら店へ入ると、番台横に置いてある固定電話が鳴った。


「もしもし、白神酒造ですが」


「こちら、『異世界通信社』です。

 私、後藤というものですが、達夫さんいらっしゃいますか?」


「私が達夫ですが……」


「リーダーと替わりますから、少々お待ちください」


「リーダー?」


「もしもし」


「もしもし、白神ですが」


「ああ、白神か。

 俺だよ、ボーだ」


「ああ、電話はお前んとこだったのか。

 母ちゃんがよく分からんこと言ってな」


「今日は、お前に商談があって連絡した。

 ちょっと大口の取引だから、お前、こっちまで出てこられるか?」


「こっちって、どこだ?」


「〇〇県の〇〇って町、知ってるか?」


「ああ、知ってるが、割と遠いな」


「いいか、よく聞けよ。 

 その町の『ホワイトローズ』って喫茶店に今日三時に来い」


「でも、それだと今から駅に急いでぎりぎりだぞ」


「いいから、すぐ来い。 

 俺がお前にやれるチャンスは、一度きりだ。

 それを生かすか殺すかは、お前次第だ」


「分かった。

 間に合わなくても文句言うなよ」


「間に合わなかったら商談はおじゃんだ。

 急げよ」


「ああ」


 暗く狭い自室に戻った白神少年は、狐につままれたような気持で外出着に着替えた。

 店舗スペースに出てスニーカーを履くと、商品を並び変えている母親に声を掛ける。


「かあちゃん、今から商談に行ってくる」


「商談って、あんた、相手は誰なんだい?」


「たぶん『異世界通信社』ってとこ。

 大口の話らしいよ」


「ふーん、でもまだ高校も卒業してないようなあんたと、大口の商談なんか本当にしてくれるもんかね」


「まあ、とにかく行ってくるよ」


「しょうがないねえ。

 午後の配達は母ちゃんが代わっとくよ」


 こうして、白神少年は史郎が待つ喫茶店『ホワイトローズ』へと向かった。


 ◇


 約束の店に着いたのは、刻限の十五分前だった。

 ツタの絡まる落ちついた外観の店で、昔からやっている雰囲気がある。

 室内もやや暗めの落ちついた色調だった。

 カウンターの中では、やけに姿勢がいいイケメンのマスターが、グラスを磨いている。


 奥のテーブルに、茶色の布を巻いた頭が見える。

 白神はマスターに会釈すると、そのテーブルへ歩みよった。


「おい、ボー。

 用件ってなんだよ?」


「お、白神か。

 間にあったな。

 とりあえずは合格と。

 用件か、用件は電話で話した通り商談だ」


「商談たって……相手は誰だ?」


 史郎が自分の顔を指さす。


「おい、冗談はやめてくれ!

 どうやってお前なんかと商談するってんだ!」


「ああ、同窓会では言わなかったがな。

 俺は、店を七軒持ってる」


「店って、『お店は繁盛してますか?』の店か?」


「ああ、その店だ」


「よく分からんが――」


「そこに立たれてたんじゃ落ちつかない。

 とにかく座ってくれ」


「あ、ああ」


 白神がテーブルをはさんだ向かいの席に座ると、史郎は話しはじめた。


「さっきも言ったが、俺は各世界ごとに支店を作ってるところなんだ。

 これまで、五つの世界で七つの店を開いてきた。

 地球でも、すでに開店の準備に入ってる。

 今日は、その店とお前んところの商談だ」


「……店って、何の店だ?」


「ああ、なんでも扱ってるから、なんでも屋かな」


「何ていう名前だ」


 史郎は、そこで少しためらうようなそぶりを見せた。


「名前か、名前はな……『ポンポコ商会』だ」

 

「えっ? 

 よく聞こえなかった。 

 もう一度言ってくれるか?」


「だから、『ポンポコ商会』だよ」


「……お前、俺を馬鹿にしてるなっ!」


 白神は席を立とうとした。

 その時、史郎の手に突然グラスが現れる。


「悪いことは言わないから、帰るにしても、それを一口だけ試してから帰れ」


 席を立ちかけた白神がドスンと腰を落とす。

 グラスには、一度も見たことがないような黄金色の液体が入っていた。


貴腐きふワイン? 

 いや、違うな。

 色がやや薄い」


「詳しいな。

 さすが酒屋の息子だ」


 白神は、高校生になる頃から、職人肌の父親の手ほどきで散々利き酒をさせられてきた。

 手にしたグラスから立ちのぼる香りは、とてつもない可能性を感じさせた。帰りかけた彼が再び席についたのは、その香りが理由だ。


 ワインの要領で、少しグラスを回してからもう一度香りを聞く。

 あり得ないような芳香が立ちのぼった。

 体が痺れるような期待が沸きおこる。


 最初は父親に無理やり連れこまれた酒の世界だが、白神はいつの間にかその豊かな世界に魅せられていた。


 唇を軽く湿らせ、少量を口に含む。

 全身を衝撃が貫いた。なんだ、この酒は……。

 いつも懐に入れている日本手ぬぐいを出し、それにそっと酒を吐きだす。

 俺が二十歳なら、こんなもったいないことしないんだが。

 酒が飲めない年齢であるのを、これほど悔しく思ったことはない。


 しばらく目を見開き呆然としていた白神だが、やっとのことで声を出した。


「お、おい。

 一体、何なんだこの酒は?」


「ああ、ある世界にフェアリスって種族がいてな。

 彼らが造ってる『フェアリスの涙』って酒だ」


「とてつもない代物だな」


「そうか。

 お前、それが分かるか。

 これは異世界でも『幻の酒』って言われてる。

 どうせなら、価値が分かるやつにあきなってもらいたいからな」


「お、お前、っていうことは、これをウチに卸してくれるのか!?」


「ああ、独占販売だ。

 もの凄い利益が出るぞ」


「本当か! 

 で、いくらで卸してくれる」


 喜んでいても、金額はきちんと確認する。

 さすが商売人の子だ。


「そうだな……」


 史郎は、少しの間、目をつぶり考えていた。


「お前、その目の前にあるグラス一杯の酒がいくらくらいするか分かるか?

 もちろん、この世界の値段に換算してだ」


「うーん、このレベルの酒になると、利き酒したことがないから想像もつかんが……。

 ボルドーの極上のワインを基準にすると、三万円とかか?」


「お前、味はわかるが、値段はまだまだだな。

 そのグラスの中身だけで三百万円はするぞ」


「さ、三百万……」


「しかも、今回はお前んとこの独占販売だろうが、これだけで五百万以上で売れ」


「ご、五百万……」


「ああ、とりあえず、これだけ渡しとく。 

 言っとくが、この分の支払いは出世払いだ。

 儲かってから払ってもらったらいい」


 史郎はそう言うと、机の上に小型の樽をどすんと置いた。


「お、おい、これいくら分だ?」


「ああ、十億くらいはあるんじゃないか」


「……」


「いいか、チャンスはやれるが、あとはお前次第だ。

 思いっきり売ってみろ。

 絶対に値引きなんかするなよ」


「ボー、お前……」


 白神は、しばらく言葉を失った。


「俺、同窓会でお前にあんなひどいこと言ったのに……」


「お前、小学生の時、ときどき一緒に遊んでくれたよな。

 お前は忘れても、俺は忘れない」


 白神は、落ちこみがちだった幼い史郎をよく遊びに誘ってくれた子どもだった。


「そんなことで、お前は……」


「おい、涙なんか流してるヒマがあったら汗を流せよ。

 これの売上は、俺の会社にも入ってくるんだ。 

 しっかり売ってくれ」


「あ、ああ! 

 売るとも、売る。

 ボー、俺はこの酒で、日本一の、いや、世界一の酒屋になってやる!」


「その意気だ。

 じゃ、後は、『異世界通信社』を通してやりとりしてくれ。

 こっちの『ポンポコ商会』が正式に立ちあがったら、そちらとの取引になる。

 頼むぞ」


「おう、任せとけ!」


 こうして、『ポンポコ商会』と『白神酒造』の商談は成立した。

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