第14話 炎上と門出
このお話で三百話!
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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その日、柳井プロデューサーが帰宅し、時計を見ると、夜の十二時を回っていた。
急な番組撮りなおしのため、早朝からテレビ局に詰めていたから、今日は本当に長い一日だった。
彼女はシャワーを浴びると、すぐベッドに飛びこんだ。
疲れから、十秒もせず眠りに落ちた。
それが、『運命』の演奏で起こされる。
局長から電話が掛かってきたときの着信音だ。
枕元のスマホを見ると四時と表示されていた。
寝過ごしたかと思い、ばっとカーテンを開ける。
外はまっ暗だ。
ほっと息をつき、スマートフォンを手に取る。
「はい、柳井です」
「柳井君か。
今すぐ局の方へ来てくれ」
「何か緊急の用件でも?」
自分は社会部ではないから、事件などで呼びだされることはないはずだが。
「君、この前、一つお蔵入りさせただろう」
確かに『挑戦! となりの太郎君』の撮影を一つ、ボツにした。
しかし、それは局長その人の指示で行ったことだ。
加藤という少年に取材させてほしい、という自分の申請を却下したのも彼だ。
いい加減にしろと言いたいところを、ぐっと
「そのことで、ウチの社が開いてるホームページとブログがひどいことになってる」
「えっ!
なんでそんなことに――」
「とにかく、すぐに来てくれ!」
「わ、分かりました」
重い体と頭を起こすため、熱いシャワーを浴びると、冷めたコーヒーを電子レンジで温め、少しだけ飲む。
脱いだパジャマを床に叩きつけると、スーツに着替え、階下に走った。
柳井はマンションの二階に住んでいるから、急ぐときは非常階段を駆けおりた方が早いのだ。
タイヤを鳴らし愛車のミニクーパーを発進させる。
乱暴にハンドルを切ると、後輪がキュルキュルと路面を滑る。
そのままマンションの敷地から出ると、眠っている町中の道をぎりぎりのスピードで飛ばした。
局に着くと、こんな時間にはいないはずのスタッフの姿が見られた。
エレベーターに乗り、局長室がある七階まで上がる。
ドアの前で息を整えてからノックした。
「入れ」
局長の不機嫌な声がした。
ドアを開けると、寝癖がついた頭を抱えた局長がデスクに肘をついていた。
彼は椅子から半分立ちあがると、怒鳴り声を上げた。
「一体、どうしてくれるんだ!」
「あ、あの……何のことか、さっぱり――」
「これを見てみろ!」
局長は、卓上のディスプレイを乱暴にこちらに向けた。
そこに映っているのは、局が視聴者からの意見を受けとるためのページだった。
よほど悪質なものでないかぎり、視聴者からの意見はそのままページに表示される。
「こ、これが何か?」
柳井はまだ、何が起こったのか理解できなかった。
「投書数を見ろ!
投書内容をよく読め!」
投書数を見た彼女は、小さく声を上げた。
このテレビ局は、小さくはないが、あくまで地方局だ。
一日の投書数など、たかが知れており、日によっては、一通も無いことさえあった。
それが、この半日で一万件を超える投書が届いていた。
一体、どういうことなの?
内容を見た彼女は、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。
彼女の番組に対する批判が、殺到しているのだ。
なぜだか知れないが、海外からの投書も大量にある。
英語で書かれたものしか読めないが、全て番組に対する批判だった。
全ての投書に共通する内容は、なぜ事実を隠ぺいしたかというものだった。
中には、『ネトプリ』が映っている番組をボツにしたことへの批判もあった、
「な、なぜこんなことに……」
局長は、ディスプレイ画面を自分の方にむけると、マウスを数回クリックした後、再び彼女の方に向けた。
それは、個人が作った動画が投稿される、有名なピーチューブというサイトだった。
そこには、彼女がボツにした、加藤少年のジャンプ映像が映っていた。
動画の題名は、「〇〇放送局にボツにされた驚異の映像」となっている。
サブタイトルには、「ネトプリを放送局が黙殺?」とあった。
これでは、炎上するのが当たり前だ。
「ど、どうしましょう」
「君のせいだ。
責任を取りたまえ」
背もたれに体重を掛けた局長は、椅子をくるりと回し、こちらに背を向けた。
柳井は目の前が暗くなった。
二十九才になった彼女は、今まで何人かの男性とつきあったことがある。
結婚してもいいなと思える男性も中にはいた。
しかし、いつでも仕事を優先する彼女に、どの男もやがては離れていった。
自分が青春を捧げたこの仕事を、理不尽な理由で追われる。
プライドが高い彼女には、耐えがたいことだった。
柳井はフラフラとエレベーターに乗り、知らないうちに屋上のボタンを押していた。
昼間はランチを食べる人々でにぎわう屋上も、夜明け前のこの時間には誰もいない。
屋上には、落下防止のため、金網がぐるりとめぐらされている。
彼女は、その一か所を目ざし、よろよろと歩を進めた。
涙がボロボロこぼれるが、今の彼女は、それが気にもならなかった。
このやりきれない気持ちを終わらせることができるなら、悪魔とでも契約するだろう。
金網は、その箇所で大きくねじれていた。
おそらく、何かがぶつかったのだろう。
被膜がはがれた針金がボロボロになり、金網が裂けていた。
裂け目は、人が一人通れそうな大きさだ。
彼女は、かつてそれを見つけ、庶務課に連絡しようと思ったことがある。
それをうっかり忘れ、そのままにしたのだが……。
あの時、修理しなくてよかった。
なぜか、そんなことが頭に浮かんだ。
コンクリートの敷居を踏み、穴から外へ出る。
まだ買って間もないスーツの脇が金網に引っかかり、ビリリと破れた。
ああ、これ、お母さんなら直せるかな。
彼女は裁縫が得意な母親の顔を思い浮かべた。
お母さん、ごめんね。
柳井の体はゆっくりと
◇
気がつくと、柳井は、ソファーやマットが沢山置かれた部屋の中にいた。
ああ、私、死んだのね。
ここは天国かしら、それとも地獄かしら。
自殺だから、きっと地獄ね。
この部屋から、無間地獄に向かわされるのね。
しかし、姿を現したのは、どうみても地獄の鬼ではなかった。
ぼーっとした顔をした、頭に茶色い布を巻いた少年だ。
頭の布? 何か脳裏に閃くものがあったが、形にならなかった。
「柳井さん、大丈夫ですか」
その声を聞いて思いだした。問題の番組収録に来ていた少年だ。
「君、君は?」
「史郎と言います。
加藤は、『ボー』って呼びますけど」
その瞬間、柳井の思考にかかっていた
「か、加藤君!
彼のせいで私はこんな目に――」
しかし、言葉は途中でさえぎられた。
「柳井さん、本当にそう思いますか」
少年の澄んだ目が、正面から自分を見ていた。
冷静になった今なら分かる。問題は、加藤君にはない。
今こそ、自分をこんな目にあわせた原因がハッキリ分かった。
彼女は、局長室を出る時に見た局長の後頭部を思いだしていた。
あんな男のために、自分は全てを失うところだった。
何てこと!
少年の目を見返し、きっぱりと言う。
「いいえ、加藤君は悪くない」
そして、私もね。
「えっと、俺から柳井さんにお願いがあるんですが――」
「何でしょう?」
どうやってかは知らないが、自分はこの少年に命を救われたようだ。
彼の言うことに、耳を傾けてみよう。
「長い話になるんですが、いいですか?」
彼はそう言うと、私の前にお茶とクッキーを出した。
「いいわよ。
これ、いただいてもいいかしら?」
「ええ、どうぞ。
話は、それを食べてからにしましょう」
お茶を一口飲んで驚いた。
仕事柄、日本のあちこちで、いろんなお茶を飲んできたが、そのどれとも違う。
とてつもなく美味しいのだ。
「なんて美味しいの!
これ、どこのお茶?」
「ああ、今それを話すとかえって混乱させると思います。
話の中で、その場所も出てくるので、そこで説明させてください」
「分かったわ」
湯気を立てているクッキーに手を伸ばす。
それには蜂蜜のようなものがかかっていた。
口の中に入れると、焼きたてクッキーの香ばしさと、濃厚な蜂蜜の旨味がからんで、まるで味覚を通して極上のオーケストラが鳴っているようだ。
「ありえないくらい美味しいわね」
そう言うと、少年はニッコリ笑った。
平凡な顔だけど、笑った顔には柔らかくこちらを包みこむ力があった。
十才は年下だろう少年にドキッとしてしまった。
死にかけたから、気が弱くなってるのかな。
私は、あっという間にクッキーを平らげ、お茶を飲みほしてしまった。
ちょっと恥ずかしい。
しかし、正気に戻った今、空腹感が湧いてどうしようもなかった。
「美味しいって言ってもらえると、ほんと嬉しいなあ」
少年はまた微笑んだ。再びドキッとする。
これはやばい。しっかりしろ、自分!
「では、俺の話を聞いてもらえますか」
私は、魅入られたように頷いた。
この時、すでに彼の魔法に掛かっていたのかもしれないわね。
後で、この時を思いだすたび、そう感じるんだけど、この時の私はまだ何も知らなかった。
少年の声が続いている。
「実は、俺、一度異世界に行って、帰ってきたところなんです」
その言葉に続いて彼が語った物語は、まるで壮大な叙事詩のようだった。
魔法との出会い。巨大な敵との闘い。弱きものの味方。
少女の頃、ファンタジー小説にのめり込んだ私には、場面場面が手に取るように浮かんできた。
そして、彼が愛する少女が三人いることも。
胸の奥が疼いたが、それを表情には出さなかった。
私は、大人だから。
普通の人が聞けば、荒唐無稽な話だろう。
だが、なぜだか知れないが、私には彼が本当の事を言っているという確信があった。
彼の長い話が終わったとき、私は大きく息をついた。
「悪いけど、さっきのお茶をもう一杯もらえるかしら」
どこからともなく お茶をたてる道具が現れたが、私はもう驚かなかった。
今では、エルフが住む世界、エルファリアのものだと分かっているお茶を飲みながら訊いてみる。
「それで、私にどんなお願いがあるの?」
この時すでに私の心は決まっていた。
どんな願いであれ、彼のそれを受けようと。
「俺の、いや、俺たち四人専属の広報係になってもらえませんか?」
それは、意外な申し出だった。
「私でよければ喜んでするわ。
具体的にはどんなことをするの?」
「ある事情があって、自分たちが異世界から帰ってきた事を公開するつもりなんです。
そうすれば、おそらく、あらゆるメディアが俺たちのところに集まってくるでしょう」
私は、容易にその光景が想像できた。
歴史始まって以来の出来事だ。
メディアが騒がないはずなかった。
「私は、それに対処すればいいのね?」
「ええ、あなたなら適任だと思います」
今まで、これほど自分を評価してくれた人がいただろうか?
「ぜひ、私にやらせてください」
命を一度捨てた私には、失うものなど何もなかった。
この日、柳井は、『初めの四人』の地球世界における広報担当となった。
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