第50話 一緒に
コリーダが目覚めたのは、点ちゃん1号の中だった。
昨日シローが作ってくれた、小型ベッドの上に横たわっている。森でのことが、まるで夢のようだ。
しかし、
湯気の立つカップを持った、シローが部屋に入ってくる。
黙って、カップを渡される。
蜂蜜だろうか。甘い味がついたお茶は、体の隅々まで染みわたるようだった。彼女が全部飲みおえるまで待つと、彼はそのカップを受けとった。
彼の顔からは、あの信じられないほどの美しさは消えていた。私の目をじっと見て、話しかけてきた。
「俺たちは、もう家族だ。
君が俺を捨てようとしても、俺は、絶対に君を捨てたりしない」
私は、シローの顔をもっとよく見たかったが、視界が曇り、よく見えない。
おかしいと思ったら、自分の涙だった。悲しくもないのに、涙がどんどん溢れてくる。小さなころから体の中に溜まりつづけた何かが、涙と一緒にこぼれ落ちていくのがはっきりと分かった。
「それから、君にはもう一人家族が増えた。
この家族の世話は、君に責任がある」
彼は、しゃがみ込むと、茶色いものを抱えあげた。森の中で出会った猪の子だ。
私の膝に猪の子が乗る。それは、顔を近づけてくると、私の涙をぺろぺろ舐めている。
「くすぐったい」
コリーダは、ぎゅっと、その子を抱きしめるのだった。
◇
点ちゃん1号の中で寝ていたコリーダの目に、次第に生気が感じられるようになった。
彼女は、顔も少しふっくらして、柔らかい表情になった。デロリン特製の、「弱ってもお粥」や「ちょー元気だぞお粥」が効いたのかもしれない。名前は変だけどね。
コリーダの世話は、皆でしている。ルルやコルナも、彼女と自然に接するようになった。まあ、出会いの時が、最悪だったんだろう。
最初、遠巻きに見ていた、ナルとメルも、すすんで彼女の世話を手伝うようになった。
元王族ということで、腰が引けていたミミとポルも、普段通りの態度で接することができるようになった。
彼女が、森の中に入ったことを、服の泥から見破ったリーヴァスさんは、俺が見たことのないほどの厳しさで彼女を叱っていた。側にいた俺が、漏らしそうになったのは内緒だ。
俺は、コリーダが元気になるのを待ち、エルファリアを去ることにした。
◇
恩賞がその後どうなったかだが、土地と爵位をもらったリーヴァスさんとコルナは、その土地を貸しだすことにしたようだ。賃料は、ポンポコ商会にある、専用の口座に振りこまれるようにしておいた。
ポンポコ商会は、『東の島』の店をパリスとロスに、『南の島』の店をメリンダに、正式に任せることにした。
本店は、『南の島』の方にした。
ミミとポルは、武器と防具をもらったわけだが、ミミは、風属性がついた長剣と速度増加のついたブーツ、ポルは、なぜかミスリルの全身鎧とこれもミスリルの長剣を選んだ。
ミミはともかく、ポルは明らかに自分に合わないものを選んでいる。欲しいと思うものをもらえばいいんだけどね。
ルル、ナル、メルは、宝物庫で宝石を選んだのだが、鶏卵ぐらいの巨大な宝石が数ある中で、ゴルフボールより小さな、黒い真珠の様な玉を三つ選んでいた。これは、ナルとメルが選んだそうだ。
まあ、二人は、欲が無いからね。
最後に俺だが、もらった目録には、武器、防具、杖はもちろん、魔道具も入っていた。
武器はリーヴァスさんに選んでもらい、予備としてもらう。俺が持っても、使えないもんね。
防具は、ルル用の皮鎧を選んだ。魔術耐性がある、優れものだ。
杖はコルナ用に、治癒魔術に適したものを選んだ。これは、一メートルくらいある白い杖の先に、三日月のような形の石が付いていて、どういった仕組みか、その中に白い球が浮いている。『月の杖』という名前だそうだ。
多言語理解の指輪は、二つもらっておいた。すでにアリスト女王から下賜された予備の指輪があるが、念のためだ。
ところで、例の「名誉騎士」という称号だが、これには本当に困った。なぜなら、騎士とすれちがうたびに最敬礼されるからだ。
城にどれほど騎士がいると思う? 俺の周りは、米つきバッタのようになった騎士で、溢れることになった。
一刻も早くここを去ろう。陛下が俺を厄介払いしたくてこの称号をくれたなら、彼はそれに成功したことになる。俺は、エルフ王族の裏事情を知りすぎているからね。
俺は、皆と相談し、出発を早めることにした。
◇
王都のギルドへの挨拶も終わり、いよいよ俺たちが、王城を旅立つ時が来た。
ポンポコ商会が緊急措置として配布していた点ちゃんコケットは、全て正規品との取りかえが済んだ。肩の荷が下りるとは、このことだ。
アリスト王国がある、パンゲア世界に帰るルートは、学園都市世界経由と獣人世界経由の二つがあるが、結局、後者を選んだ。そのコースだと、ミミ、ポル、コルナが、家族に会えるからね。
俺たちは、『聖樹の島』に向かうため、荷物や食べ物の確認をおこなっていた。
恩賞をもらった日から、陛下とお后、四人の王女とは会っていない。まあ、ああいうことがあったから、ばつが悪いのだろう。
俺は、挨拶せずに、そのまま出発してもいいつもりでいた。
出発前日の夜、点ちゃん1号をノックする音がした。
◇
俺は、点ちゃん1号のドアを開けた。
立っていたのは、陛下とお妃だった。
「シロー殿、入れてもらえるか?」
陛下が、重い声で尋ねる。
「どうぞ」
俺は、軽い声で受けておいた。
二人が、中に入ってくる。
「な、なんだ、ここは!?」
まあ、普通は、くつろぎ空間に驚くよね。
「それはともかく、何のご用でしょう」
「娘に……コリーダに会わせてもらえないか?」
こういうこともあるかと思い、彼女は、奥の部屋に入ってもらっている。
「彼女がそう望まないなら、どうします?」
「お願い!
一目だけでもいいの、コリーダに会わせてっ!」
お妃が、突然、追いつめられたような声を出した。
「しかし、あなた方は、彼女が持つ肌の色が、恥ずかしいのではないですか?」
俺は、単刀直入に言った。
「そ、それは……」
「ダークエルフと和睦の後、あなた方は、彼女が肌の色を隠さないということも、選べたはずです」
「……」
少しして、陛下は沈痛な顔をして言った。
「余が、間違っておったのじゃな」
そもそも、我が子をダークエルフの子として育てた時点で間違っているのだが、それをここで言っても始まらないだろう。
「それでも、私は、どうしてもあの子に会いたいの!」
お后は、必死の様子だ。
俺は、コリーダに念話する。
『コリーダ、聞こえるかい?』
『シローなの?
なぜ頭の中に、あなたの声がするの?』
『俺の魔法による力なんだよ。
それより、陛下とお后様が、どうしても君に会いたいと言って、ここに来ている。
君は、どうしたい?』
長い沈黙の後、再び彼女の念話が聞こえた。
『会っておくわ。
私は、もうこの城の住人じゃないもの。
気持ちの整理は、ついているし』
『分かったよ。
君がそれ以上話したくなかったら、いつでも念話で伝えてくれ』
『シローは、過保護ね。
それくらい、自分で言えるわ』
『じゃ、こちらに入っておいで』
部屋の壁にドア型の開口部ができると、コリーダがそこから現れた。白いドレスに身を包んだ彼女は、まだ痩せてはいるが、肌の色つやもよく、輝くほど美しかった。
俺の方を見て微笑むと、自分の両親を正面から見た。
「このような遅い時間に、何のご用でしょう」
事務的な声で話しかける。感情豊かな彼女の声は、そのようなとき、ことさら冷たく聞こえる。
「コリーダ!
元気でしたか?」
お后が駆けよる。
コリーダが森で死にかけたことは、言わない方がいいだろう。
「はい。
ご心配していただき、ありがとうございます」
コリーダは、感情がこもらない声で返した。
彼女のすぐ側まで来ていたお后が、思わず半歩後ろへ下がる。
「コリーダ、ワシを許してくれ。
シロー殿にお膳だてしてもらってなお、お前より自分の面子を優先してしまった」
コリーダは王と視線を合わせ、ゆっくりと話した。
「陛下、私は、もうこの城の者ではありません。
ご遠慮は無用に願います」
その言葉を聞くと、陛下が体を震わせ涙を流しはじめた。
「余は……私は、自分の娘を、自ら捨ててしもうたのじゃな」
「コリーダ!」
そう叫んだお后が、思わずコリーダに抱きつこうとしたが、彼女は躱(かわ)したとも思わせぬ優雅な動きで俺の横に立った。
「私にも、本当の家族ができました。
これまで育ててくれて、ありがとうございました」
その声を聞くと、お后は床にうずくり号泣した。
「コリーダ!
ああ、コリーダ……」
その時、外壁をノックする音が再び聞こえた。
◇
開口部を作ると、四人の王女がなだれこんできた。
小さなポリーネ姫は、さっそくコリーダにしがみついている。
コリーダも、彼女を避けるようなことはしなかった。
「コリーダ!
私たちと一緒にいて!」
シレーネ姫が叫ぶ。
「姉さん、行かないで!」
モリーネ姫が泣いている。
「私たちと一緒にいて欲しいの」
マリーネ姫が、涙ながらにコリーダの手を取る。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん……」
ポリーネ姫は、抱きついたまま、顔をコリーダのお腹に埋(うず)めている。
コリーダはしばらく目を閉じていたが、それを開くとこう言った。
「みんな、ありがとう。
私がシローと行くのは、他の誰でもなく自分が望んだことなの。
生まれて初めて、一緒に生きたいと思える人ができたのよ」
そして、彼女はこう続けた。
「では、『鳥かご』を出て、大空に羽ばたきましょうか」
コリーダが、手を俺の方に伸ばす。俺はその手を取り、こう返した。
「ええ、一緒に」
それは恩賞の場で、俺が彼女に、彼女が俺に言ったセリフだった。発言者は、さかさまだが。
俺の手をほどいたコリーダは、陛下とお妃の前で優雅に礼をした。そして、シレーネ姫、モリーネ姫、マリーネ姫と、一人ずつ抱きあった。
最後にポリーネ姫の前に膝を着き、彼女と視線を合わせ頭を撫でた後、ぎゅっと抱きしめた。
「元気でね」
四人の姉妹は、涙で顔をぐしゃぐしゃにしていたが、コリーダは涙を流さなかった。彼女は、陛下とお后、姉妹を見送るときも、最後まで微笑んでいた。
俺が点ちゃん1号の扉を閉めると、彼女は俺の背中に抱きついてきた。前に回した彼女の腕を撫でてやる。
「立派だったよ、コリーダ」
俺の声を合図に、彼女の泣き声が空間を満たした。
彼女は、かなり長い間泣いていたが、泣きやむと、恥ずかしそうに自分用のコケットに横になった。俺が毛布を掛けようとすると、腕がくいと引っぱられた。頬に柔らかいものが一瞬触れたと思ったら、ぱっと離れた。
「おやすみ、シロー」
彼女はコケットの上で反対側を向くと、すぐに寝息を立てた。
呆然と頬を手で押さえた俺は、明け方まで眠ることができなかった。
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