第27話 王国の裏側


 史郎が城を去ってから、舞子は何をするにも力が湧かなかった。

 いい意味でも悪い意味でも、彼女は史郎に依存していた。

 舞子は、幼馴染に過ぎない男の子が、特別な存在となった日のことを思いだす。


 小学五年の夏、学校からの帰り道、ちょっとした冒険のつもりで史郎と舞子はいつもと違う道を帰っていた。ギラギラと照りつける強い日差しに、いつもと同じ道にすればよかった、と舞子が思ったとき、それは起きた。

 人が捨て、耕されなくなった畑の草むらから、突然、野犬が躍りでたのだ。牙をむき、よだれを垂らし、グルルとうなる野犬を見て、舞子は気を失いかけた。

 気がつくと地面に座りこんでいたが、野犬は一向に襲いかかってこない。


 見あげると、史郎が毅然と野犬の前に立っていた。

 いつもはのんびりとして特徴が無い顔つきが、信じられないほど整って見える。

 犬のことも忘れ、舞子はただ彼の横顔に見とれていた。


 史郎が野犬に微笑みかけると、それは頭を下げ、ぺろりと舌でよだれをなめると、すごすごといったふうに草むらに帰っていった。


「舞子ちゃん、大丈夫?」


 史郎の声で我にかえった舞子は、カーっと顔が熱くなり、一人で家まで帰ってしまった。


 あの日から、舞子はずっと史郎の隣にいた。


 だから、史郎が城から去るとき、目の前がまっ暗になった。これから側にいるだろうメイドには、殺意さえ覚えた。

 いつもは気弱な少女が内側に持つ激しい感情が、行き場を失ったまま彼女を傷つけていた。


 あまりの意気消沈ぶりに、畑山や加藤が声を掛けてきた。しかし、その声も、虚ろな体を通りぬけ、舞子の中には残らなかった。


「聖女様、ここにおられましたか」


 三十才くらいに見えるお付きの女官が、声を掛けてきた。


 舞子がこの窓辺にたたずむのは、城下の街並みがよく見えるからだ。史郎がそのどこかにいると考えただけで、ほんのわずかでも気持ちが安らぐのだ。

 そんな舞子の気持ちなど知らない女官は、木窓を閉めた。


「今日は、教会に行く日です」


 最初に聖女付きを言いわたされた時、女官は狂喜した。他の女官たちの羨ましそうな表情を見て、さらに喜びは増した。

 ところが、何を話しかけてもほとんど反応しない聖女に、彼女は日ごとに苛立ちを募らせていた。

 本来、あがめ敬うべき対象である聖女だが、今ではお付きになったことを恨むようにさえなっていた。


 舞子がやっと立ちあがると、女官はその手を取り、容赦なく目的の方向へ引っぱるのだった。


 ◇


 アリスト国王の執務室では、今まさに、この国が向かう先を左右する瞬間が迫っていた。


「まだ、時期尚早ではないでしょうか」


 事が事だけに、レダーマンの表情も硬い。


「今こそ、マスケドニアのヤツらに、目にもの見せてやる時です」


 太った貴族が気勢を上げる。


「もう少し勇者の力が開花してからの方が良いのではないでしょうか」


 これは、筆頭宮廷魔術師のハートンだ。

 そのとき、入り口に控えていたコウモリ顔の男が口を開いた。


「ドラコーン公爵がおっしゃられるとおり、今こそ絶好の機会かと」


「お前は黙っとれ!

 ここで話す資格など無かろうが」


 厳しい声でハートンがさえぎるが、男にためらう様子はない。


「陛下のご英断を」


 それまで黙ってやり取りを聞いていた国王が口を開く。


「勇者で国が盛りあがっている、今こそが好機よの」


 レダーマンとハートンが、がっくりうなだれる。

 国王の平坦な口調に、彼の心が初めから決まっていたと気づかされたからだ。

 この評定ひょうじょうは、形だけのものだった。


「おおっ!

 やっとお心をお決めなさったか!」


 国王を子供の頃から見てきたドラコーン公爵にとり、彼がこのような決断をするのは、以前から予想していたことだった。


「では、さっそく下々で会議をとり行い、準備を進めます」


 下々といっても、それは子爵以上を指しているのだが。


「陛下、今一度お考えなおしを!」


 レダーマンは、無駄だと分かっていても、発言せずにおられなかった。戦争となれば、騎士の多くが命を失う。

 彼の脳裏には、陽気に笑う部下たちの姿があった。


「先頭に立って戦うお前がそれでどうする。

 発言に気をつけろ!」


 冷たくそう言いはなつと、国王はドラコーン公爵の方を向く。


「会議のこと、よしなにな」


「ははっ、承りました」


 国王が追いはらうような手つきをすると、四人が部屋から出ていった。


 ◇


 一人になったアリスト王は、立ちあがると窓辺に近づく。


 窓は、この国の錬金術の粋を集めて作られたクリスタルで出来ていた。物理、魔術ともに高い耐性を持つ極上品だ。

 それを通し湖沿いの街並みを眺め、感慨にふける。


「やっとここまで来たか」


 初代国王が亡くなったとき、彼にはその後を継げる目など無かった。王の弟、しかも血の繋がりさえない、書面上だけの王弟が彼の父だったからだ。


 ただ、彼の父は勇者だった、ブロンドの髪を持つ。

 元の世界で下層階級出身の父は、子供の時この世界に転移してきた。彼は、勇者として覚醒してからも、それにふさわしい振るまいができなかった。

 地位をかさに、貴族の妻や娘、果ては町娘にまでに手を出すような勇者を、周囲は腫もののように扱い、それがさらに彼を乱行に駆りたてた。


 この国ではスーパースターとして扱われる勇者のこういった行いは、国民までもがっかりさせた。

 初代国王も、建国の戦闘で功績があった彼を切りすてることができず、形だけの弟として王城に囲いこんだ。

 それでも勇者の乱行は止まなかった。


 一方、現国王の母は、貧乏子爵家の出だった。顔とスタイルだけは良かった彼女は、出会った日に勇者と結ばれ、すぐに身ごもった。

 出産の後は、王城で贅を尽くした暮らしをし、その浪費は王国の財政を傾けるほどだった。


 そんな両親を持つ彼を、周囲がどう扱うか。表面では尊敬を、内心では侮りを。そんな人々の反応に、聡い彼が気づかぬはずはなかった。


 人間の裏表を見続けて育った青年に転機が訪れるのは、二代目国王を継いだ父が若くして死んだ時だ。

 父の死因は続けられた不摂生によるものだったが、その死の間際、驚くべき事実を明かされたのだ。

 初代国王の子、皇太子を殺した、と。

 母が計画を立て、協力者の若い宮廷魔術士を使い毒殺したということだった。この魔術士は、このことで出世を手にした。コウモリ男だ。

 それを聞いた彼は、驚愕の事実にも自分の心が全く動かないことに気づいた。

 彼を個人教授する歴史学者から、歴史上のエピソードを聞くのと同じ。ただ事実としてとらえただけだった。


 二代目国王である父が亡くなった後、彼は、ずる賢さと用心深さを発揮し、自分にとって邪魔になる政敵を、次から次へと葬っていった。

 そして、ついには玉座へと昇りつめた。

 その結果、周囲は彼を恐れるようになった。

 けれども、真の王として認められているわけではない。そのことは、彼自身が十分承知していた。


 周囲には、おべっかとりやイエスマンが増え、先ほど執務室で騎士長が発したような言葉は、もう長らく耳にしたことはなかった。

 本当に自分が王として認められるには、初代国王のような功績が必要だ。そして、他国を併合することこそが、それに見合う功績だと彼は考えていた。


 湖の向こうにゆっくり沈む夕日が、国王の顔を赤く染めあげていた。

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