1ヶ月でこんなに落ちる奴いる?

 8月の地獄について語ろうと思う。


 祖母が入院となってしばらく自由な時間ができたのは好材料だったが、小説の方は散々だった。


 まず8月8日。

 延期していた電撃小説大賞の一次発表があった。

 僕の名前はなく、がっくりした。


 そこからお盆を挟み、開けると様々な新人賞の発表ラッシュが来た。


 まずは17日。

 GA文庫大賞の一次発表である。GA文庫は応募者にかなり手厚くて、編集者が応募作の感想をツイッターで定期的に(ある程度ぼかしながら)つぶやいてくれる。また応募総数の発表も早い上、一次選考結果は18時に発表します、と待機する余裕まで与えてくれるのだ。


 僕は「花修羅丸伝」の結果を待っていた。すごーく久しぶりに書けた長編だったので、かなり期待していた。少なくとも2016年に二次選考で落ちた作品よりはよく書けた手応えがあった。


 18時。

 時刻が切り替わると同時に僕は新人賞のページを開いた。スクロールして、「ん?」となった。


 GA文庫大賞は通過者をペンネーム五十音順で掲載する。僕のペンネームは雨地だから、最初の方だ。


 なかった。

 何度行ったり来たりを繰り返しても僕の名前も作品のタイトルも見当たらなかった。


 受け入れるのにかなり時間がかかった。

 落ちたの? あれが?

 傲慢に聞こえるかもしれないが、僕はあの作品が一次で落ちるとは本気で思っていなかった。落ちても二次だろう、と楽観していた。


 この目の前が真っ暗になる感覚は、前年、『このミステリーがすごい!』大賞の最終選考で落とされた時のそれにそっくりだった。そのくらいショックだったのだ。


 しばらく茫然自失で何も手に着かなかった。


 嘘だろ……。


 そんな僕に追い討ちがやってくる。


 翌日。

 小説すばる新人賞の一次落ちを知る。


 週末。

 オール讀物新人賞の一次落ちを知る。


 月末。

 ウルトラジャンプの漫画原作プロットコンテストの落選を知る。


 1ヶ月で5回の落選、それも一次落ちを叩きつけられて心がはち切れそうだった。確かに改稿応募には限界があるかもしれない。しかし新作までとなると、いよいよ自分の感覚が信じられなくなる。


 その間に祖母が退院した。

 とうとう一人では歩けなくなったので、トイレに行く時は必ず手を引いてあげなければいけなくなった。極力母が相手をしてくれたが、不在の時も多く、かかる負担はほとんど以前と変わらなかった。


 それでも、僕は前を向こうとした。

 ストレスを抱えながらも、一太郎のファイルを開いて新しい原稿を書き始めた。前年は新作が書けなかったが、少なくとも新しいものを書こうという意欲だけは戻ってきていた。


 人生で初めて小説新人賞に応募したのは2010年8月31日。


 その日を超えて、僕の投稿生活はついに10年目に突入した。


 ここまで時間をかけてやってきたのだ。諦めるという選択肢は絶対にありえない。書くしか、なかった。

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