所長さんと、光る列車の話

 実家の近所にはガソリンスタンドがあって、そこのおじいさんには子供の頃から何かと優しくしてもらった。

 中学の職場体験でもお世話になり、以降はずっと、その人を「所長さん」と呼ぶようになった。


 倒れて実家に戻ってきたあとも「顔を出しにおいで」と声をかけてくれた。


 僕は精神的に余裕がある日、スタンドを訪れるようになった。


 そのたび、所長さんは笑顔で話を聞かせてくれた。話し方がうまかった。昔の経験を語る時も、最近この辺で起きたことを語る時も、抑揚がついていてついつい聞き入っている。楽しい時間が過ごせた。


 ある時、僕は「小説家を目指している」と話した。他の人にはしたことがなかった。馬鹿にされるか、「ふーん」と興味なさそうにされて終わりのどちらかしか想像できなかったからだ。


 けれど所長さんは「いいじゃないか! そういうことにはどんどん挑戦した方がいいぞ」と言ってくれた。「デビューしたら賞金でうまい蟹を食わせてくれ」と言って笑った。


 それからはスタンドに顔を出すと、「原稿は書けてるか?」とか「おっ、売れない小説家が来たぞ」とか、何かと話題にしてくれた。


 その所長さんの姿が見えなくなったのは、この年の春からだった。


 スタンドに行くと、奥さんしかいない。「今日はちょっとね」といつも同じ返事をもらった。僕は首をかしげていた。


 そして、電撃小説大賞の一次落ちを知ったちょうど翌日の夕方だった。


 畑の手伝いを終えて、祖母と家に戻ろうとした時、隣の畑のおじさんが話しかけてきた。


「おい、聞いたか? スタンドのかしらが死んだってさ」


 ――棒立ちになった。


 その瞬間、春から姿が見えなくなった理由を、僕は悟った。


 すぐ、所長さんの家に電話をかけた。


 どうやら事実のようだった。


 行かなければならない。僕は所長さんの家に向かった。


 すでに親族や知り合いが大勢集まっていた。僕は挨拶をして家に上がらせてもらった。


 仏間で、所長さんは顔に布をかけられていた。

 奥さんがそっと、それを取ってくれる。


 所長さんは静かに眠っているように見えた。もう、顔は真っ白だ。


 手を合わせた。他にできることはなかった。


 奥さんに送られて家を出た。葬儀は親族だけで行うという。会えるのはこれが最後、というわけだ。


 家についた僕は、母の車に寄りかかってぼんやり星空を見上げた。涙が止まらなくて、家に入れなかった。


 デビューの報告はできないまま終わってしまった。


 せめて昨日、一次だけでも通っていれば、眠る所長さんにそれを報告していたのに。


 何もできないのがむなしかった。


 しばらく星を眺めた。


 ――所長さんに捧げる小説を書こう。


 不意にそう思った。


 僕にできるのはそれだけだった。


 家に飛び込んでパソコンの電源を入れた。


 死者を迎えに来る、光り輝く列車の話が浮かんできた。

 それに乗って、主人公の少女が色んな人を迎えに行くのだ。


 感情的な文章になってはいけないと思った。なるべく地の文は淡々としたものを意識した。感情をぶちまけたら、途中で自分に酔ってしまいそうだ。それだけは絶対に嫌だった。


 400字詰めで60枚ほどの短編を、僕は一晩で書き上げた。


 どこに出す、ということは一切考えなかった。


 本当にただ書いただけだ。


 それで充分だと思った。


 僕は原稿に『夜光列車』と名づけた。

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