第四章 鍋島のどか 18

 

「えっ、じゃあテル君のお母さん入院してるの?」

「うん。今日、荷物届けに病院まで行く」

「うちのとーちゃんに車出してもらってさぁ、一緒に行こうぜ。そんで、うち泊まってけよ。おばさん入院してて大変だろ」


 不安なのは信じたいから。怖いのはわからないから。

 それなら一つずつ、色んなことを知っていけばいいんだ。そうして信じていけばいいんだ。不安も恐怖も感謝の気持ちも大事なものはなんだって、言葉にしなければ何も伝わりもしないのだ。何も言葉にしないまま全てわかってもらおうなんてそれはエゴだ。いつ壊れるかわからない信頼関係をできるだけ長く続けるには、相互努力が必要なのだ。ちゃんと気持ちを伝えることが大切なんだ。喧嘩をしてぶつかり合って、もしそれがよくない結果に終わろうとも、何も知らぬまま死に別れるよりずっといい。死人に口なし、死んでしまったらもう、何もいうことができないのだから。

 今となっては健一と清美がいつから『そういうことになったのか』わからない。≪辰巳輝大今の俺≫にはそれを確かめようがない。けど、≪鍋島浩之≫は死んだ。健一と清美は俺の知らないうちにそういうことになり、結婚して、ココアが産まれた。それは真実。これはとても悲しいことだ。とんでもない事実だ。心臓が口から飛び出てそのまま空中で爆発してしまいそうなくらいに辛い。

 でも、俺と健一が過ごした日々は本当だったと、俺達の友情はあの時本当にそこに存在していたと、そう思っていてもいいじゃないか? 清美と俺は間違えなく愛し合っていたと、そう思っていてもいいんじゃないのか? 裏切られたという悲しい事実があることは確かだ。でも、そこにはちゃんと、幸せな瞬間も存在していたということを俺は信じてもいいんじゃないのか? 確かにそこにあったであろう信頼とか信用だとか愛情だとか友情だとかそういったものを信じていてもいいんじゃないのか? 例え、今はもう、なくなってしまったものだとしても。


 ぎゃーぎゃーと騒ぐココアとライトに挟まれる俺に、藤崎がこっそりピースを送ってくる。あいつ、意外とお茶目なところあるな。仲直りしてよかったな、ってことだろうか。俺がそのままピースを送り返すと、藤崎が微妙な顔をする。違うらしい。俺は自分の日本の指を見つめながら考える。貸し二つってことか。こんな貸し、どうやって返せばいいんだよとか悩む俺の顔を、ココアが覗き込んでくる。

「ねぇテル君、シャンプー変えた? いつもと違う匂いがする」

 うん、昨日の夜だけね。

 ココアとライトは馬鹿だけど俺も相当馬鹿なので、ココアがシャンプーの持ち主に勘づいて機嫌を悪くすることなんてわからないし、同時刻、≪鍋島浩之≫の部屋の掃除に入った母さんが学習机の上に置かれた十五年前のプレゼントに気が付いて泣き崩れていることだって勿論知らない。無知は罪、知っていることに越したことはないけれど、知らなくていいことだって沢山あるんだ。 

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