第一章 加藤心愛 17(自殺旅行編1)
六月二日土曜日。
俺は目覚まし時計の音で起床する。
重たい瞼を擦りながら時刻を確認するとAM4:30。予定通りの時間だ。カーテンの隙間からは眩しいくらいの太陽が差し込んでいて、鳥たちが喜びの歌を奏でている。いい天気だ。天気予報を見なくてもわかる、今日は一日ずっと晴れだ。
顔を洗い着替えを済ませ、昨日のうちに用意してあったリュックを背負う。持ち物は財布と携帯、それだけだ。朝食と飲み物は途中コンビニで買うからいいんだ。真美子はまだ寝ている。今日は日勤だから、あと二時間くらいしたら起きる。俺は台所にあるホワイトボードにメッセージを残しておく。
『ライトと一緒に出掛けてきます』
嘘ではない。
六月ともなると昼間は汗ばむくらい日差しが強かったりもするのだけれど、朝と夜は少し寒い。半袖の上に薄い長袖のパーカーを羽織った俺は、勅使河原駅まで自転車を飛ばす。予定よりも少し早い。コンビニで買い物をするにはちょうどいい。まだ五時にもなっていない駅のロータリーはすかすかで、猫の一匹見当たらない。かと思いきやそこにはすでに青いシャツにショートパンツ、八分丈のレギンス姿のココアがショルダーバックをぶら下げて待機していて、つまらなそうな表情でスニーカーの先で地面に円を描いて遊んでいた。早いな。
「おはよう」
俺が声をかけると、ココアは爽やかとは程遠い表情で答えた。
「おはよう」
つん、と尖らせた唇は清美によく似ている。やっぱり親子だ。
「早かったね。まだ五十分じゃん。何時に来たの?」
「三十分くらい。早く起きちゃったから」
早く起きすぎだろう。もしかして寝てないんじゃないのかと訝しる。
「朝ごはん食べた?」
「食べてない」
「俺も食べてない。コンビニ行くけど、どうする?」
駅に隣接しているコンビニを指す俺。不機嫌そうな顔の頷くココア。
俺が持つ籠の中にココアが色々入れていく。おにぎり、サンドウィッチ、お菓子、飲み物、ガム、飲み物、雑誌。お前は一体どこに行って何をするつもりなんだ自殺するやつがこんなに沢山買い物するのか? ていうくらい。ピッピッピッピッバーコードを読み取る店員の隣にはホットスナックが並べてあって、俺の中学生としての食欲を刺激する。
「あとホットドック」
眠そうな顔をした若い店員が、緩慢な動きでホットドックを紙袋に入れる。財布からお金を取り出す俺の後ろにいたココアが、思いついたように身を乗り出す。
「ホットドック二本にしてください」
お前も食うのかよ。
ホットドックを食べながらコンビニを出ると、ついさっきまで寝てましたというような顔のライトが待っていた。Tシャツにジーパン、リュックなんて、俺と同じような格好をしている。俺はあまり乗る気ではなかったように見えたライトがここにいることに驚いた。
「あれ、お前来たの」
「来たよ。だって待ち合わせ、五時じゃん」
俺はロータリーに設置されている噴水の時計を確認する。五時五分。いい時間だ。
「丁度いいんじゃない」
「俺飯食ってないけど」
「俺も食ってないよ」
「ホットドック食べてるだろ」
「だからこれ朝飯。お前も食う? おにぎりとかサンドウィッチとか色々あるけど」
お菓子とか飲み物の入った袋をそのままライトに押し付ける。ライトが渋い顔をする。この荷物の管理が自分の担当になったことを瞬間的に理解したのだ。
休日の始発前のプラットホームは異世界みたいだ。静かで、人気がなくて、生活感がまったくない。まるで遠い未来、人間がいなくなったあと、俺たちだけ取り残されてしまったような錯覚さえ感じてしまう。時折鳥が飛んできてはピチチチとステップを踏んで去っていく。薄汚れたベンチにはよれよれのサラリーマンがコーヒー缶を片手に新聞を読んでいて、その一枚を捲る音がやたら鮮やかに響いてきた。
ココアがホットドッグを食べ終わる頃に電車が来て、俺たちの旅が始まる。
休日早朝の電車内は本格的に人がいなくて、いるのは俺たち三人と、先ほどのよれよれのサラリーマン。眠そうにスマホを弄る水商売風の女。朝だというのにやたら化粧が濃くて胸元が大きく開いた金髪の女にびっくりしたらしいココアが俺のパーカーの裾を少しひっぱる。そして、その女が大股開きで着席していることに驚いたらしいライトが俺のリュックを少しひっぱる。おいお前ら、紫色のサテンのパンツで驚き過ぎじゃないのか。
俺の体の一部をひっぱる二人を連れて列車の一番端まで行く。なぜか俺を挟んで座る二人。日差しが眩しい。ココアの持っているショルダーバッグはやたらぱんぱんに膨らんでいて、見るからに重そうだ。ちょっと自殺しに行くだけなのに。
「それ、なに入ってるの?」
俺の問いかけに、ココアはなぜかちょっと照れたような笑みを見せた。
「内緒」
そう。内緒ね。
なんてやり取りをする俺たちの斜め向かいでは水商売風の女がスマホで通話をしていて、どうやら仕事帰りのようだ
「もしもし? ユージ? うん、今電車。仕事終わったよ? これから帰るね?」
ショートケーキみたいに甘ったるい声。風俗嬢もきっと色々大変なんだ。
『薄野~薄野に到着です~』
扉が開いて風俗嬢が降りていく。俺たちはまだ降りない。欠伸をするライト。お前もまだ寝るな。
勅使河原から瀬の島まで二時間半。眠そうなライトとココアを叩き起して乗り換える。乗り換えは二回、一度乗り換えすれば二時間寝てられるから頑張れ。
乗り換えた瞬間、ココアとライトが飲まれるように寝てしまう。ガタンゴトンというリズムはゆりかごみたいで丁度いいんだ。俺は両肩に寄りかかってくる二人分の体温を感じながら外を見る。田んぼの中に家が現れ、ビルが建ち、街になる。線路沿いの道を自転車に乗った学生が欠伸交じりに漕いでいる。三つ目の駅を通り過ぎた辺りで俺の瞼も限界を迎え、夢の世界に旅立つことに決める。心地よい振動。二人分の体温が俺の心を守ってくれる。人の少ない電車、早朝の光の中、俺は夢を見る。
夢の中の俺はまだ大学生で清美と付き合い始めたばかりで、清美が海を見たいというからその日初めて遠出した。始発とまではいかなかったけどそこそこ早い時間に乗った。こんなに人のいない電車は初めてだと清美は少しはしゃいでいた。でも結局二時間も電車に揺られていると飽きてしまい、寝てしまい、俺が清美を起こしたんだ。起きろよ清美、もう乗り換えだ。置いてくぞ、なぁ
「……くん、もうすぐ着くよ。乗り換えだよ」
夢の世界にいた俺の肩を誰かが揺すっている。誰だよ折角気持ちよく寝ていたのに。清美か? 違う。清美じゃない。清美はこんな意志の強そうな目をしていないし、清美の割には子供っぽい。ていうかまるっきり子供じゃないか。
「テル君、起きて、起きてってば」
そいつが俺の名前を呼んだことで、俺の頭は完全に覚醒する。ココアじゃないか。大学生の清美じゃない、こいつは中学二年生で俺のクラスメイトの加藤心愛だ。なんてばっちり目を開けたところで電車が止まり扉が開く。
『藤沼~藤沼です~』
「置いてくぞテル」
なんて、コンビニの袋を持ったままのライトが偉そうに言う。俺は瞼を擦りながら、颯爽と車外に出ていく二人を追いかける。大股気味にホームを歩くココアの後姿が大学生の清美と重なって、俺はまた瞼を擦る。少し遅れて歩く俺を心配して、ココアが振り向いて足を止める。
「どうしたの?」
なんでもないよ。
藤沼駅周辺は俺たちの住む勅使河原駅周辺とも都市部とも違い、あちらこちらに土産屋があったりパンフレットを抱えた外国人が歩いていたりと観光地然とした雰囲気が漂っている。でも狭くて小さくてホームが二つしか存在しないローカル線なので、迷うことなく乗車をする。乗って七分、瀬の島海岸駅にはすぐにつく。ココアとライトの表情がわかりやすく変わることを俺は目撃する。
瀬の島海岸駅入り口はまるで鳥居みたいになっていて、駅自体がまるで神聖な場所みたいだ。駅を降りた瞬間に海産系の土産屋が広がっていて、そこにボードだとか水着だとかも売られている。潮の匂いが町全体に漂っていて、呼吸をすると肺の奥まで海の匂いに侵食されてしまう。
「わぁ、すげぇ、すげぇな」
ライトはこの巨大な鳥居が大層気に入ったらしく、3枚も4枚も写メを撮っている。撮りすぎだ。と思ったらココアもスマホを取り出して
「テル君、ライトくん、こっち見て」
「は?」
「はい、チーズ」
パシャッ。
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