幕間劇2・シルスティン最後の夜、明け方

【3・シルスティン最後の夜、明け方】




 ――広い部屋だ。

 部屋の中央には巨大な円卓。幾つもの椅子が置かれ、少なくとも十人程度はこの円卓に座る事が出来るだろう。


 ただ、今この部屋にいるのは一人。


 入り口の真正面に当たる椅子に一人だけ、中年の男性が腰掛けている。

 青白い、整った顔立ちのその男は、難しい顔で沈黙していた。


 無人だった椅子の上。

 炎が、宿る。


 熱を持たない魔術の炎。

 椅子の数だけ炎は現れ、やがて円卓は気配に満ちる。


「――まもなく朝を迎える時刻の召集、申し訳なく思う」


 男が言った。


「このラキスに一匹の死竜が向かっている。――その対処について話をしたい」


 此処はラキス。

 デュラハの隣国にして不死の民の国。

 そして彼らはラキスの代表者。

 王はデュラハ国王ただ一人。ラキスは王を持たない。その代わり、すべての事を代表者たちが決定する。


「……帰還者か?」


 炎のひとつが揺らめき、言葉を発した。


 男が頷いた。


「そうとも言える」


 頷いたまま片手を胸の前まで上げ、指を弾く。

 空中に像が結ばれた。

 誰かが息を飲む。


 明るくなりつつある空を飛ぶ、一匹の死竜。

 短い尾に、そして何よりも蒼い炎の瞳が特徴だった。



「――フォンハードか!!」

「まさかラルフが……」

「いや、奴は滅んだ。復活は無理だ」

「ならば、誰が――」


 炎が口々に話し出す。


 男はその言葉を咳払いで封じ、続けた。


「何があったのかは分からない。だが、フォンハードは片割れと共に国王の命令に背き、冥王の部下として戦場に立った。――その裏切り者をラキスに入れて良いものか、皆に意見を伺いたい」

「裏切り者には死を」


 短い答えがすぐに帰ってきた。


「いくらフォンハードが強力な死竜であれ、ラキスの竜騎士団の総攻撃で潰せる。殺すべきだ。許したとあれば、他の者への示しがつかない」

「しかしまもなく朝が来る。竜騎士たちはもう動けなくなる。飛竜たちのみでフォンハードに当たらせる気か? ――反対だ。まずは様子を見よう」

「甘いお考えでは? ――デュラハの竜騎士団にも要請を。懲罰部隊なら陽光も恐れません」

「……裏切り者だとしても、人間を殺しただけだろう? それほどの罪とは思えん。陛下もフォンハードを罰しようとしなかった。ならば、我々が独断で罰する事もないのでは?」


 炎たちが話し続ける。


 男は沈黙のまま、言葉を聞いていた。


 やがて男は炎のひとつを見る。


「――貴女の意見はどうかな」

「お許し頂けるなら、ラキスへの入国を許可頂きたいです」

 

 可愛らしい少女の声。


「急いでいる御様子。――何か事情があると思います」

「しかし」

「責任ならば私が」


 少女の声が微かに笑う。


「何か問題が起きた際は私をお好きになさって下さい」

「……」


 少女の申し出は炎たちを沈黙させるだけの魅力を持つものだったらしい。

 沈黙の中に微かなざわめき。


 少女の声が小さく笑う。

 

 男はゆっくりと頷いた。


「では、多数決を。入国の許可を出すならば炎を紅に、不可ならば蒼に」


 では、と男がもう一度促した。

 

 炎がいっそう強く揺らめき、色を変える。



 部屋で燃える炎はすべてが紅だった。


 少女の声が微かに笑う。


「感謝致します、皆様」

「では入国の許可を。――この明け方に申し訳なかった。皆……よい夢を」


 揺らめく炎が消えていく。


 残ったのは少女の声を発していた炎がひとつ。

 男はその炎に向かって笑う。


「皆、何か問題が起きるのを期待しているぞ」

「酷い」


 少女の声は幾分軽い。

 笑みも含まれていた。


「皆……貴女の血を欲しているのではないかな?」

「そうかな……よく、分からない」


 くすくすと少女が笑う。

 男も笑い返し、言った。


「不死の民よりも永き寿命を持つ飛竜。その生き血など、滅多に味わえるものではない」

「飛竜の血なんて美味しいのかな? 私、よく分からない。欲しいって言われても……困るな」


 炎が揺らめく。

 男は一瞬だけ、この少女が背に持つ翼を思い出した。

 機械仕掛けの翼に宿る、紅き炎。


「それじゃあ、私も行くね」

「ああ、おやすみ、スカーレット」

「私は眠らない」


 笑う、声。


「私の夢は夜に結ぶの。――それに、お父さんのお迎えを、しなきゃ」

「そうか。――フォンハードに宜しくと伝えてくれ」

「うん、有り難う」


 

 少女の声は笑いを残して去っていった。



「――さて」


 男は一人残されて呟いた。



「……何か起きてくれれば良いのだがな」


 ラキスを統べる血筋のひとつ、ドラクロアス家の代理を務める飛竜の姿を思い浮かべ、男は少しだけ笑った。

 

 フォンハードの義理の娘、火竜スカーレット。

 美しい、炎色の娘。


 飛竜の血など味わった事は無い。

 美味い不味いよりも、それが好奇心を刺激し、ただ退屈なだけの永い生を楽しいものへと変えてくれる。


 それに、普段から落ち着いた、感情を笑みの後ろに隠したあの少女の声が、死の間際、どんな揺れを見せるのかは――非常に楽しみだ。


 長年忘れていた己の本質。闇を、惨いものを好む己が、ざわめくように姿を見せる。


 男はそれを笑みで封じ、再び視線を空中に現れている像へ送った。


 フォンハードはいまだ飛び続けている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る