第16話16章



【16】



 ――時間は少し遡る。




 ロキの手の中には銀の鱗が光っている。

 それを握り締めるようにした後、ロキは顔を上げた。彼を乗せる金竜のレジスも同じようにそちらを向く。


「この鱗の主はこっちだ」

「分かった」

「……ゼチーア」


 半ば、呆れたような声。


「お前はもう戻った方が良いのでは?」

「大丈夫だ」

「私の癒しの呪文では足りない傷だぞ」


 癒しの呪文はロキの得意分野ではない。

 出会ってすぐにあの人狼との戦いで負った傷を癒して貰ったが、それでもまだ足りない。


「応急手当はしてある」

「足手まといになるようなら捨て置くぞ」

「ああ、捨ててくれ」


 ロキのため息。


 レジスが翼を動かす。

 微かな音。光を集め、それを叩きつける――ブレス。

 直線での移動が一番早い。

 下手に廊下を移動しようとすると飛竜が動けない場所に行き着く。

 片割れたちは最大の戦力。

 そして壁を幾ら壊しても黒竜は出てこなかった。



 ベルグマンが小さく鳴いた。

 示されたのはシュートとコーネリアの名。

 どうやら二匹は一緒にいるようだ。


「合流出来そうだな」

「こちらもこの銀竜と合流出来そうだ」


 ロキが言う。


「随分と近い。壁計算で言うと4、5枚か」


 ベルグマンが頭を巡らせる。

 視線の先の壁が壊れた。


 ひょっこり顔を出したのは気弱そうな金竜だ。

 シュート。


 こちらの姿を見つけ幼竜のように高く鳴く。安堵の声だ。

 シュートとその片割れはすぐさま飛び込んできた。


「ゼチーアさん!」


 ルークスの馬鹿でかい声。


「良かったぁ、もう二度と会えないかと思いましたよ! 城に入れたと思ったら誰もいなくて、もうどうしたら――」

「テオドール様は?」

「あ、途中で会いました」


 話を途中で中断され、何だかしょんぼりしつつもルークスが背後を見る。

 言葉の通り、コーネリアが壁を越える。

 ゆっくりと修復されていく壁。


「……あのー、ゼチーアさん」

「何だ?」

「何だか凄い怪我しているように見えるんですけど……。俺何だか幻見てるんだろうか」

「安心しろ、勘違いではないから」

「……どうしたんですか? ベルグマンから落ちました?」

「誰が落ちるか」


 此処まで来てこんな間抜けな会話をする必要は無い。

 思わずルークスを睨み付ける。

 ルークスどころかシュートまで竦んでいた。


「ゼチーア」

「……は」


 テオドールからの呼びかけに短く答える。


「何があった?」

「後ほどご説明します」

「分かった」


 テオドールの方は何も無かったようだ。

 怪我や疲れの様子は見えない。

 

 器。


 ……そんなものを存在するとは思ってなかった。

 だが、ゼチーアの問い掛けにあの人狼は肯定の答えを返した。

 

 冥王とは何だ?

 疑問が残る。



「――おい!」



 ロキが珍しく焦ったような声を出した。



「銀竜の気配が消えた」

「銀竜? エルターシャか?」

「いえ、イルノリアです」


 テオドールは何か信じられないものを聞いたような顔をしている。

 答えたゼチーアを見つめ、先ほど聞いた言葉を訂正されるのを待っているように見えた。


「……何故、イルノリアが此処にいる?」

「勇者たちと共に行動していたようです。勇者は……理由は分かりませんが、シルスティンに侵入したと」


 ゼチーアは言葉を続ける。


 ロキは鱗を見たまま沈黙していた。

 その彼を呼び、たずねる。


「消えた、とは? イルノリアが外へ移動したのか?」

「違う……」


 掌の中の鱗を見る。


「……死んだ」

「ロキ! どちらの方角だっ!」


 テオドールが叫ぶ。

 イルノリアはシズハの片割れ。

 片割れの死は竜騎士の死。


「こちらです!」

「退けろっ!」


 叫び声。

 ロキの示した方向に向けて、コーネリアが構える。

 光の集まる音がする。

 耳鳴りがするほどの、空間の揺れ。


 そして最大級の光のブレスが壁に叩きつけられる。



 巨大な穴が空いている。

 穴は塞がる様子を見せなかった。

 コーネリアが動く。

 竜妃が焦っている。困惑している。娘のように育ててきた銀竜。それが死んだと聞かされて、冷静でいるなど不可能なのだろう。


 次の間へ至る。

 ルークスとシュートがもたもた到着した頃、次の壁にブレスによって穴が開けられた。


 繰り返す事数度。



 その場所へ、到着した。





 

 聖堂。


 聖母の像が見えた。

 両手を広げ、迎えるように、今にも抱きしめてくれようとしているように。

 幼いとも取れる少女の姿。

 伏せられがちな瞳に、微笑む顔。

 祈るような、哀れむような、愛しむような、綺麗な顔。


 魔法の光が満ちる場所。

 聖母の奇跡をモチーフにしたステンドグラスも鮮やかなまま。


 祈りを捧げる人々の為に据えられた木製の椅子。

 

 

 聖母像へと至る通路。

 幾つか存在する扉へと敷かれた絨毯。


 その交差点に、立っていた。



 見た風景を、その後、ずっと忘れられなかった。



 全身鎧の黒騎士が剣を構えている。

 

 その背後。

 黒騎士に守られるように黒髪の男が立っている。

 全身、紅く染まっていた。

 滴り、流れ、伝うそれは間違いなく血。

 

 こちらに半身だけ向け、表情は薄い。



 男が持つ右手の剣。

 濡れた右手の紅い血が伝い、剣をも染め、そして床に落ちている。


 落ちた血の先には、半ば崩れかけながら黒竜が形を取ろうとしている。





「――冥王」




 誰かが呟いた。



 黒騎士は冥王の部下。彼の城を守っていた最後の騎士。

 黒竜は冥王の部下。彼の城の中で多くの騎士を、戦士を食い殺した魔物。


 彼らが守るのは唯一。


 冥王と呼ばれた男。



 確かにそこに冥王がいた。

 冥王と呼ばれるに相応しい人物が、いた。


 冥王は壁際に追い詰められた男に剣を突きつけていた。

 今にも命を奪える位置で、剣を。


 その剣先が揺れる。

 剣先が完全に、下がった。




「――父さん」




 冥王が口を開く。



 そこで初めて、彼が誰かを理解する。


 シズハ。


 困ったように、血に塗れた手を差し伸べてくる。

 顔が歪む。

 泣き顔へと。


 テオドールに向けて、手を、伸ばす。



「父さん、イルノリアが……イルノリアが、死んだ」


 どうしよう、と頼りない声が漏れた。


「どうしたらいいんですか? 父さん、イルノリアが……滅竜の弾丸で……死んだんです。俺、どうしたら――」


 視線を動かす。


 並ぶ椅子の間に挟まるように、銀竜の身体が投げ出されている。

 紅い血が辺りを染めていた。

 そして、見覚えの無い女がイルノリアの首を抱いている。


 綺麗な首を、抱いている。



 違和感を、覚えた。


 ゼチーアは異様な違和感を覚えた。

 恐怖に近いぐらいの違和感を、覚えた。



「父さん、教えて下さい」


 流れた涙が血を洗う。


「イルノリアが――どうしたら……」


 シズハの問い掛け。

 願い。


 テオドールが口を開く。



「――それは、何だ?」



 返されたのは問い掛け。

 


「それ……?」


 シズハは問われた意味が分からなかったらしい。

 困ったように周囲を見回す。


「その黒騎士は、なんだ」

「……分からない。でも、俺の命令に従ってくれる――だから……あぁ」


 思い至ったように壁際の男を見る。


「あぁ……だから、力を借りて殺そうと……だから、イルノリアが死んだ……殺された?」


 口の中で呟くような不明瞭な声。

 剣が持ち上がる。



「殺そうと――」

「止めろっ!!」


 ゼチーアは思わず叫んだ。

 シズハがこちらを見る。

 不思議そうな色。


「その男はヒューマだ。殺される訳には行かない」


 捕らえるべきだ。

 今後の事も考えるなら、捕らえ、利用すべきだ。


「片割れを殺された苦痛は分かる。だがお前まで狂ってどうする」

「……」


 シズハはゼチーアを見る。



 口が開いた。



「邪魔をしないで欲しい」



 声と同時に黒騎士が動いた。

 対面するは四対の竜騎士。

 恐れもなく、翼も持たぬ騎士が、動いた。


 左手に盾。右手に大剣。

 鈍重そうな鎧の身体が、見た目よりもずっと軽く、地を蹴った。


 手綱を操り、そこで竜騎士たちは気付く。

 己の片割れが戸惑っている。


 邪魔をしないで欲しいと、そう言われた言葉に戸惑っている。

 そして、その言葉に抗いきれない自分に戸惑っている。


 たった一人の鎧の騎士に、攻撃出来ない。






 彼は再び目の前の男に向き直る。

 愛しい銀を殺した男。


 足元で黒竜が見上げてくる。

 瞳には理性と迷い。

 どちらに従うべきか迷っている。


「お、お前は――何だ?」


 男からの問い掛け。


 答える言葉は無い。


 剣。

 これで殺せる。


 突き刺せば、切り裂けば、終わる。


 剣を、上げた。





 これは最初の死。

 そして、これから訪れる多くの死。


 この男の背後、無数に連なる屍が、一瞬、見えた。





 今にも剣を振り下ろさんとする腕に抵抗。

 見れば、右腕に女がしがみ付いていた。


「ほんと、何考えてんですか、シズハさん!」

「……」

「イルノリアちゃんが殺されて本気で怒っちゃうのは分かりますが、やりすぎですよ! 百歩譲ってその変態王子はぶっ殺してもいいとして、ゴルティアの人たち相手はやり過ぎ! あの人お父さんじゃないですか!」


 言われて、見る。


 黒騎士は戦っている。


「あっちの戦いだけはとめましょう? ね!」


 刃が、黒騎士の刃が、金竜を裂いた。

 腹部。

 血が、出る。


 その金竜は隻腕だ。


 ――コーネリア。


 イルノリアの母代わりの、金竜。

 父さんの、大切な竜。



「……」


 小さく声が出た。

 止まれ、と、命じる声。


 黒騎士が止まる。

 シズハを見る。

 次の命令を待つように、完全に動きを止めた。


 右腕にしがみ付く女――ミカが笑う。


「良かったぁ」

「ミ、カ、さん」

「そうですよ。私ですよ。――ね、こっち」


 腕を引かれる。


 イルノリアの亡骸。

 銀の――



 ミカは血の中に落ちたイルノリアの首を抱き上げる。

 両腕で精一杯、抱き上げ、シズハの腕に抱かせる。

 剣を取り上げ、その腕の中をイルノリアだけで埋め尽くす。


「抱きしめてあげて下さい。私が抱きしめるよりも、ずっと喜びますから」


 腕の中の瞳を半ば開いたまま動かない銀竜の顔を見る。


 イルノリア。



「……イルノリア……」



 イルノリアの亡骸。

 銀の――



 愛しい、銀の運命。



 動かないその頭を抱きしめ、顔を埋める。


「イルノリア、イルノリア、イルノリアっ!!」


 涙が零れる。

 身体から力が抜けた。

 その場に座り込む。


 繰り返し、叫ぶ。

 イルノリアの名。

 答えはない。

 答えなど、無い。






「――ボルトラック」


 ヒューマが呼びかける。



「もういい、あの男を喰らえ」


 殺されかけた恐怖からヒューマの顔は凄まじい。

 黒竜は今の主の顔を見た。


「喰らい尽くせ。骨の一片も残すな。全部喰え」


 それが今の命令ならば。


 黒竜はゆっくりと身体を再構築する。

 喰らうための身体を編み出す。

 前足が、床を叩いた。






 黒竜の唸りにミカが振り返る。


「ふ、ふーちゃん、どうしよう、黒竜来るよ」

「逃げろ」


 ミカはシズハを見た。

 イルノリアの名を呼び続けるシズハ。腕の中の頭部ぐらいは運べるが、胴体部分は運べない。

 たとえ一部だって、イルノリアを此処に置いていくのをシズハは拒否するだろう。


「シズハさんを置いていけない」

「諦めろ。時間も無い。呪が発動する」

「いや!」

「それに――」


 フォンハードは迷う。


「……お前は妙に思わないのか?」


 フォンハードはイルノリアの亡骸を見る。


 違和感。


「変に考えてる暇なんて無いよ!」


 ミカが立ち上がる。


 黒竜はいまだゆっくりと再生を続ける。


 黒騎士は動かない。

 シズハの命令がなければ動かない。

 なら戦力は――残ってるのはひとつ。


 ミカは黒騎士からの攻撃が終わっても何も動かない四匹の金竜を見る。


 場所は十分にある。

 戦える。


「ゴルティアの竜騎士さんたちですよね?! ちょっと戦って下さいよ! 黒竜を止めてくれますよね、そういう目的で来てるんですよね!!」


 視線が彷徨う。

 竜騎士たちの視線が集まるのは、黒騎士に腹を割かれるほど動きが悪かったコーネリア……そしてテオドールだ。



「シズハさんのお父さん! お願いですから息子さん守って下さいよ! イルノリアちゃん死んじゃって冷静なんてずーっと遠い世界状態なんですから!」

「――なぁ、ミカ」

「うるさいなぁ、ふーちゃん! 助けてくれないなら黙ってよ!」

「その竜騎士たちも気付いてるんだろう?」


 ゆっくりと、フォンハードは言った。






「なぁ、何故、滅竜式弾丸で滅んだ竜の屍体が、腐らずに残ってるんだ?」


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