第16話10章



【10】




 僅かな光だけが灯る空間を歩く。

 細い通路。

 先頭はバートラムだ。

 イシュターはいまだヴィーの腕の中。興味深げに周囲を見回している。


 ――見事な通路ですわね。軸をずらして世界に一部だけ組み合わせて作成されています。


 彼女の呟きにヴィーはひとつだけ頷いた。

 魔力に詳しくない彼でもこの通路が尋常ではないのが分かる。


 所々の分岐点。

 バートラムは殆ど迷う事無く道を選ぶ。

 通り慣れているのか。



「ねぇ、バートラム、あとどれぐらい?」

「黙れって」


 不機嫌そうな声が帰って来る。


「道を間違えたら別の場所に出ちまうんだから集中させろ」


 足元のアルタットを見て肩を竦めた。

 どうやらバートラムもこの道に通りなれている訳ではないようだ。

 自分の覚えている道を辿っているだけ。



 アルタットはヴィーを見上げて微かに鳴いた。

 黙っていよう、とそういう事だ。



 そのアルタットが不意に顔を動かした。

 何本目かの分岐点。

 バートラムが歩を進めた方向ではなく、別の道を見て脚を止めている。


「――おい、どうした?」


 バートラムからの呼び掛け。

 アルタットはそちらを見ている。

 イシュターは嫌そうな声を出した。


 ――血のにおい……飛竜の血……?



「……怪我している飛竜がいるみたいだけど?」

「怪我している奴らなら沢山いるさ。――うちは水竜も銀竜もいないんだ。傷は自力で治すしかない」


 ――いいえ、そのレベルではありませんわ。かなりの出血。深手を負っています。



 イシュターの否定の声。


 アルタットが動いた。

 血のにおいがする方向へ。


「御免、バートラム、ちょっと行って来るねー」


 軽く手を振ってアルタットが向かった方向へと歩き出す。

 バートラムは呆然とこちらを見ていた。


 背を向けて歩いていれば、やがて追いついてくる足音が聞こえた。


「何を考えてんだよ、勇者」

「傷を負っている相手がいれば助けたいのが勇者だよー」

「飛竜でもか」

「それは竜騎士の台詞じゃないよ、バートラム」

「竜騎士はそうだ。――だけど、他の奴らは違う」

「シズハと一緒にいたらすっかり飛竜が気にいったみたい」

「……まるで他人事みたいに話すヤツだぜ」


 実際他人事なんだけどね、とヴィーは心で呟き、少しだけ笑った。





 通路が解ける。

 現れたのは石造りの部屋。

 地下の牢屋か拷問部屋。そういう雰囲気の部屋。

 ただし古い。空気が淀んでいる。

 ごく最近に使用されたのだろうが、長年溜まったものは消し去れない。


 そしてそれ以上に強い血臭。


 

 薄暗い空間に小山のような何かが見える。

 暗闇でも視界が利く瞳はそれが何かをすぐに捕らえた。

 

 飛竜だ。


 紫色の身体。筋肉の乗った逞しい身体は間違いなく雷竜。

 雷竜が低く唸った。

 顔を上げたがそれも僅か。

 力が足りなかったのではない。

 口が上から太い槍で突き刺され、床に縫いとめられている。ほんの少しだけ開いた口の端から金の光が踊る。雷のブレスが口の中で集まっている。

 だが、それが吐き出される事は無い。


 全身に武器が突き刺さっている。

 同時に、近付いたヴィーは気付く。

 深い傷跡が全身に残っていた。飛竜の爪あと? 抉られた肉は牙の跡か?

 黒竜にやられたのか?


 雷竜はじっとこちらを見ている。

 何かを訴えるような視線。



 ヴィー、とイシュターが呼ぶ。



 ――シルスティンにいる雷竜はロバート一匹。恐らくこの飛竜はそうですわ。



 でも、片割れは何処に?



 アルタットが鳴いた。

 

 雷竜の視線の先、壁に何かが下げられている。

 それが人間だと分かったのはアルタットがもう一度鳴いたからだ。


 ――ラインハルトだ。



 聞き覚えのある老竜騎士の名前を出されて、竜から離れ、壁際に寄る。


 鎖によって束縛された身体は酷い状態だ。

 鎖はたるみを持たされ、今は床に足を投げ出し座り込んでいる状態。

 腕の中のイシュターが顔を顰める。


 ――酷い。拷問ですわね。


 老竜騎士と言われなければ判断出来なかっただろう。

 顔も殴られた形跡があり、血と痣と傷で彩られていた。

 元の顔をヴィーは知らない。

 知っていたとしても区別が付くと思わなかった。


 アルタットが鳴く。

 呼びかけの声。


 ヴィーは傷だらけの顔に手を伸ばした。


 そしてそれに気付く。


 呼吸。

 僅か。

 ほんの僅か、空気が動く音。



「……生きている」



 腕の中でイシュターが鳴いた。身をねじり、飛び降りる。

 ラインハルトの前に降り立つ。もう一度、鳴いた。

 古代語の構成。癒しの呪文だ。

 これだけ傷が重ければ、瞬時に全部癒す事など不可能。まずは覚醒させる事が大切。

 呪文が終わると同時に、指先に感じる呼吸が幾分強いものになった。


 血と傷の間、瞳が動く。

 腫れた目蓋がその視界を半ば塞いでいる。

 

 その状態でも、このうす暗がりでも、老人はこちらを判断したようだ。


「――勇者……」


 からからに渇いた声がこちらを呼ぶ。思ったよりもしっかりとした声だ。これなら助けられる。幾ら老年と言っても元は体力のある騎士なのが幸いしたのだろう。


 ヴィーはラインハルトにひとつ頷き、笑った。


「大丈夫だよ、助けに来たよ。――すぐに治してあげるから」

「――逃げろ……」

「逃げろって言われても、此処まで来ちゃったらなかなか逃げられないよー。皆助けてから逃げるねぇ」


 違う。


 老騎士は言った。



「バートラムから逃げろ、勇者っ!」



 その声と同時に風を切る音が聞こえた。




 咄嗟に振り返ったヴィーの身体を、刃が裂いた。




 痛みで視界が紅く染まる。

 熱に等しい痛みに耐え、それでも後ろに逃げた。

 肩口から胸に向けて大きく裂かれた。

 押さえた手の下から血が溢れ出るのが分かる。

 アルタットの身体が傷付いた。


 腰に差していた長剣を軽く振って、バートラムが舌を打った。

 闇の中でも紅い色が散るのが見えた。



「一撃じゃやっぱり殺せねぇか」



 独り言の呟き。


 殺せなかったとバートラムが言うが、ヴィーは冷静にアルタットの身体を思う。

 普通の人間なら即死の範囲だ。

 内臓まで至ってる。

 洒落にならない。

 竜の腕力を宿すと言う話は本当なのだろうか。


 イシュターが鳴いた。

 ヴィーの名を叫んでいる。

 短い距離を駆け寄ろうとした彼女の身体が、突然倒れる。


 ほぼ同時に軽い崩れる音。

 アルタットが倒れたのだ。

 華奢な猫の骨格をきしませるように、アルタットは立ち上がろうとする。

 緑の瞳が苦痛に歪んでいる。

 しかし、再度倒れる。顔だけを上げてヴィーの名を呼ぶ。



「神の傀儡は使えねぇよ。それぐらいなら俺でも何とかなる。神の加護ってのを断ち切る呪文ぐらいは、何とかな」


 軽くバートラムが続けた。


「予定ではもう少し戦い易い場所に案内するつもりだったが……まぁ仕方ねぇ。此処で行くか」


 考える。

 痛みで頭が働かない。

 人の身体に依存している今、苦痛は恐るべき敵だ。

 身体が痛みに怯えている。


 必死に自制する。


 倒れそうな身体を支え、口を開く。


「――誰?」


 バートラム。

 シルスティン竜騎士団団長。

 シズハの元上司。

 頼れる存在だと、そう聞いていた。


 どうして、その人物が?


「誰――って、俺はバートラムだ」


 剣を横に下げてヴィーを見ている。

 その瞳にあるのは真っ直ぐな感情。


 先ほど、バートラムと会った直後に見た瞳。

 一瞬だけ浮かんだ強い色。

 それの名前をようやく見つける。


 ――殺意、だ。


「どうして……バートラムが、アルを殺そうと……するの?」

「勇者も冥王も似たようなもんだ。――どっちも人の枠から外れた化け物。そういうのが許せないんだよ、俺は」


 低い唸る声。

 束縛された雷竜が鳴いている。

 それに重なるのはラインハルトの低い声。



「――裏切り者め」


 老人の搾り出すような声にバートラムは少しだけ表情を変えた。

 無表情に混じる、僅かな……ほんの僅かな迷いの色。

 すぐさま笑いに取って変わる表情だったが。


「俺は一番大切なものは裏切っちゃいねぇよ」


 空いた手で自分を示す。


「俺自身の心と信念は一度も裏切っちゃいねぇ」


 二人の会話の間に逃げる道はないかとヴィーは考える。

 早くは動けない。

 あの通路も今は消えている。

 逃げ場所は……無い。

 第一、イシュターとアルタットを置いていけない。

 この身体では無理だ。


 ラインハルトが呻く。

 身体の苦痛よりも心の苦痛。

 それの方が重いのだろう。


「お前は――この国などどうでも良かったのか? 今まで守ってきたのは偽りか? ただの気まぐれか?」

「……結構好きだった。が、それよりもこっちの方が重要だ」


 ヴィーに向き直る。


「上がそろそろ五月蝿くてたまらねぇんだ。――勇者に協力して冥王の器を潰せ、とさ。勇者にだと? 俺に向かって勇者の手伝いをしろなんて言いやがる」


 バートラムの表情。

 まるで鬼を見ているようだ。

 怒りの顔。


「勇者だって冥王だって似たようなものだ。神の力を得て、完全なる座に至ろうとする馬鹿者ども。――それが少しは言う事聞く存在だからって、勇者だけ助けるかね? 俺には理解出来ねぇよ」


 爺さん、とバートラムはヴィーを見たまま言った。


「女王の可愛がっているシズハまで殺せって命令来てるんだぜ? 俺にだぞ? 部下なら上司に油断するだろうって――そんな馬鹿な命令があるか」


 刃が突きつけられる。


「なぁ勇者。本当はお前もシズハを始末するつもりなんだろ? 傍に置いたのも、女神の魂見つけ出すコンパス代わりだったんじゃねぇか? ――そうじゃなきゃ、どうして器を傍に置くんだ? 勇者が? 下僕付きの勇者が?」

「……アルは、そんな事を考えてないよ」


 ただ。


「シズハが勇者を求めたから、一緒に行く事を決めたんだよ」


 ふん、とバートラムが鼻を鳴らした。

 信じてない。そう言わんばかりの表情。


 

「まぁいい。俺はお前を殺す。命って命を断ち切って、始末する」


 バートラムが笑った。


「折角此処まで舞台を揃えたんだ。失敗しちまったら笑い事じゃ済まねぇだろ?」

「……舞台?」

「冥王の部下が蘇った、国を滅ぼしたって事になりゃあお前らが動く。シズハとお前たちが一緒にいるのは分かってた。シズハの友達動かせば、お前らに情報が直通ってのぐらいは想像出来た」


 小さく、何故かバートラムは迷った。


「……まぁ、シズハが此処に来てるってのは予想外だったがな。止めてくれるもんだと思ってたぜ」


 呟きのようなその声に、別の声が重なる。



「――その男がヒューマと冥王の部下を繋げた」


 ラインハルトの声。


「勇者を倒すためだけに、自分が仕える国を、売り飛ばした」



 まさか。

 それだけ?

 それだけの為にか?


 ヴィーはバートラムを見る。

 ラインハルトの声が続く。


「その男は狂っている。――狂っているのだ」



 狂うと言う言葉にそれが結びつく。



 狂信者ども。

 冥王の器を殺し続ける、神に忠実な愚か者ども。



「――まさか」


 思い至った言葉にバートラムが笑った。

 剣を構える。



「“神殿”所属、位は神官――名はバートラム」


 名乗り。

 狂信者。

 

 冥王の器を殺し続けるものたち。

 生まれたばかりの赤子さえ、罪人として笑みの中で処刑を行うもの。



「――今から神の名に置いて源悪の抹殺を施行する」



 バートラムが笑みのまま、剣を振り下ろした。

 命を断ち切る刃。



 アルタットが高く鳴いた。

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