第15話2章


【2】



 バーンホーン。

 国土の大半を砂漠で覆われた炎の国。

 砂漠の他は荒野に火山。人が住めるような場所はほんの僅かだ。

 それでもバーンホーンに人間は集まる。

 燃える水と魔力の込められた石。それを狙ってバーンホーンへとやってくる者は後を絶たない。


 燃える水も、魔法石も簡単に探し出せるものではない。

 それらが見つかる場所は決まっており、知っている人間も決まっている。新たな者が入り込む隙間は無い。

 もしも運良く――運悪く?――見つけたとしても、殺されておしまい。

 屍体は砂漠に放置しておけばいい。

 昼の暑さと夜の寒さ。そして優秀な動物の葬儀屋たちが屍体を消し去ってくれる。


 それ以外にもバーンホーンに人が集まってくる理由がある。


 この国でもっとも重要とされるのは、ただ『強きこと』。

 

 日々行われる闘技場での優勝者は多くの栄誉を与えられる。

 一月に一度の決戦、そして年に一度の闘技大会となれば、更に。


 戦いも多い。

 戦争が徐々に終結し、あぶれた傭兵たちはバーンホーンに多く集まった。

 そのバーンホーンも先日、ついに休戦同盟に同意した。

 残された傭兵たちはどうなるのか。闘技場へと流れる者も多いだろうが、それ以外は知る由も無い。


 


 アギは、このバーンホーンの王位継承権第四位だ。

 上には兄が三人。なので自動的に四位。

 上の三人は首都にいる。


 一番上の兄は竜騎士団団長。

 恐らく、この兄が次の王になると言われている。


 二番目の兄はバーンホーンでは珍しい魔術師になっている。王宮で魔力に関する事を一切引き受けている。


 三番目の兄は普段は王宮にはいない。裏側の世界を渡り歩いている。彼は裏から国を支配するつもりなのだ。



 アギはその下、四番目。

 

 他の三人はそれなりに地位も身分もある女を母とした。

 アギだけは違う。

 旅芸人の女だった。一座の中で踊り子を務めていた若い女。


 日に焼けても白い肌に銀の髪。

 瞳が燃える水のように黒かったと、何度か母に会った事があるハーブが教えてくれた。


 アギの髪の色は黒。瞳の色も黒。

 これは母譲りなのだろうと鏡を見るたびに思う。



 お綺麗な人でした、と、ハーブはとても嬉しそうに言う。



 異国の出身らしく言葉が不自由で、同じく異国出身だったハーブの母――シアと親しくなったらしい。

 異国、と言っても、アギの母とシアは出身国はまったく違う。

 女たちはたどたどしい言葉で互いを語り、そんな二人の女の様子を幼いハーブは見ていた。



 その踊り子だった女は国王に愛され、アギを産んだ。



 アギを産んですぐに女は国を出て行った。

 女は出て行く際、国の騎士を七名ほど殺害した。女の細腕とは思えぬ力で、だ。


 嫌な噂が流れた。

 女は人間ではなかったのだと。

 魔物なのだと、そういう噂。


 時を同じくして、その頃王宮に出入りしていた魔術師が更に人々の不安を煽った。

 予言の力を持っていると宣言していた魔術師は、こんな事を言い出した。


 まだ赤子のアギを殺すべきだ、と。



 アギの母は確かに魔物であり、この赤子は将来、国を滅ぼす悪になる、と。

 

 王はその予言がいたく気に入り、アギを殺さなかった。

 争いごとを好んだ父はアギが起こす争いが楽しみだったようだ。



 それでも不安は残る。

 アギは首都から遠く離された。

 世話役に、アギに同情したシアと、ハーブ、そしてその頃には彼の片割れだったラナを伴って。

 最初は首都近くの村。


 シアは優しい女だった。

 既に滅んだ小国の騎士を務めていた彼女は、あくまでもアギを主人と扱い、母としては接してくれなかったが。


 剣を教え、様々な知識を学ばせてくれた。魔術さえも初歩的なものを教えてくれた。

 世界の歴史も、生きる術も、すべて。


 幼い頃のアギは不安定な子供で、時々奇妙な発作に襲われ、泣き出し、暴れ出した。

 自分でも訳が分からない。

 不安とも焦りとも怒りともつかない奇妙な感覚。

 じっとしてなどいられない。

 ただ、その感情を向ける相手が見つからない。

 

 まだ子供だったハーブは泣きながらもアギの傍にいてくれた。

 殴られても、ただアギの名前を呼んで落ち着くまで傍にいてくれた。


 シアは穏やかな声で発作中のアギを諭す。

 触れてはくれない。抱きしめてはくれない。

 だが、静かな声で諭してくれた。


 発作を自分の中で押さえ込めるようになるまで、長い年月が掛かった。

 二人がいなければ、長い年月を掛けても無理だったろう、と今は思う。




 13歳の時にシアが死んだ。


 それをきっかけに更に遠くに送られた。

 当時二十代半ばだったハーブも、ラナも、共に。



 砂漠の果て。

 古い砦。

 何も無い。

 何も無い、この場所。


 十日に一度、荷物とアギの様子を見に来る使いがやってくる。

 会話は殆ど無く、確認作業を終えると使いは素早く帰って行った。


 その使いが王――父、だ――からの手紙を持ってきたのは、つい先日。




 アギは一度目を通した手紙をハーブに投げ渡した。

 不機嫌一色の顔でソファに寝転がる。


 手紙を読み、ハーブは恐る恐ると言う様子でアギを見る。



「アギ様」

「行かねぇよ」

「……」


 近く行われる年に一度の闘技大会。

 それに参加しろ、と言う文面だ。

 長兄は参加するだろう。性格的には色々と問題はあるが、実力は折り紙付きだ。優勝は恐らく兄だ。


「何で今更俺を首都に呼ぶんだか」

「……」

「行かないったら行かない」


 ハーブは困ったようにアギを見て、手紙にまた視線を落とす。

 手紙にはハーブも参加するようにとの事だ。

 大闘技場では竜騎士同士の戦いも行われる。そっちに参戦しろとの内容だ。


「行きたいならハーブだけ行って来いよ」

「アギ様の護衛が……私の任務です」


 つまりアギの傍にいる、と。

 此処にアギが残るのならば、首都になど行かない、と言う訳だ。


「あの……」

「ンだよ」

「アギ様なら優勝も可能かと思います」

「無理だって」

「……母も……その、言っておりました。アギ様の才能は百年に一人のものだと」


 シアの顔を思い出す。

 北の小国ラース。冥王によって滅ぼされた、雪の国。

 その国で騎士を務めていた女。

 ハーブに似た、色白の綺麗な女だった。


 無駄な言葉を口にしない女だった。

 彼女が褒めたと言うのなら、本心だろう。


「才能がいくらあったってよ、俺、剣の稽古なんてハーブとラナ相手しかしてねぇっての。もう十年近くもだぞ? 対人なんて全然分からねぇっての」

「私相手には、二本に一本、取れますでしょう」

「ハーブだぞ?」

「私は、バーンホーンの騎士程度には、負ける気はしません」


 ハーブの声には驕りの色は無い。

 彼自身、冷静にそう考えている。

 

 母は騎士。ラース国内の冥王との戦いで戦死した父は竜騎士団団長を務めていたと言う。

 

 才能と言うのならばハーブもそうだ。

 優秀な竜騎士だろう。

 

 ふと兄の言葉を思い出した。

 腐らせるのは惜しいと言われた。

 ハーブと、ラナの能力。



 考えるアギの前で、ハーブは口を開く。



「……わ、私は悔しいのです」

「……悔しい?」

「アギ様こそ、バーンホーンの次代の王に相応しい能力を持っていると、私は……信じています」


 ソファに寝転んだまま、顔だけをハーブに向ける。

 ハーブの顔は真剣。

 嘘や冗談など言わない男だ。

 おべっかなんて口が裂けても言えない。


「なのに……どうしてこのような場所で……何年も……」

「仕方ねぇだろ。俺は生まれが生まれだ」


 笑う。


「俺のお袋は騎士殺しの大罪人だしな」

「それだって理由がありますでしょう。……御優しかったあの方が、人を殺めるなど……きっと、何か……理由が」

「魔物なら理由はないさ」


 人を殺す理由なんて。


 自分の胸の奥を思う。

 焦り。不安。怒り。

 これが魔物の感情ならば、一歩間違えれば自分も人殺しになりかねない。


「赤ん坊の時に殺されなかっただけ感謝しなきゃならねぇだろ。――此処で一生を過ごすとしてもな」


 砂漠の果て。

 何も無い場所だが、アギは嫌いではない。


 どうせそんなに長くない一生だ。

 次の王になれば何か理由を付けて自分は殺される。

 兄たちが危険の可能性を持つ弟を生かし続ける理由は無い。


 終わりが来るまで、此処にいるのは悪くない。


 だけど――


「悪くねぇよ。うるさい奴らはいねぇし、それなりに自由だ」



 だけど――終わりのその日に、ハーブとラナが傍にいる必要は、あるのだろうか。




「ですが!」


 ハーブは叫ぶ。

 彼が声を荒げるのは珍しい。

 自分の言葉に興奮しているのだろう。


「これは良い機会です。アギ様の能力を陛下に知らせ、アギ様こそが後継者に相応しいと認めて頂く良い機会だと――」

「なぁ、ハーブ」

「は、はい」

「お前さ、本当にこのままでいいのか?」

「……は?」


 微妙に話の流れが食い違ってる。

 だが、知りたかった。



「俺はこのままでいいんだよ。別に俺の能力を示さなくともいいし、此処で一生終えたっていい」


 けど。


「お前とラナには何の関係もねぇだろ? 俺が生きているうちに俺から離れた方が、後々、楽じゃねぇの?」

「……酷い事を仰らないで下さい」


 ハーブの声は震えていた。

 珍しい。

 怒っている。


「関係が無いなど……どうして、そのような事を仰られるのですか、アギ様」

「……」

「私も、ラナも、貴方様に長年お仕えしてきました。今更この忠義を疑われるのですか」


 二人の心を疑った事など無い。


「出過ぎた言葉は謝罪致します。ですが、どうか――我等の今までをお疑いにならないで下さい。我等は一生をアギ様に捧げるともう何年も前に誓い、その誓いは微塵も揺るいでおりません」

「……ン」


 アギはソファから身体を起こした。

 座り直す。


「悪ぃ、ハーブ」

「……はい」

「お前たちの事は疑ってねぇよ。――ただ、本当に、今のままでいいのか、って思って」

「不満などございません」

「……ン」


 立ち上がる。


「首都との連絡方法って何があった?」

「……? ま、魔力の鳩が、おります。あれならば――」

「じゃあ、親父に伝言。――闘技大会に俺たちが出るから特別枠でも用意しておけ、って」

「アギ様」

「お前に詫び。――出て欲しいんだろ? 出てやるよ、その大会」

「……」

「俺の気が変わる前に連絡した方が良くねぇか?」

「は、はいっ!」


 先ほどの怒りが嘘のように笑ったハーブが敬礼して駆け出すのを見送り、アギはやれやれと息を吐いた。


「……対人なんて勝てんのかね」


 本当にハーブ相手とラナ相手しか戦った事が無いのだ。



「まぁ、一回戦敗退でもいいかぁ」


 ハーブもアギの実力を知って諦めてくれるだろうし。



 その時は気楽に考えていた。

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